2007年7月20日(金)

喜捨は税収を減らさない

 インドネシア人の納税意識は、依然として低い。その指標である納税比率は、国内総生産のわずか13.6%で、ヨーロッパ諸国や米国の平均33%よりも低い。税は、歳入の主たる源泉(国家予算の78%が税収)で、政府が徴税額の収増を図り、努力を続けているのは当然のことだ。その結果、徴税額は増え続けているが、その努力はまだ十分に成功しているとは言えない。雑誌「税通信」2003年4月号によると、潜在納税義務者2億1千万人のうち納税者として登録されているのは、わずか230万人である。

 人々が税に「アレルギー反応」を起こすのには、多くの理由があるが、とりわけ人々が税金に見合うだけの十分な行政サービス受けていないと感じていることがあげられる。また、イスラーム教徒の一部は、喜捨(注1)と税の二重の支払いがあるため、税の支払いに難色を示している。インドネシアでは、喜捨する人にも納税の義務がある。当然、イスラーム教徒は、納税よりも喜捨のほうに喜んで応じる。喜捨は、まだ受け手に直接支払われる伝統的な方法で行われているため、受ける人々に社会的な力をつけさせる影響力に欠ける。

 イスラームは、税が各国民の義務であることを認めている。イスラーム教徒は、国民として政府に従う義務がある。問題は、現在適用されている税が、イスラーム法の定めに合致しているのかということである。税法典の中で、アブ・ユスフ(西暦798)は、農地にかける税を農業の喜捨に代えることを提案している。つまり、その土地の価格に基づいた計算でなく、収穫量に応じたものにするということだ。同様に、商業税も商業の喜捨制度に代えるべきだとしている。

 この税と喜捨の二重構造は、喜捨の運営に関する1999年法律第38号、所得税に関する2000年法律第17号によって、喜捨は課税所得から控除として認めるということで妥協が図られている。

 残念なことに、喜捨は費用として認められているだけであるため、税支払いに対する効果は比較的小さく、まだこの規則が税収増にも喜捨増にも十分効果的であるとは言えない。もし、喜捨として支払った金額が納税額から差し引かれるのであれば、二重支払いがなくなり、イスラーム教徒にとって大変ありがたいことになる。

 最近、1999年法律第38号の修正、2000年法律第17号の改訂を望む声が大きくなり、議論がなされている。喜捨が税額控除となるよう、さまざまな提案が出されている。

 この要望には、全く根拠がないわけではない。米国やヨーロッパ諸国では、個人、または企業が提供した寄付金は、政府によって税支払いの一部とみなされている。マレーシアでは、支払われた喜捨は税額控除として認められている。このインセンティブによって、喜捨する人たちは、喜捨をしかるべき機関(喜捨を集める機関)に競って支払っている。

 喜捨が税額控除となれば、税収が減少するのではないかと心配する向きが一部にある。しかし、その心配には根拠がない。喜捨受け取りが、税収を大きく減らすことはないだろう。特に所得税法21条では、所得に対する税率が30%であるのに対し、喜捨の料率は比較的低く2.5%だ。全国の従業員の所得税納付額は、推定計算(全国の従業員の合計所得が125兆ルピア、税率20%)に基づくと25兆ルピアで、喜捨の納付額は(125兆ルピアの2.5%として)わずか3兆2千億ルピアだ。

 これまでの経験から、喜捨が税収を減らすのではないかという心配は、杞憂だと言える。ディディン・ハフィドゥディン教授は、マレーシアにおける2001-2006年の喜捨と税の受け取りデータを示し、喜捨の増加が税支払いの増加を伴っていることを指摘した。つまり、喜捨が税額控除となるなら、喜捨も税収もかえって増えるのだ。思い切ってこの例にならってみるのは、どうだろうか?

【エミー・ハミディヤー記者】

注1)ここでの喜捨の原語は「ザカート」で、「定めの喜捨」とも言われるイスラーム教徒にとって宗教的義務である。そのため、税率に相当するもの(通常所得の2.5%)があり、徴収機関がある。


(翻訳者:山本肇)
(記事ID:so0707201hy)

原題:Zakat tak akan Kurangi Pajak
http://www.republika.co.id/Koran_detail.asp?id=300751&kat_id=483



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