インドネシア語新聞翻訳
2008年2月14日(木)


ムシャデク、宗教冒涜罪で起訴される

【ジャカルタ】
 異端とされた宗派、アル・キヤダー・アル・イスラミヤ(注1)最高指導者、アブドゥスサラム、通称アフマド・ムシャデクは、最長5年の禁固刑に科される可能性がある。これは、2月13日(水)に南ジャカルタ地方裁判所で最初に行われたムシャデク法廷で、検察官チームの起訴状の中に記載された。「被告は、故意に宗教冒涜行為を行った」とムハンマド・ムハジル検察官チーム代表は発言した。

 検察官チームは、ムシャデクを刑法第156(a)条によって起訴した。自身をムハンマド後の預言者(使徒)とし、アル・キヤダー・アル・イスラミヤ内で布教する被告の行為は、イスラーム教に対する冒涜行為にあたるためだ。同チームは、次のように述べた。ムシャデクが布教する教義のうち、イスラームに反するとされるものは、1日5回の礼拝、ラマダーン月(注2)の断食、喜捨、巡礼という宗教的義務を信者に義務付けていない点だ。

 同チームは、「救世主」という称号を用い、自らをムハンマド後の預言者とする被告の行為は、イスラームの教義から逸脱した行為だとした。教義を説く上で、ムシャデクはイスラーム信者の信仰告白の2文節を「アッラーの他に神はなく、救世主(注3)はアッラーの使徒である」(注4)と置き換えている。「本来と異なる信仰告白とムハンマド後の使徒の正当化は、コーラン第33章第40項の内容に反する」とムハジル氏は付け加えた。

 起訴状には2007年10月に、ムシャデクと信者の集会が少なくとも6回行われたことが詳述されている。初日は2007年10月19日にスルバグナ・ビンタロ・ビルで(141人の信者が出席)、2日目(同年10月20日-103人)はジャカルタの技術評価応用庁ビルで、3日目(同年10月21日-125人)はジャカルタのホテル・ソフィアンで行われた。さらに4日目(同年10月22日-278人)はジャカルタのグラハ・BIPビルで、5日目(同年10月23日-189人)はジャカルタのホテル・マハラジャで、最後はジャカルタのラグナンのウィスマ・タニで160人の信者が参加して行われた。

 公判中、黒のサファリスーツを着たムシャデクは、落ち着いた様子だった。元バドミントン選手でもある彼は、被告席に座ると、検察官チームが起訴状を読むのに聞き入りながらしばしばうなずいている様に見えた。起訴状の朗読後、ムシャデクは裁判官に対し「すべて真実です」と答えた。

 しかし公判後、報道陣の追及に、ムシャデクは起訴状の内容のすべてが正しい訳ではないと伝えた。弁護士を通じた異議申し立てをしていないが、後に審問が始まれば立証が行われることになる。ムシャデクは、自身が行った行為に後悔はしておらず、次回公判に先立ち、責任を取る準備があると伝えた。「起訴内容を受け入れる覚悟はできている」

 公判の証人尋問は、来週水曜日(2月20日)まで続けられる予定だ。検察官チームのムハジル氏は、この訴訟に3、4人の証人が出席する可能性があると付け加えた。同氏によれば、出席予定の証人には、アル・キヤダー・アル・イスラミヤの関係者やイスラームの専門家も含まれているという。

 アル・キヤダー・アル・イスラミヤは、ムシャデクが、2006年6月から40日間、 西ジャワ州、ボゴール県、ブンデル山での修行を行ったことに始まる。その後同年7月23日、54人の信者の面前で、「救世主」を意味する称号を用い、自らがアッラーの使徒であると宣誓した。民間信仰団体監視調整本部(Bakorpakem)は、2007年11月9日の会議の結果に基づきアル・キヤダーを異端とし、インドネシアでの教義の布教を禁止することを提言した。同日ムシャデクは出頭し、メトロ・ジャヤ警察で過ちを認めた。

【dri記者】


注1) アル・キヤダー・アル・イスラミヤ: イスラーム系を自称する新興宗教団体。2000年にボゴール近辺の村に住む人物によって設立された。
注2) ラマダーン月: イスラーム月9月、断食月。イスラーム教徒はこの1ヶ月間、日の出から日没までの間、一切の飲食を絶つ。
注3) ここではムシャデクを示す。
注4) 本来の信仰告白は、「アッラーの他に神はなく、ムハンマドは神の使徒である」という二節になっている。



(翻訳者:川名桂子)
(記事ID:so0802141kk)

原題:Moshaddeq Didakwa Penodaan Agama
http://www.republika.co.id/Koran_detail.asp?id=323348&kat_id=59



ISEA インドネシア語新聞翻訳 TOPへ

ISEA TOPへ