インドネシア語新聞翻訳
2009年8月22日(土)
【メディア・インドネシア紙】


〔断食を通じて〕権力欲を制する

 ラマダーン(訳注1)月が来るたびに、われわれは欲望を抑えることの大切さについて改めて思い起こさせられる。欲望を敵とする戦いは非常に大切なものなので、イスラームの論点では現実の大きな戦争と比較しても、それよりずっと重要なものだとされている。

 何百万人というインドネシアのイスラーム教徒が、今日〔8月22日〕から始まる今年のラマダーン月のお勤めを果たすときも同様だ。欲望を制御するようにとの呼びかけがラマダーン月の1週間前からすでに聞こえていた。

 この呼びかけは騒然とした政治状況と、立法府および行政府における5年先までの権力の座を手にしようとする狩りの雰囲気のさなかで大変役に立つ。われわれが問いかけるべきことは、豊かな暮らしという理想主義をいつも二の次にしている権力狩りの森の中で、われわれは誠実な気持ちと明晰な頭脳で断食ができるだろうか、ということだ。

 ここにこそまさに、特にこの国の政治エリートが克服すべき問題が横たわっている。本来なら国民の豊かな暮らしを実現するための一番のエネルギーとなるべき権力への欲求が、しばしば権力の豪勢さだけが目的となって、ねじ曲げられてしまうことになる。

 このような状況の中でわれわれは、われわれの政治エリートがあらゆる規範を無視するどころか、権力を手に入れるために手段を選ばないところを、まだしばしば目にしている。豊かな暮らしを実現し正義を確立するという政治的な約束は、権力を手中にしてしまうと、約束のまま放っておかれるのだ。

 ラマダーン月もまた約束の違反や政治的な不誠実さのリスクの大きさについて、繰り返し述べている。政治エリートの胸にはまだラマダーン月の持つ諸価値は残っているのだろうか? 自分を選んでもらうために、有権者を惹きつける偽の約束を振りまいて断食し、そのあとはきれいさっぱりと忘れてしまう政治エリートたちはいかに口が達者なことか? 政治活動を行い、権力を行使する上での道徳的価値が、多くの声〔票〕に支えられさえすればいいという、手続き上の民主主義の実践にともなって弱体化するとき、断食はそれを思い出させるための警鐘となる。国民の信託への背反がひどくなる一方であるとき、断食はそれを正す手段になる。

 「空腹になったときだけ食べ、満腹になる前に止める」という教えは本来なら果てしない権力欲にブレーキをかけるものだ。断食は民族の生活の質をますます高いものにすべきものだ。

 政治分野での断食は、われわれの心を開き耳に痛い批判や提案を受け入れるようにするものだ。断食とは、単に夕暮れに多くの人にご馳走するために山ほどの食べ物を用意するオープン・ハウス(訳注2)のことだけではない。

 断食は常に幾千もの希望と天国の約束とともにやってくる。残念なことに、その宗教的なセラピーを何回も施しても、真に変わる者は未だ多くない。政治的ないろいろな約束に対する嘘とともに権力の不誠実さがまだはびこっている。

 この記事を通じて、われわれは恥の感情を持つよう飽きることなく提唱してきた。何度も断食をしてきて、ただ空腹と喉の渇きだけを覚えただけであるのなら恥ずかしい。権力に対する放埓な欲望を抑えることの失敗を繰り返し続けているのなら恥ずかしい。良き断食を!


訳注
1) ラマダーン: イスラーム暦9月 断食月
2) オープン・ハウス: ラマダーン月の断食中の日没後、およびラマダーン月終了後、知り合いや親戚、近所の人たちを呼んで食事をふるまうこと。家を開けておき、誰でも自由に出入りできることから、こう呼ばれている。



(翻訳者:山本肇)

(記事ID:so0908223hy)

原題:Mengekang Syahwat Kekuasaan
http://anax1a.pressmart.net/mediaindonesia/MI/MI/2009/08/22/ArticleHtmls/22_08_2009_001_010.shtml?Mode=0



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