2007年12月13日(木)

犠牲祭12月20日に決定

インドネシア・イスラム伝道協会、見解は異なるが信徒の統一と一体感を尊重

【ジャカルタ】
 M. マフトゥー・バシュニ宗教大臣の数日前の通達により、政府はイスラーム暦(注1)の月の開始と終わりを決める会議を開催し、イスラーム暦1428年の12月1日は西暦2007年12月11日になることを昨日、正式に決定した。それに従い、イスラーム暦1428年の犠牲祭(注2)の日は12月20日(木)となった。

 昨日、インドネシア西部時間の14時から15時に開催された、この決定会議に出席したイスラーム団体の大多数は、政府の見解に同調した。ただ、インドネシア・イスラーム布教協会(以下DDII)だけは、犠牲祭の日をサウジアラビアの最高裁判所の決定に従って12月19日(水)と定めている。

 宗教省イスラーム指導局ナザルディン・ウマール局長は、このような見解の相違が生じたことで問題が起こらないことを期待するとし、ジャカルタ宗教省での決定会議を主宰したあと次のように語った。「イスラームの友好を第一に考えて欲しい」

 マフトゥー・バシュニ宗教大臣が現在巡礼団団長としてサウジアラビアに滞在しているため、代理としてバッハルル・ハヤット次官が、大臣令124/2007によってイスラーム暦12月1日と犠牲祭の日を正式に決定した。決定会議には、宗教省のヒサブ・ルクヤト部(以下BHR)(注3、4)ムフタル・イリヤス部長、宗教省次官でインドネシア・ウラマ評議会(注5)ウマール・シハブ議長が出席した。

同日の必要はない
 犠牲祭の日の取り決めは、決定会議に出席したいくつかのイスラーム団体とその他の組織の見解に基づいている。この会議の参加者は、ナフダトゥル・ウラマ(注6)(以下NU)のキヤイ・ハジ・ゴザル・マスルリ氏、ムハマディア(注7)のハジ・ムハマド・マッリファト・イマン氏、イスラム同盟(注8)のハジ・ムハマド・イスカンダル氏、アル・ワリシヤー(注9)のハミド・アジジ氏、航空宇宙審議院(注10)のジャマルディン氏、バンドゥンのボスチャ天文観測所のムジ・ラハルト氏だった。

 キヤイ・ハジ・ゴザル・マスルリ氏は、この会議の決定は犠牲祭の日を12月19日としたサウジアラビアの決定とは異なるが、受け入れられるのが望ましいと語った。「これがイスラームの同胞愛を損なうことはない」とこのNUの天文学委員会議長は語った。ムハマディア中央指導部の法学および改革審議会のハジ・ムハマド・マッリファト・イマン氏も、ムハマディアもインドネシア政府の決定会議と同じ結論を出したと語った。「サウジアラビアの決定と同じである必要はない」

 一方、DDIIの裁定会議議長シャムスル・バッハリ氏は、DDIIの見解は政府の決定とは異なることを明らかにした。彼はサウジアラビア政府による犠牲祭の日に関する国際的な定めに言及した。それは、12月18日のアラファートでのハジ・ウクーフ(注11)の1日後を犠牲祭とするものだ。そしてイスラーム教徒にとって最大の祭日である犠牲祭は、国際的に認められた日、つまりサウジアラビアが定めた12月19日に合わせるべきだと述べた。「しかし、友好と統一と一体感を提案する点においては、他の団体と意見を同じくしている」と発言している。

合意の過程
 宗教省BHRムフタル・イリヤス部長は、イスラーム暦12月が始まる日に向けての朔(注12)の合意は、12月10日(月)に、インドネシア西部時間零時41分に新月の高さが4度から6度30分の高さとなったことに基づくものと説明している。「2007年12月9日(日)の月齢観察ではインドネシア全土で新月は、まだ地平線下5度30分から3度30分の間にあったので、この日をイスラーム暦1428年11月29日とした」(注13)

   24地点で行われた12月9日(日)の新月観察実施の報告では、イスラーム暦12月1日のこの日、新月は見られなかった。一方、マレーシアはすでにイスラーム暦12月1日は現行暦の12月11日にあたり、そのため犠牲祭は12月20日になると言明していた。「BHRは2007年3月16−18日にボゴール県チパユンで行われたヒサブ・ルクヤト評価作業会議で、イスラーム暦12月1日を現行暦12月11日とすることで合意していた」とムフタル・イリヤス部長は明言した。隣国のマレーシア、ブルネイはこの件に関してインドネシアと同様だ。



注1) イスラーム暦: ヒジュラ暦とも言う。預言者ムハマンドがメッカからメディナへ移住した西暦622年を紀元とする。月の運行を基本とする太陰暦で1年が太陽暦より11日短い。
注2)  犠牲祭: メッカ巡礼の終わりを祝う祭りで、動物を犠牲にすることから犠牲祭と呼ばれる。犠牲にした動物の肉は貧者に分け与えられる。インドネシアでは山羊が犠牲にされることが多い。イスラーム暦の12月10日にあたる。
注3) ヒサブ: 計算の意味。
注4) ルクヤト: 月齢を読むこと。イスラーム法の規定により毎月の開始は新月を見て決めなければならないが、空が曇っていて見えない場合は1ヶ月の日数が29日または30日と定められていることをベースとして計算(ヒサブ)によって決める。
注5) インドネシア・ウラマ評議会: 宗教学者が様々な問題に対し、イスラーム法に基づいた見解を示す官製の法学組織
注6) ナフダトゥル・ウラマ: 伝統主義的イスラーム組織
注7) ムハマディア: 改革派イスラーム団体
注8) イスラーム同盟: インドネシア初の大衆的民族運動組織 注9) アル・ワシリヤー: 1930年スマトラのメダンで設立されたイスラーム系社会団体
注10) 航空宇宙審議院: 航空政策に関する大統領の諮問機関
注11) ハジ・ウクーフ: メッカ巡礼の際に行われる重要な儀礼の一つ。巡礼者はメッカ郊外のアラファートに集まり、朝から夕方までアッラーに祈り、コーランを読誦する。この儀礼なしにメッカ巡礼を終えたことにならない。
注12) 朔: 月が地球から見て太陽に最も近い位置に来る状態のこと。このとき月の明るさは基本的にはゼロになる。イスラーム暦では朔のあとに月が西の空に初めて見えた日が月の始まりと決められている。一般的に新月とは朔ではなくこの月を指すことが多い。
注13) 新月の高さとは日が沈んだときの西の空における月の位置。ジャカルタの2007年12月9-12日の月出・月没の時間および日の出・日没の時間からは、12月9日の日没時には月は既に地平線下に沈んでおり観察できなかったことが分かる。そのため、記事で12月10日の零時41分に新月が見えたとあるのは、19時41分の間違いと考えられる。(確認不可)



(翻訳者:山本肇)
(記事ID:so0712131hy)

原題:Idul Adha 'Resmi' 20 Desember
http://www.republika.co.id/Koran_detail.asp?id=316920&kat_id=3



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