Top page of the Project MEIS at TUFS
 
教育セミナー
  1. ホーム
  2. 教育セミナー
  3. 2008年度報告
  4. 吉村 慎太郎

2008(平成20)年度 教育セミナー報告

吉村 慎太郎(広島大学大学院総合科学研究科准教授)

  「中東のなかのイランの現代史研究−周辺/中心、そして越境の領域へ−」

 このセミナーの目的は、特にパフラヴィー王朝(1925-79年)初代国王レザー・シャー(在位1925-41年)以降の政治的展開における一段面としての、イラン/中東諸国関係の特徴的変化を抽出し、そこからイラン/イスラームの位置付けの変化の諸相を浮き彫りにし、タイトルに関連した若干の論点を提示することにあった。

 その点で興味深いことは、まず中東諸国の中でも隣国が宗教勢力の強固な影響力(イラク)、近代化・世俗化をめぐる国家的方針(アフガニスタンとトルコ)、更に第二次世界大戦に見られた対英関係(イラク)などにおいて、常にレザー・シャー政権の政策方針に少なからぬ影響を与えた点で「教訓」的対象であったことにある。当時イランが中東において未だ「周辺」的存在に過ぎなかったと言い換えることもできる。しかし、第二代国王モハンマド・レザー(在位1941-79年)期には、カウミーヤ(アラブ民族主義)の影響が色濃い中東(アラブ圏)との連動化が始まる。石油国有化運動に参加し、途中離脱した政治的ウラマーのひとり、セイエド・アボルガーセム・カーシャーニーの動向、カウミーヤを唱道するナーセルに対する国王レザーの懸念とそれに基づく対イスラエル関係の強化、そして「白色革命」を経て独裁権力の確立後に見られるペルシア湾域内での軍事的覇権の追求などがそうした性格を示している。

 これにより周辺から域内大国としての位置を占めるに至ったイランは79年革命により、一躍「イスラーム革命」外交を通じて既存の中東国際関係を揺るがす存在となった。反米、反イスラエルを前面に打ち出す新政権の「イスラーム革命主義」はイラン同様の種々の内部矛盾を抱える湾岸諸国を動揺させた。この脅威に最も曝されたイラクは8年間に及ぶ「国際管理」化された対イラン戦争を開始する。イ・イ両国に止まらない「非」戦争当事国の諸問題が共振し合ったこの戦争過程に、中東におけるイランの革命的「中心」性が以前と異なる形で浮上したことに注目しない訳にはいかない。しかし、この戦争での事実上の敗北と続く最高指導者ホメイニーの死去により、イランの位置は大きく後退した。加えて、この戦争を通じて米国の軍事優先の解決手法とそれと無関係ではない国連の機能停止も顕在化したことも重要な点である。

 その後、現実主義、融和外交を採用したラフサンジャーニー(1989-97年)及びハータミー(1997-2005年)を経て、イランは「保守強硬派」のアフマディーネジャード政府の下で中東の「中心」としての名乗りを上げ始めたように見える。周知の「核開発疑惑」や彼のパレスチナ問題をめぐる発言が取り沙汰される。だが、イランの動向がより注目されるのは、上述の国連や米国の平和的な問題解決能力の喪失と他の中東諸国の異議申し立て能力の希薄化を前提としていることである。

 「アラブの大義」喪失による民族的「アラブ世界」の死語化、「世界」の中東化による「中東世界」の意味の希薄化、そして「イスラーム世界」創造論まで議論すべき問題は数多いが、いずれも国際的不条理によって確証される点が看過されるべきではない。周辺/中心とその位置をダイナミックに変えるイランの現代史研究は、今や広く中東研究者が「錯覚」に彩られた世界を理解するために、自覚的に越境すべき研究領域となっていると考えられる。

back_to_Toppage
Copyright (C) 2005-2009 Tokyo University of Foreign Studies. All Rights Reserved.