Top page of the Project MEIS at TUFS
 
教育セミナー
  1. ホーム
  2. 教育セミナー
  3. 2008年度報告
  4. 長澤 榮冶

2008(平成20)年度 教育セミナー報告

長澤 榮冶(東京大学東洋文化研究所)

   「中東地域研究について考えること」

 講義は、地域研究とは教科書的概説が書きにくい研究領域なのではないかという指摘、また中東イスラーム研究の場合、近年、多くの辞典類を含めた出版物が出され「皆が歩けばそこに道ができる」というような状況にあるようにも見えるが、人文社会研究である限りは、奥山の道なき道を進む孤独な個人的な営為でしかないのではないか、という当たり前の議論から話をはじめました。しかし、研究は個人的営為であると同時に、以前の勤務先において直に感じさせられたことですが、政治的・政策的な制約を受け、さまざまな社会的意味や役割を持つものです。この点で講演者が尊敬するアジ研時代の先輩の一人、加々美光行さん(愛知大学)の『鏡の中の日本と中国』(日本評論社2007年)は、研究の自由と研究の社会的責任に関して、「目的論的価値判断」と認識の「客観性」の問題を論じており、地域研究の方法論に関する基本的な文献として一読をお薦めしました。さらにこうした方法論議を深める一方で、一言申し上げたかったのは、たんなる知的好奇心に導かれ、学問的満足を追い求める一歩先にあるものを見つけ(あるいは、そのようなものがあると信じて)、自分自身が研究と相対することもあるのだということでした。講義の後で、黒田安昌先生の回顧録『弱者の細道を行く−アメリカ中東研究に携わった日本人の研究者』(中東イスラーム研究の先達者たちNo.1 イスラーム地域研究東大拠点グループ2刊行物2008年:関心のある方は筆者か事務局までご連絡ください)の「はしがき」を書いていて思ったのは、研究、あるいはとくに人文系の学問とは何よりも人のこころを励ますためにあるではないか、ということでした。研究とは自分自身のこころを励ますとともに、他の人のこころを励ますところにその本義があるのではないかということです。このような狭い専門領域の奥に突っ込んだ研究が、はたして他の人のこころを励まし、勇気づけることができるのか、そう考えると大仰な物言いというしかありませんが、しかしそのような作品を、それが小品であれ大作であれ、書き上げる機会に恵まれるなら、それは望外の喜びです。またそうした仕事とともに、専門知識の切り売り、あるいはマニュアル的知識の反復ではなく、読者あるいは聴衆の各人に対し、時代の支配的な言説などに惑われずに自分自身の考え方を持つことができるように手助けをすることも、地域研究者の責任ある仕事ではないかということも申しました。これに関連して講義で述べたのは、決して講演者の専門ではないし、また実のところそれほど個人的には関心もないイスラームについて、その誤解や無理解の状況に対するコメントでした(とくにイスラーム経済論をめぐる陥穽)。その他、「風景画」から「人物画」へなどと下手なたとえを使って、自身の研究関心の推移を回顧し、現在取り組んでいる仕事、今後に予定している課題についても説明をいたしました。

back_to_Toppage
Copyright (C) 2005-2009 Tokyo University of Foreign Studies. All Rights Reserved.