インドネシア語新聞翻訳
2008年7月8日(火)


「明白なイデオロギーなしにイスラーム政党の勝利はあり得ない」

【ジャカルタ】
 日常生活において実現しうるイデオロギーがなければ、イスラーム政党の勝利はあり得ない。「現在、イスラーム政党にはこのような焦りがある。明確な計画を伴う実現可能なイデオロギーがなければ、国民の支持が得られないため、イスラーム政党の勝利は難しいだろう」月曜日(7月7日)にジャカルタで、モハマド・ナシール(注1)思考と闘争の100周年記念行事の代表者、ラオデ・M・カマルディン名誉教授は語った。

 ラオデ氏によれば、スカルノ体制時代に存在したマシュミ党(注2)は、モハマド・ナシールの指導力のもと、教育、経済、社会、政治、宗教の部門で明白なイデオロギーを持つイスラーム政党として登場した。

 ラオデ氏は次のように述べた。1945年11月7-8日にジョクジャカルタで、インドネシア・ムスリム協議会の際に創立されたマシュミ党は、宗教性を持つ社会正義の実現に非常に力をそそいでいた。マシュミ党の最も顕著な活動は、教育面におけるものだった。同氏によれば、M・ナシールがマシュミ党から首相になった際、一般学校での宗教教育、さらに宗教学校で一般教育が導入されることになった。

 「ヌルコリス・マジッド氏(通称チャッ・ヌル:注3)は、公立学校への宗教教育と宗教学校への一般教育の導入は、ナシール内閣の成果であることを真に認めている」とルクマン・ハキム氏は付け加えた。ハキム氏はM・ナシール思考と闘争の100周年記念行事の委員長だ。それ以外に、M・ナシール時代には7つのプリブミ(注4)財閥も生まれた。

 M・ナシール首相時代に誕生した財閥の一つは、現在インドネシアで最大の企業の一つとなっているアフマッド・バクリーだ。M・ナシール生誕100周年記念行事を前に、委員の政治家や国の要人は協力し、その元首相が執筆した本を数冊再出版する予定となっている。

 それ以外にも、M・ナシール生誕100周年を記念して、英雄の称号(注5)をまだ与えられていない国の要人についてのドキュメント映画も完成する。ラオデ氏によれば、そのカエルル・ウマム監督のドキュメント映画は、Oneテレビやインドネシア国営テレビ(TVRI)などのいくつかのテレビ局で放送される予定だという。その映画は、M・ナシール100周年記念行事が盛り上がる頃に放送される予定だ。

【hri記者】


注1) モハマド・ナシール: (1908-1992)スマトラ島出身のイスラーム改革主義の政治家、思想家。マシュミ党で活躍し、大臣、首相を務める。1958年に中央政府に対しスマトラに設立されたインドネシア共和国革命政府の副首相となったことから、逮捕・投獄・自宅軟禁を経て、政治活動への参加を禁じられた。
注2) マシュミ党: スカルノ体制期のイスラーム政党。1958年に中央政府に対しスマトラに設立されたインドネシア共和国革命政府への関与から、非合法化された。また、政党設立はインドネシア独立後であるが、それ以前には社会・宗教団体として同名の組織が存在した。
注3) ヌルコリス・マジッド: (1939-2005)イスラーム研究者で、イスラーム知識人として知られる。
注4) プリブミ: もとからの住民を意味する語。ここでは、経済的な力を握る中国系のインドネシア人でない人々という意味で使われている。
注5) 英雄の称号: 国に貢献した故人に対し、インドネシア政府から贈られる称号


(翻訳者:川名桂子)
(記事ID:po0807081kk)

原題:'Tanpa Ideologi yang Jelas Parpol Islam Sulit Menang'
http://www.republika.co.id/Koran_detail.asp?id=340529&kat_id=43



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