インドネシア語新聞翻訳
2010年9月15日(水)
【レプブリカク紙】


シラトゥラヒムが時代に流される時

 イスラーム暦1431年のイドゥル・フィトリ(訳注1)初日の朝、西カリマンタン州、中央シンカワン、ロバン地区のウィスヌさん(55)の住居の雰囲気は、閑散としていたようだ。彼の住居隣の路地にあるモスクの拡声器から、タクビル(訳注2)の調べがまだかすかに聞こえる。

 例えば、去年のイドゥル・フィトリでは、この男性の5人の子供とその配偶者全員が、礼拝後32年前に建てられた簡素な家に集まっていた。スンケマン(訳注3)の儀式は、妻から始まり、そして子供、婿、孫と続けられた。イドゥル・フィトリの主要な儀式は常に「すすり泣き」に彩られていた。

 それぞれが、以前に犯した過ちや間違いを互いに詫びて、許しを請う。それから、通常は会食が行われたり、近親者、近所、または長老とみなされる方の家に〔旧交を深めるために〕挨拶に行く。

 また、いつも小遣いをもらいにやって来る近所の子供たちのことも、もちろん待っている。やって来る子どもたちにあげるために、ウィスヌさんも千ルピア〔約10円〕と2千ルピア〔約20円〕紙幣を準備していた。

 テレビのコマーシャルでよく放映されている、パック入り飲料が段ボール2箱分も出されていた。しかし、金曜礼拝をひかえた昼まで一人の子供も来なかった。「昨年はかわるがわる訪れたのに」とウィスヌさんは述べた。今年のルバラン2日目にも、そのような状況は感じられた。

 彼はついには結構遠い親戚の家に出かけ、シラトゥラヒム(訳注4)を行うことを選んだ。様々な話を時には面白がる仕草が〔可愛らしい〕ため、子供たちは彼のお気に入りの客だ。北シンカワン、スンガイ・ガラム村の主婦であるルスミナーさん(51)も同様に感じている。

 「子供たちは何処に行ったのでしょうね? 通常彼らはルバランなら、皆でわいわい訪れます」とルスミナーさんは述べた。ウィスヌさんと同様に、彼女も挨拶に訪れる子供の客のために小銭を準備していた。「彼らの小遣いのためのお金です」

 「小遣い」または「ポケットマネー」はルバランを迎えた子供たちが、家の主人のところから帰る際にもらえるお金の呼称だ。そのお金は通常、買い食い、ショッピングセンターでの遊び、おもちゃの購入などの様々な目的のために使われる。

テクノロジーの影響
 スンガイ・ガラム村出身の男性、サルワディさん(53)は次のように述べた。インターネットなどの先端技術にルバランの雰囲気は「負かされた」。例えば、中学1年に在籍する4番目の子供は、両親や他の兄弟と互いの過ちを詫びてから、インターネット・カフェへ遊びに行くことを選んだ。

 「朝から昼までです。インターネット・カフェで、結局もらったお金は全部使ってしまいました」と彼は述べた。彼もインターネット・カフェで子供が何をしているのか、はっきりとはわからない。「恐らくゲームか何かで遊んでいるのでしょう。彼は本当にコンピューターが好きです」とサルワディさんは述べた。

 インターネット・カフェのオーナーであるボゥオさん(35)は、ルバランであるのに、子供たちの客にあまり重要な変化はない、と述べた。「相変わらず賑やかです。多くの子供たちが他の仲間とオンラインゲームである戦争ゲームで遊んでいます」と彼は述べた。

 彼は客である子供たちの要求が高いために、〔ルバランの際にも〕開店することを選んだ。「飯の種だから仕方がありません。断られるべきではないのです」と彼は微笑みながら言った。彼はルバランの際にも働かなければならない、インターネット・カフェのオペレーターに追加賃金を支給した。

ピストル
 彼らの年齢には十分危険な遊びであるにもかかわらず、ルバラン休暇の際にはインターネットのほかにおもちゃのピストルも、シンカワンの子供たちのお気に入りの遊びとなっていた。土曜日(9月11日)に中央シンカワン、ロバン地区に住んでいる男の子マリダン君(10)は、友達と一緒に遊ぶためにおもちゃのピストルを買った、と述べた。

 「ルバランのお金はおもちゃのピストルを買うために〔使いました〕」と地元の国立小学校5年に在籍するマリダン君は述べた。彼は、同級生の友達と一緒におもちゃのピストルを購入するため、西シンカワン、ブリンギン市場の玩具店に出かけた。その価格は種類や大きさにもよるが、数万ルピア〔約数百円〕といったところで、子供たちの基準では十分いい価格だった。

 マリダン君の仲間であるシャイフル君(9)は、昨年のルバラン休暇にもおもちゃのピストルを買った、と述べた。「楽しいです。その遊びは本当の戦争のようです」とイプンという愛称を持つ彼は述べた。

 カリマンタン通りでは、数十人の男の子たちが東シンカワン方向に進んでいるバスの屋根に座り、おもちゃのピストルで、同年代の集団の子供たちに向けて弾を撃っているようだ。撃たれた集団の子供たちはその行動の仕返しをする。数か所の街角や居住地域に、子供たちはおもちゃのピストルを持ち込んだようだ。

 一方、シンカワン、ジェンデラル・スディルマン通りのリスワティさん(45)はその遊びについて憂慮している、と述べた。「子供たちはその危険性についてまだわかりません。彼らが考えるのは楽しみだけです」とリスワティさんは述べた。その子どもたちが戦っていて、目の部分に弾を受けたら最も危険だ、と彼女は続けた。彼女は子供のなかに犠牲者が出ることを避けるために、〔地方〕政府のしかるべき措置が行われることを期待する。
【antara,ed;heriruslan記者】

訳注
1) イドゥル・フィトリ: イスラーム暦10月1日で断食明けの祭日。イスラーム暦1431年のイドゥル・フィトリは西暦2010年9月10日にあたる。
2) タクビル: 「アッラーは偉大なり」と唱えること。礼拝の各動作を行う際には、この言葉が唱えられる。犠牲祭や断食明けの大祭(イドゥル・フィトリ)の際、その前夜にこの言葉を唱えつつ、子どもたちが地域を歩き回る慣習が行われる地域もある。
3) スンケマン: ひざまずいて手を合わせ礼をつくした挨拶の形
4) シラトゥラヒム: ルバランの帰省の際などに旧交を深めるために親戚や隣人の家を訪ねること

(翻訳者:川名桂子)
(記事ID:so1009151kk)

原題:Ketika Silaturahim Tergerus Zaman
http://koran.republika.co.id/koran/14/119041/Ketika_Silaturahim_Tergerus_Zaman


ISEA インドネシア語新聞翻訳 TOPへ

ISEA TOPへ