インドネシア語新聞翻訳
2008年5月29日(木)


インドネシアのイスラーム伝道に影響を与えた華人イスラーム教徒

ジャワの9聖人であるスナン・クドゥス(注1)とスナン・ムリア(注2)は寛容な伝道をした。

【ジャカルタ】
 ナフダトゥル・ウラマ(注3)理事会、ハシム・ムザディ理事長は次のように述べた。インドネシアのイスラーム教は、特に華人のイスラーム教徒を通じて発展した。布教の特徴の一つは、イスラームに地元の慣習を取り込む伝道師たちの寛容性だ。イスラームは、華人以外に、南イエメンのハドラマウト地方やインド出身の宗教指導者からもインドネシアに入ってきた。

 水曜日(5月28日)にジャカルタで、ナフダトゥル・ウラマ理事会とインドネシア・マーケティング協会が開催した、中国イスラーム文化に関する国際セミナーで、同氏はこう発言した。同氏によれば、伝道師たちが訪れた頃インドネシアの人々は、既に入っていた宗教を信仰していたという。

 伝道師たちは、インドネシアの慣習をアラブの慣習に従わせようと、強いることはしなかった。彼らの伝道は、それ以前の宗教の良い点を取りこみ、より良いものとし、イスラームの価値に合わせることができたために成功した。例えば、イスラームが入ってくる以前からあった住居を建設する際のゴトン・ロヨン(注4)や、無償の奉仕労働の慣習などが挙げられる。「こうした活動は、イスラームの価値に合っており、それを発展させるだけでよかった」

 その他の慣習として、インドネシア人に馴染み深い先祖への敬意が挙げられる。「先祖を敬う慣習については、例えば水田などに供物を捧げることがあったが、これは先祖の霊に祈りを捧げるためのタフリランと呼ばれる会となった。しかし、その本質は先祖を敬うことで変わりない」と同氏は述べた。イスラームが全く認めることのできない慣習を除いて、伝道と改善の試みは穏やかに行われた。我々は信仰上、何が正しく何が間違っているかを知っているが、より重要なのは、どのようにメッセージを伝えるかだ。

 同氏によれば、現在イスラーム教徒の一部には伝道によって正しさを効果的に伝える努力が足りないという。彼らは意見が違う宗派を、少しずつ禁じたり、責めたりして、その結果として思いやりの念も生まれていない。

 思いやりと寛容性に富む伝道の試みは、スナン・クドゥス(ジャクファル・ソディック)も行った。「犠牲祭(注5)では、ヒンズー教では聖獣とされている牛のかわりに、水牛を屠殺することで、ヒンズー教の教義を尊重した。現在も、その地域は水牛のサテ(串焼き料理)や水牛の肉を使った料理で有名だ」

 他の講演者であるM.イヒサン・タンゴック氏は、次のように述べた。華人によるイスラームの布教は、1405年にジャワ島に初めて訪れた提督である鄭和(注6)とその部下が先駆者となった。「他にイスラーム教徒ハナフィー派(注7)・華人コミュニティーなどの他のイスラーム組織によっても行われた。それは1407年に西カリマンタンのサンバス地方で、それ以前にパレンバン(南スマトラ)などで結成された」

 同氏によれば、かつてのインドネシアの華人でイスラーム教徒の人々は、ただ単にイスラーム教を布教するためにインドネシアに来た訳ではないという。「むしろ外交の協定により始まった両国間の貿易を発展させるためにやって来た」と同氏は述べた。「華人のイスラーム教徒とインドネシアの原住民の結婚、彼らの中の出稼ぎ労働者の一部が定住したことで、現在にいたるまでインドネシアのイスラーム教の発展に多大な影響を与えてきた」

 一方、中国イスラーム協会、イサ・ガオ・ツェンフー副委員長は次のように述べた。イスラームは、中国には7-16世紀にわたる千年ほどの月日をかけて入ってきた。「1949年10月1日、中華人民共和国建国は、中国におけるイスラーム教の新しい幕開けとなった。中国の少数民族であるイスラーム教徒は、政治的な権利を得たばかりでなく、自由に宗教を信仰する権利も十分に享受した。そのため、イスラーム教徒には、熱狂的な愛国心と信仰心が高まった」

【osa記者】


注1) スナン・クドゥス: 15-16世紀にジャワにイスラーム教を伝えたとされる、ワリ・ソンゴとよばれる9聖人の一人。1546年にクドゥスにモスクを建立
注2) スナン・ムリア: 注1)のスナン・クドゥスと同じく、ワリ・ソンゴとよばれる9聖人の一人。ムリア半島の村に伝道を行ったとされる
注3) ナフダトゥル・ウラマ: 伝統主義的イスラーム組織
注4) ゴトン・ロヨン: 自発的相互扶助を意味するインドネシア語
注5) 犠牲祭: メッカ巡礼の終わりを祝う祭りで動物を犠牲にすることから犠牲祭と呼ばれる。犠牲にした動物の肉は貧者に分け与えられる。インドネシアでは山羊が犠牲にされることが多い。イスラーム暦の12月10日にあたる。
注6) 鄭和: 明の皇帝の命令により、15世紀初めから航海をし、世界各地に寄港した提督。イスラーム教徒であったとされている。
注7) ハナフィー派: イスラーム教スンナ派における、四大法学派の一つ


(翻訳者:川名桂子)
(記事ID:so0805291kk)

原題:Muslim Tiongkok Pengaruhi Dakwah Islam di Indonesia
http://www.republika.co.id/Koran_detail.asp?id=335574&kat_id=6



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