インドネシア語新聞翻訳
2010年2月26日(金)
【デティック紙】


ムハンマド、実に誠実なモラリスト

【ジャカルタ】
 トルハー・ハサン前宗教大臣は、大統領官邸で行なわれた預言者ムハンマド生誕祭において、生誕祭に含まれている教訓の語り手をつとめた。スシロ・バンバン・ユドヨノ大統領とブディオノ副大統領が出席したその行事において、トルハー・ハサン師は、不誠実さが全くなく、モラリストである指導者としての預言者ムハンマド像について語った。

 「ムハンマドは世界で最も影響力のある人間だ。モラリストで、正直で、そして責任感が強い」木曜日(2010年2月25日)の晩に、ジャカルタのヴェテラン通り沿いに位置する大統領官邸で行なわれた預言者ムハンマドの生誕祭に際して、同師は数百名の出席者の前でそのように賞賛した。

 その行事には、友好国の諸大使、第2期インドネシア統一内閣の諸大臣夫妻、国家高等機関の首脳たちが出席した。

 同師によれば、ムハンマドはメディナへの聖遷から10年間、イスラーム指導者として全盛期を築いたという。その時代にムハンマドは、イスラーム教徒に愛され、極めて十分な支持を受けた。

 「当時のメッカの住民の反応は、メディナとは異なっていた。ムハンマドは封建主義や権威主義を民主主義に変革しようとしていたからだ」とこの東ジャワ州マランにある大学生向けのアイヌル・ヤキン・イスラーム塾の管理者〔でもある同師〕は述べた。

 ムハンマドを愛していたのはイスラーム教徒だけではない。それどころか、その時代末には非イスラーム教徒コミュニティも、さらに強い敬意をムハンマドに抱いていた。トルハー師の話によれば、その時代のユダヤ系知識人であるアブドゥッラー・ビン・サラムは、ムハンマドの姿をどうしても拝謁したかったという。

 「私は自らムハンマドに拝謁したかった。私は拝謁すると心を奪われた。そして私はこの人物(ムハンマド)の崇拝者となった。何故か? 初めてムハンマドに拝謁した時、誠実な人物だと私は確信した」とアブドゥッラー・ビン・サラムを例に挙げて、トルハー師は述べた。

 そしてついにアブドゥッラー・ビン・サラムも、誠実な顔立ちのハンマドに拝謁すると、イスラームに入信した。同師は続けた。ムハンマドは信徒や〔他の信徒を含む〕人間同士とも常に調和のある関係を築いた。ムハンマドは、文化的、宗教的、倫理的、民主主義的で穏やかなイスラーム教徒社会の先駆者でもある。

 ウサマー・ビン・ザイドというムハンマドの教友にまつわる話では、次のように語られている。金持ちで高貴であるが罪を犯したアラブ人を釈放するように、彼はムハンマドに要請した。ムハンマドはその要請も断固として断った。

 「貧乏人は取り締まられ、高貴な集団の出身ならば刑罰から釈放されるこのようなやり方こそ間違っている。私は〔それは〕したくない」トルハー師によれば、ムハンマドはそのように述べたという。

 ムハンマドはメディナとその周辺の、種族や宗教の異なる住民を統一したと考えられている。ムハンマドは、非イスラーム教徒に対して、それぞれの宗教の教義に合わせて宗教的義務を行なう自由も与えた。

 「メディナ憲章(訳注1)にも明記されているように、多元的な住民を持つメディナでのイスラーム国家の草分け〔的存在〕だ」とトルハー師は締めくくった。
【anw/rdf記者】


訳注1) メディナ憲章: ヒジュラ(622年、ムハンマドのメッカからメディナへの移住)後間もない頃に作成された、預言者ムハンマドと「彼らに従う者たち」との間に綻ばれた盟約。メディナ憲章は、イスラムにとって最初の成文法である。

(翻訳者:川名桂子)
(記事ID:po1002265kk)

原題:Muhammad, Pemimpin Moralis yang Tak Berwajah Pembohong
http://www.detiknews.com/read/2010/02/26/074051/1307194/10/muhammad-pemimpin-moralis-yang-tak-berwajah-pembohong



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