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2009(平成21)年度 教育セミナー報告

松永 泰行(東京外国語大学世界言語社会教育センター)

  イラン政治の研究に際して思うディシプリンと地域研究のバランス

 本報告では、日本の研究者界において、政治学をディシプリンとして中東諸国の政治や社会における変化のダイナミズムを研究するという作業に従事することのメリットとデメリットを、自らの経験に即して再考した。

 日本の大学院教育では、いわゆる法学部政治学科的な政治学(比較政治・国際政治)教育の場で、学生が中東諸国を対象とした深い研究技能をマスターすることは、ほぼ不可能であるという現実がある。その直接的な背景には、ポストの欠如に由来する専任教員の不在がある。報道レベルや国際的な問題として、中東諸国やイスラーム運動に関わる主題や問題がかなり頻繁に取り扱われていることをも考えると、世界各地域や諸外国の専門家の中で中東政治の専門家だけが、法学部政治学科に不在でありがちな現実はやや奇異に思えなくもない。

 その一方で、過去何世代かに亘る日本の中東地域研究の中心には歴史学があり、歴史学者が現代政治や国際関係に関わる主題に、(政治学者から見れば「非学問的」な)論評をすることを、社会的にも許容する風潮さえある。

 本報告では、この一見、特殊日本的かつ奇異に思える現象の意味合いを、政治学が中東地域研究の主流である第二次世界大戦後のアメリカの研究者界の事情と比較することによって、議論をした。報告者の論点の一つは、アメリカの場合、中東を含む各地域研究の中で政治学は主流であるが、社会科学としての政治学ディシプリン全体においては、中東政治屋はディシプリン自体の発展に貢献しておらず、明らかな落ちこぼれであるという点であった。この問題は、果たして中東地域が世界の他の地域に比して例外的である(「落ちこぼれ」ている)のか、それとも単に中東政治屋が政治学者として落ちこぼれているのかという問に繋がる。報告者の当座の見方は、中東政治屋がだらしないからというものであるが、そうであれば、日本のように歴史学が主流で政治学が不在の中東地域研究にも、理がない訳ではないのかもしれない。いずれにしても、日本における中東・イスラーム地域研究において政治学が貢献できる側面があるように思える一方で、政治学をディシプリンとして中東地域研究をすることは幾重もの困難さを伴うであろうことを、若手研究者が認識することは重要であろうと結論づけた。

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