インドネシア語新聞翻訳
2008年2月15日(金)


アル・アズハールにてハムカ生誕100周年記念行事

ハムカのような偉大な人物が、若者たちに忘れられようとしているのは、非常に遺憾なこと

 南ジャカルタ、クバヨラン・バル地区のアル・アズハール大寺院では「ハムカ生誕100周年」の記念行事を行う。この記念行事は今日からこの寺院で始まる予定だ。

 アル・アズハール・イスラーム寄宿塾財団の報道発表によれば、この記念祭は金曜日の礼拝のあとの大集会で行われる。この大集会への参加者にはイスラーム防衛前線(FPI)代表ハビブ・リジク・シハブ氏、インドネシア・イスラーム伝道協会(DDII)理事長シャハダ・バハリ氏がいる。そのほか、インドネシア・ウラマ評議会議長コリル・リドワン氏、喜捨を集める全国組織の長ディディン・アフィドゥディン氏等の名前も挙がっている。

 ハムカ生誕100周年記念の他の行事として、公開対話、文化祭およびハムカに関する映画上映が予定されている。この行事には記念誌『ハムカ生誕100周年』の発行、ウエブ・サイト www.buyahamka.com の開設、およびハムカ図書館の開館等も含まれている。

 本名であるHaji Abdul Malik Karim Amrullahの頭文字からとったハムカ(Hamka)は、イスラーム法学者で、近代インドネシア・イスラームの精力的な作家でもあった。1908年2月16日に西スマトラのスンガイ・バタンで生まれ、1926年にジャーナリズムの世界に入り、ムハマディヤ(注1)の最初の機関誌である「ハティブル・ウンマ(注2)」を発行した。10年後には請われてマカッサルに新しく発行されたイスラームの機関紙「プドマン・マシャラカット(注3)」の編集長になった。

 ハムカは、文学者および詩人としても有名だ。彼の代表作品には、小説『カアバ聖殿の保護の下に』と『ファン・デル・ウエィク号の沈没』がある。1927年にメッカへの巡礼を済ませており、宗教学の分野では『タフシル・アル・アズハル』というコーランの注釈書を書いている。

 このイスラームの分野で偉大な人物は、インドネシアの近代イスラーム発展の歴史において最前線にいた。しかし、残念なことに最近彼の偉大性について学ぼうとする若者は多くない。ハムカの名前は、むしろ隣国、とくにマレーシアとシンガポールでよく知られている。西スマトラ、アガム県のマニンジャウ湖湖畔にあるハムカ博物館を訪れるのは、国内の観光客よりも隣国からの観光客のほうが多い。

 「ハムカのような偉大な人物が、インドネシアの若者たちに忘れられようとしているのは非常に残念だ。政府も彼の偉大性にあまり関心を払っていない」とムハマディアの議長ディン・シャムスディン教授は、以前ハムカ博物館を訪れたときに語った。

 ハムカ博物館となっているのは、ハムカの生家だ。この家は「ルマ・ガダン(注4)」スタイルに改装されている。ケロク44(注5)を過ぎた丘のふもとにあり、ハムカにゆかりのある品々を保存している。その中には彼の作品を揃えた図書室、杖、ベッド、椅子、書き物机などがある。

 シャムスディン氏は、ハムカほどの人物が自国であまり評価されていないのは皮肉だと述べた。それだけでなく、ハムカの名を冠した道路もない。「ジャカルタの主要道路の多くにはそれほど有名でない人名が使われている。ハムカのほうが彼らよりもずっと偉大であるのに」

 シャムスディン氏は、ハムカはインドネシア民族の性格の形成に功績があったと評価している。彼はハムカの知名度が高くない理由として、とりわけ中央政府からの広報が足りなかったためと説明している。彼は、マニンジャウ湖畔の博物館の運営にあたり、中央政府と地方政府の双方、特に西スマトラ政府がハムカの人物像を広めてくれることを期待している。



注1) ムハマディア: 改革派イスラーム団体
注2) ハティブル・ウンマ: 「信徒にイスラームの教えを届ける者」という意味
注3) プドマン・マシャラカット: 「人々の指針」という意味
注4) ルマ・ガダン: スマトラのミナンカバウ民族の伝統的家屋
注5) ケロク: 「曲がり角」の意味


(翻訳者:山本肇)

(記事ID:so0802151hy)

原題:Masjid Al Azhar Peringati Seabad Buya Hamka
http://www.republika.co.id/Koran_detail.asp?id=323563&kat_id=147



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