2007年12月21日(金)

災害のさなかの祭日

 今年の犠牲祭(注1)はニノさんにとって、集団礼拝に参加できない祭日となってしまった。ゴロンタロ市(スラウェシ島)の数千人の住民と同じく、彼も洪水の被害を受けたのだ。「汚れた服しかないのです」昨日ベレ・リ・ムブイ避難民収容所で彼は言った。被災し、不安を抱えていた。

 一部の住民は、今までどおり祭日の集団礼拝を行おうとし、早朝水に浸かっていないモスクや広場へ出かけた。しかし避難所へ戻ると、水位がさらに高くなっていることに気がついた。ゴロンタロ市は洪水により機能が麻痺した。都市やオフィス街の中心部に溜まった水位は、1.3mまで達した。冠水した道路の数区間は、物乞いたちの場所となった。

 用意された生贄の動物の肉は、生のまま切り分けられるはずだったが、結局は調理され、避難民に分け与えられることになった。一部の地域では、モスクの広場も家も既に冠水したので、動物の屠殺は大通りの傍で行われた。東ジャワ州、マドゥラ島、サンパン市では、洪水の影響を強く反映した犠牲祭となった。しかし木曜日(12/20)昼から晩までの水害にもかかわらず、犠牲祭の雰囲気の厳かさが損なわれることはなかった。

隣人や親戚間で行われる親睦会と生贄の動物の肉の分配は、サンパン市のジャミック・モスクで、実行委員会により通常どおり行われた。「家の水位が1mに達しても、今までどおり親睦会を行います」と、サンパン市、ダルプナン町の住民であるヌルハムシャーさん(49才)は述べた。

 親睦会や食料の分配(マドゥラ語ではter-ater)は、イスラーム教徒の住民がまだ厳守している慣習だ。洪水の被災地である、パングン村やダルプナン町の数百人の住民にとって、モスクや礼拝堂は、親睦会を行うもう一つの場所となった。

   東ジャワ州、シドアルジョ県のパサル・バル・ポロン地域の泥流犠牲者(注2)の避難所でも、犠牲祭に厳かさが見られた。少なくとも400人の泥流犠牲者がこの地域にいる。シリン郡、クドゥン・ブンド村の、住宅地 TAS 1 に住む住民は、ブントゥン・ハイウェイブリッジの上で礼拝を行った。

礼拝時も動物の屠殺時も、シドアルジョ県庁の高官やラピンド社(注3)の幹部は、住民と共に行事に参加しなかった。住民がイニシアチブを取り、寄付提供者や彼ら自身から生贄の動物を集めた。その結果20匹の山羊と5匹の牛が生贄の動物として集まった。モスクがなくなったため、住民は市場の空き地や高速道路で礼拝をした。住民たちのモスクは、すでに泥の中に沈んでしまったのだ。夜はパサル・バル・ポロン地域周辺や土手の上などで、住民のタクビル(注4)の声がこだました。

 ポロン郡、ジャティレジョ村の住民ブホリさん(36才)は、次のように語った。泥流の犠牲者である住民の総意で、土手の上でタクビルを行った。彼らを襲った災害に、心を痛めたことを表現するのが目的だ。家は沈んでそこでは集まれない。それでも住民はなお、タクビルを行うことで一つになれるという、住民たちの統合の精神を示す意図もあった。

 彼らの今後は不明だが、泥流犠牲者の宗教的義務の精神が小さくなることはない。「会社側2割負担の損害賠償金の回答では諦めきれず、将来の見通しは立っていません。しかし、犠牲祭に生贄の動物を用意する義務なら、アッラーのお許しで行えるでしょう」と住民団体ムノラック・コントラック(パガル・リコントラック)のコーディネーターであるスナルト氏は述べた。

 西スマトラ州のガマワン・ファウジ知事は、犠牲祭は災害の犠牲者の住民にとっての至福の時となるべきだという。そのため、州都パダンでの犠牲祭の礼拝時に、住民が生贄の動物の肉や喜捨を、特にプシシル・スラタン県やムンタワイ県の被災地に分け与えることを、彼は希望した。

 「被災地の住民の多くが貧しいので、余裕のある住民がその地域の住民に、生贄の動物を分け与えるように呼びかける」と、ヌルル・イマン・モスクでの犠牲祭の礼拝時の挨拶で、ガマワン知事は述べた。パダンが豪雨に見舞われ、知事官邸の敷地が冠水したため、祭日の礼拝はモスクの中で行われた。

 今回の西スマトラ州の犠牲祭は、地震と津波のデマの影響も受けた。海岸の観光地は例年ほどにぎやかではなかった。「観光客の増加はないです」とパダン・ビーチの露天商であるティカさん(43才)は言った。焼くために用意したトウモロコシやバナナは、夕方になってもまだ山積みになっていた。

 犠牲祭の昨日の14時42分、ブンクル州ではマグニチュード5.2の地震が起きた。震源地は、ムコムコ県南西135km、深さは10kmだった。ブンクル地球物理気象局代表のアジャット・シドラジャット氏によれば、その地震が津波を起こす可能性はなかったという。

【ant/tok記者】


注1) 犠牲祭: メッカ巡礼の終わりを祝う祭りで動物を犠牲にすることから犠牲祭と呼ばれる。犠牲にした動物の肉は貧者に分け与えられる。インドネシアでは山羊が犠牲にされることが多い。イスラーム暦の12月10日にあたる。
注2) 泥流犠牲者: 2006年5月27日に東ジャワ州シドアルジョ件のガス田で発生した泥流噴出事故による犠牲者。今も収拾されず大きな社会問題になっている。
注3) ラピンド社: 泥流噴出事故を発生させたといわれている、ガス採掘を行っている会社
注4) タクビル: 「アッラーは偉大なり」と唱えること。礼拝の各動作を行う際には、この言葉が唱えられる。 また、犠牲祭や断食明けの大祭の際、その前夜にこの言葉を唱えつつ、子どもたちが地域を歩き回る慣習が行われる地域もある。



(翻訳者:川名桂子)
(記事ID:so0712211kk)

原題:Hari Raya di Tengah Musibah
http://www.republika.co.id/Koran_detail.asp?id=317535&kat_id=3



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