インドネシア語新聞翻訳
2010年7月9日(金)
【レプブリカ紙】


夜行旅・昇天行の英知を掴もう〔7月10日のムハンマド昇天祭に寄せて〕

 ある夜、アッラーの使徒ムハンマドは〔メッカの〕カアバ神殿近くのハーテイムにいた。突然、天使ジブリールが現れ、ムハンマドの胸を開き彼の心臓を取り出し〔メッカ大寺院の聖なる泉〕ザムザムの水で清めた。そしてその心臓の中に信仰心と英知とを封入した。

 その後ブーラックという名の一匹の動物〔天馬〕がムハンマドのもとに遣わされた。そしてムハンマドは、ジブリールに連れられブーラックに乗って〔エルサレムの地〕バイトゥルマクディスを目指して出発した。目的地に着いたムハンマドは、ブーラックを繋いでアクサー・モスク〔至遠のモスク〕(訳注1)に入り、そこで礼拝を2回行い、先達の預言者たちがそれに続いた。

 それからジブリールが一つには牛乳の入ったグラス、もう一つには酒の入ったグラスを持ってきてムハンマドにどちらかを選ぶように言った。ムハンマドは牛乳の入ったグラスを選んだ。ジブリールは「これがあなたの真の姿です。もし酒を選んでいたら、あなたの信者たちは必ずや〔信仰の道に〕迷ったことでしょう」と言った。

 ムハンマドはそれからブーラックにのって天に向かうようジブリールに勧められた。第一の天に至ったとき、ムハンマドは〔人間の祖〕預言者アダムに会った。それからムハンマドは第二の天に至り、預言者イーサ〔イエス〕とヤフヤ〔ヨハネ〕に迎えられた。第三の天に着いたときには預言者ユースフ〔ヨセフ〕に会った。第四の天では預言者イドリスに会い、第五の天では預言者ハルーン〔アロン、モーゼの兄〕に、第六の天では預言者ムーサ〔モーゼ〕に、そして第七の天では〔アラブとユダヤの祖である〕預言者イブラヒムと出会った。

 旅はさらにシドラトゥル・ムンタハ(訳注2)を目指して続けられた。そしてムハンマドは全世界の支配者創造主アッラーと会うためにジブリールを置いて、ムスタワを目指して出発した。その偉大で崇高な場所でムハンマドはアッラーから〔一日5回の〕礼拝のお勤めを行うべしという命令を受け取った。

 物質世界を超越したこの不思議な出来事は、夜行旅・昇天行と名づけられている。ムハマンドがメディナへ聖遷する一年前のイスラーム暦7月27日に起きた、この夜行旅・昇天行は英知と示唆に満ちた出来事だ。

 カイロのアル・アズハール大学卒のコーラン注釈の専門家ムクリス・M・ハナフィ博士は、毎年イスラーム暦の7月に記念行事〔ムハンマド昇天祭〕が行われる夜行旅・昇天行はイスラーム教徒にとって、個人的レベルにおいて、また宗教人および人間一般として、内省と信仰への誓いを強めるための契機だと述べている。

 「個人的レベルにおいては、この出来事はイスラーム教徒に、全能のアッラーはわれわれが直面する各問題に解決の道を示してくれることを思い出させてくれる」とこのアル・アズハール大学同窓会国際部インドネシア支部長は述べた。

 彼によると、夜行旅・昇天行は、ムハマンドが最愛の人物と伝道を支えてくれた人、すなわち彼の妻のカディジャーと伯父のアブ・タリブの二人を同時に失い、悲しみの中にあったときに起きたという。「その意味するところは、信心と信仰への誓いがしっかりしていれば、常に神の導きと助けがあるということだ」

 信者の観点から見ると、この夜行旅・昇天行は、他の預言者やその信徒に比較して、預言者ムハンマドと彼の信徒の優越性を示している。しかしこの優越性は単に誇るべきものではなく、人々の保護者の形で具体化されるものでなくてはならない、と彼は注意を促している。

 「それは、イスラーム教徒は他宗教の信者にとって恵みになることが出来なくてはならないと言う意味だ。この夜行旅の中で、他の預言者たちと共に集団礼拝をしたときにムハンマドが発揮した指導性は、預言者たちの連帯感を示しており、それは信徒たちにとっても習うべきことで、生活面で存在する違いを越えて連帯と平和を築かねばならないということだ」と国立イスラーム大学修士課程のこの教師は語った。

 インドネシア・ウラマ評議会マルフ・アミン議長は、現在の文脈では夜行旅・昇天行はある「向上」として意味づけるべきだと語った。「この昇天行は昇るという意味です。だから夜行旅・昇天行は、質の向上、信徒の福利を図るための活動の向上があるべきだという警告を意味している」とインドネシア大統領の諮問会議メンバーでもある同議長は述べた。

 ジャカルタのシャリフ・ヒダヤットゥラー国立イスラーム大学の教授であるフザイマン・T・ヤンゴ氏はムハンマドの夜行旅・昇天行の最も重要な英知は、一日5回の礼拝の命令であると述べている。

 ジャカルタのイスティクラル・モスクの尊師アリ・ムスタファ・ヤクブ博士は、イスラーム教徒は夜行旅・昇天行から意味と英知を汲み取らねばならないと述べている。イスラーム教徒はこれまで行ってきた礼拝を振り返ってよく考えてみるべきだ、と彼は述べている。

 「この礼拝はアッラーの神へのわれわれの服従と忠誠の象徴だ。この忠誠はモスクの中だけでなく、また〔礼拝をする〕数分の間のことではない。この忠誠は礼拝以外のときでも形にしなければならない。この礼拝は神に仕える者の神に対する服従の象徴に過ぎず、礼拝には礼拝のとき以外に意味があるべきだ。われわれは宗教の象徴に縛られるだけであってはならず、その真に意味するところを理解しなければならない」ジャカルタのコーラン学院ハディース学の教授でもあるヤクブ博士はこのように語った。

 彼は、信徒は宗教の象徴主義と形式主義にとらわれないようにと要請した。彼は、これまで教育方法は形式的な面を強調するだけで、本質的なことを傍らにおいてきた、と考えている。

 「例えば、ある人は学者や知識人になるように教育される。しかし、精神面での知性はおろそかにされている。結局、現在のように精神的に貧しい知識人たちが生まれているのだ」と彼は述べた。

 バンテン州、南タンゲランのルフール・ハディース・ダルス・スンナ・チプタット・イスラーム寄宿塾の指導者でもあるヤクブ博士は、精神面での知性と知識面での知性の統合の重要性を強調した。それにより理想的な世代、すなわち賢くて真摯な世代が生まれることを期待している。

 彼によると、夜行旅・昇天行はイスラーム教徒によって、いつであれ常に意味づけされるべきだ。「しかし、その意味は礼拝に戻るべきである。この出来事の重要性は礼拝のお勤めにあるのではないでしょうか。礼拝のお勤めの義務をいかに正しく意味づけるかです」


訳注
1) アクサー・モスク: このモスクの右壁の真下がユダヤ教の祈りの場所「嘆きの壁」であり、イエスが処刑されたゴルゴダの丘や復活の聖墓もすぐ近くにある。
2) シドラトゥル・ムンタハー: 食べると夢心地になるという果実をつける蓮


(翻訳者:山本肇)
(記事ID:so1007091hy)

原題:Menggapai Hikmah Isra Mi'raj
http://koran.republika.co.id/koran/52/114820/Menggapai_Hikmah_Isra_Mi_raj


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