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インドネシア語新聞翻訳
2009年6月24日(水)
【レプブリカ紙】
副大統領候補者、宗教問題で激しい議論
【ジャカルタ】
昨晩(6月23日)の副大統領候補たちの討論は、宗教と国家の関係の問題を討議した時に、一時最高潮に達した。このセッションでは彼らの意見は異なっていた。
しかしそれ以前のセッションでは、お互いの批判はなかった。ウィラント氏はブディオノ氏の応答を批判し、この(ブディオノ)元経済担当調整大臣もその批判に応じた。ブディオノ氏によれば、宗教は崇高なものであるべきで、実際の政治の対象にはならないという。
他の集団にダメージを与えない限りは、宗教の自由に責任を負うのが国家の役割だ。「我々と神の関係は非常に聖なるものであるから、宗教は政治を超越した存在であるべきだ」とブディオノ氏は述べた。
ブディオノ氏の発言には切れ味が悪いところがあると、ウィラント氏は見なしていた。「ブディオノ氏の伝えることは規範的ではあるが、実際には混乱を招く」と元インドネシア国軍司令官が述べると、出席者は拍手で迎えた。
「たしかに宗教と政治は、本質的な意味においては関連がある。宗教の道徳的価値は政治のルールに引用される。政治の目的は豊かな暮らしであることから、結果として、規範があり、調和がとれ、敵対しない政治が存在するようになる」とウィラント氏は続けた。
宗教は確かに聖なるものだが、宗教の本質は本来ならば政治に吸収されるべきだ。「政治は全てのやり方を許可してはならない。そうすれば我々は規範のある政治活動をすることができる」とウィラント氏は述べた。
この批判に対してブディオノ氏は応じた。「同意しない訳ではない。ただ問題なのは、現実の世界では言葉と行為は異なるということだ。これが重要だ。我々が互いに言葉と行為を一致させ、自分自身に正直であれば、我々は安心して、穏やかに、豊かに暮らせると思う。」
このテーマにおいて、プラボウォ氏はブディオノ氏と同意見だと述べた。「宗教は確かに実際の政治分野の上に位置するべきだ。宗教は聖なるもので、国家は宗教の自由を保証し、また国家は社会のまとめ役であり、保護者でもある。宗教と実際の政治は切り離されるべきだ」と(プラボウォ)元インドネシア国軍(陸軍)特殊部隊司令官は応じた。
政治評論家のエコ・プラソジョ氏は、3人の副大統領候補に(10点中)7の評価をつけた。「私が理解したところでは、3人とも実力が伯仲している」
ケースバイケースで全体にわたる応答を観察すると、彼らには同等の能力がある。「3人ともそれぞれ長所と短所がある」とエコ氏は評価した。
プラボウォ氏は自立的経済について多くを述べ、ブディオノ氏は清廉な政治に関して何度も触れている。一方ウィラント氏は、リーダーシップの問題について何度も強調している。
基本理念と使命の発表時の最初の時点では、ブディオノ氏が確かに優勢だったことをエコ氏も認めていた。しかしライバル2人の応答を見て、最後には3人の評価は互角であると同氏も見なした。「ウィラント氏の非中央集権化問題とプラボウォ氏の教育問題に対する意見(または答え)が非常に素晴らしかったと私は思う」
エコ氏によれば、3人が互いに質問を投げかけていることもあり、昨日の副大統領候補の討論は大統領候補の討論より進展しており、これは、異なる意見を討論することにあまり馴染みがない民族の慣習を克服したものだったという。
インドネシア大学社会政治学部の政治研究センターのスリ・ブディ・エコ・ワルダニセンター長によれば、3人の発言の相違は表現方法だという。「プラボウォ氏とウィラント氏は確かに聴衆をつかんでいる」
宗教と国家の関係については、全ての候補が規範的に述べている。「3人とも世俗主義の賛成派で、彼らは討論で『宗教国家」支持者に見られないように、宗教と政治の位置づけに配慮していた」と同センター長は解説した。
各副大統領候補者の基本理念、使命、プログラム
プラボウォ・スビアント副大統領候補(メガワティ大統領候補のパートナー)
民族のアイデンティティーの確立は、政治的に独立して既に64年間経過したとはいえ、現在まだ弱い国民経済の問題とは切りはなすことはできない。世界銀行の基準(1日あたりの支出が2万ルピア《約188円》以下の住民を貧困者とする)によると、インドネシア国民のおよそ1億5千万人が貧困者として生活している。
現在起こっている状況は、国外へ資産が流出することだ。そのため民族のアイデンティティー確立のため、国民経済プログラムを通じて、インドネシアは自立した民族となり、全て資源を我々国民のために利用するように、導かなければならない。
重要な問題(つまり負債を救い、国家資産を流出し続けず、安い労働力と主要原料を供給するだけの民族になることから脱出する問題)を解決せずに、現在の資産と経済開発の功績を享受しているのは、一握りの人間だけだ。
ブディオノ副大統領候補(ユドヨノ大統領候補のパートナー)
我々の決意は、民族のアイデンティティーを高め、揺るぎないものにするために、清廉な政治を実現することだ。
民族のアイデンティティーは4つの基本的な合意により成り立つ。つまりパンチャシラ(訳注1)、1945年憲法(訳注2)、インドネシア共和国統一国家、多様性の中の統一だ。この4つの基本により、我々は、我々や他の民族を見つめ、神の前に位置づける上での心構えを持つ。
民族のアイデンティティーは、グローバルな時代には、時代の変遷に対してオープンで、生きた概念でもある。我々のナショナリズムは、国際的なタマン・サリ(ここでは国際的な土俵を指す)でだけ豊かに成長していくことができ、教化、抑圧、暴力によってではなく、国民の正義感や自尊心を強化し、平等な国民の福祉感を高めることにより構築されるとブン・カルノ(訳注3)は述べていた。
アイデンティティーは4つの柱、つまり国の文化、国の政治、国の経済、国の法律により支持される。
その清廉な政治こそが、民族のアイデンティティーを確立する鍵だ。清廉な政治は正義感、自尊心、福祉感を強化する。
ウィラント副大統領候補(カラ大統領候補のパートナー)
インドネシアは可能性のある国であり、かなりの優越性もあり、現在のような運命であるべきではない。
現在異常な劣化が起こっている。パンチャシラはもはやあまり口にされず、ましてや実践されていない。しかし、現在のようなインドネシアを世に送り出したのは、パンチャシラだ。
インドネシアにはまだ債務があり、(世界で)第4位の債務国と見なされている。政治は豊かな暮らしを実現しておらず、民族の間で分裂している。
アイデンティティーが重要だ。もしこれが無ければ、国民は指針を失い、社会を営めず、国家をなせず、他の諸国の標的となるからだ。
すでに失われたかのような民族のアイデンティティーを、再び揺るぎないものにするための改善の意思が持たれるべきだ。
そのためには、強い指導者と大胆な政策が必要であり、非常に強いプログラム・メソッドで基本理念を決定し、公正で、競争力があり、自立し、尊厳のあるインドネシアを実現することが必要だ。
訳注
1) パンチャシラ: インドネシア共和国の建国5原則(唯一神への信仰、公平で文化的な人道主義、インドネシアの統一、協議と代議制において英知によって導かれる民主主義、インドネシア全人民に対する社会正義)のことで、代々の政権が国是としてきた。
2) 1945年憲法: インドネシア共和国独立の際に定められた憲法。1950年8月〜1959年7月の間を除きインドネシアの憲法とされてきた。スハルト独裁体制崩壊後、民主化にむけて一連の改正が行われている。
3) ブン・カルノ: スカルノの愛称
(翻訳者:川名桂子)
(記事ID:po0906241kk)
原題:Isu Agama Bikin Panas
http://www.republika.co.id/koran/14/58133/Isu_Agama_Bikin_Panas
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