2008年1月6日(日)

バイトゥルラーマンの「宗教ツアー」

 バイトゥルラーマン・モスク周辺は、バンダ・アチェの町の中心にあり、モスクは町の中心部に位置している。交通の流れもこのモスクが中心となり、そこを横切るのではなく一方通行で周りをまわるように作られている。

 モスクとパサール・アチェ市場付近は、夜になると屋台街となる。アチェ・コーヒー、非常に食欲をそそる香辛料の香りのミー・アチェ(注1)や他の軽食、ジャムー(注2)やキンマ(注3)まで売られている。キンマを売る店も、モスクの入り口の近くに沢山並んでいる。アチェ住民にとってキンマを噛むのは習慣の一つだ。老若を問わず好みに合わせ、辛いもの・甘いものもある。味付けされたキンマは3包みで1,000ルピア(約12円)だ。試してみたが、辛すぎて耐えられなかった。

 話の中心は食べ物ではない。モスクの美しさや津波にまつわる話にも、引きつけられる。(津波災害時に)人々がモスクへと避難し、壁に登っている映像を目にした方も多いはずだ。自然災害にあってもこのモスクは無事だった。

 モスクの建っているところが高いだけでなく、水が中に流れこもうとしないようだ。話を信じるかどうかは分からないが、モスク区域に入ろうとする水を阻む白い影を目にした人々がいたそうだ。波はせき止められ、モスクではなく違う方向へと流れていった。それを目撃したために、パサール・アチェ付近で商売をしていた数人の華人系のなかには、イスラームに改宗した人もいた。

 今日、バイトゥルラーマンは、伝道の一つの中心となっている。金曜日の宗教講話、礼拝時のアザーン(注4)、夜明けと日没の礼拝時の講話は、バイトゥルラーマンのラジオ放送を通じて聴くことができる。その声は澄んでいる。モスク区域では守らなければならない決まりがある。モスク内に入るには正装しなければならない。私たちは腕を覆う長袖の上着と、ぴったりとしたジーンズで十分だと思っていたが、それでは不十分だった。厳密に女性のイスラーム教徒の正装、つまり、丈が長く体の線を見せない服装でなければならなかった。

 着替えをし直しモスクに入った。内部の何と美しいことか。白い大理石、木造の装飾、飾りのついた灯りと、とても美しいデザインになっている。クーラーはないようだが雰囲気は涼しい。また、ここでは講話がはっきりと聞こえる。

 アチェは、現在イスラーム警察があることで知られている。これはメッカのベランダ(注5)の地での、イスラーム法施行に連動したものだ。そのため夫婦でないなら、しっかりと抱きついてバイクの二人乗りをしたり、公衆の場で親しくするのは厳禁だ。とりわけギャンブルが見つかったら大変だ。警察に捕まって公衆の面前で罰せられる可能性もある。

【siti darojah記者】


注1) ミー・アチェ: アチェ風の焼きそば
注2) ジャムー: インドネシアの伝統的な生薬
注3) キンマ: 噛む嗜好品。香辛料やビンロウジ(ヤシ科植物のビンロウジュの実)、石灰などを覚醒作用のあるキンマ(コショウ科の蔓性常緑多年草)の葉で包み、噛む。調合する香辛料で味付けを変えられる
注4) アザーン: 周辺に住むイスラーム教徒に対して、礼拝時間を知らせる呼びかけ
注5) メッカのベランダ: アチェ特別州のこと



(翻訳者:川名桂子)
(記事ID:so0801061kk)

原題: 'Wisata Religi' di Baiturrahman
http://www.republika.co.id/koran_detail.asp?id=318980&kat_id=166



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