2007年5月10日(木)

宗教が政治分野で利用されるものとなる

 5月9日(水)にジャカルタのナフダトゥル・ウラマ(注1)のビルで宗教間対話が行われた。この対話の要点となったのは、宗教が政治分野で利用されており、その結果抗争が頻繁に起きているということであった。対話の場でナフダトゥル・ウラマの議長ハシム・ムザディ氏は、最近東ジャワで起きた抗争の実態、つまり教会に対する襲撃、マランで起きたイスラーム教に対する侮辱、5月初めにジョンバンで新約聖書からの引用が挿入されたコーランが印刷されたことを報告し、「われわれ信者の平安を乱す人々が存在していることは明らかだ」と語った。

 この対話には、ジャカルタ・カトリック大司教のジュリウス・ダルマアトマジャ枢機卿、インドネシア教会連盟議長のアンドゥリア・A・イエワンゴー牧師も参加した。イスラーム教徒とキリスト教徒は扇動の犠牲者だ、とハシム氏は述べ、「ガソリンを入れたボトル2本だけで両者の間で戦いが起こりうる。教会が1ヵ所焼かれ、モスクが一ヵ所焼かれれば、後は抗争が一人歩きする」と語った。

 この抗争の引き金を引く第三者が、抗争を非常に楽しんでいるようだとハシム氏は見ている。これは、とても奇妙で社会的な病だ。「こうした信者は、他人を助けるより他人を傷つけることで、神の恩恵を得る方を好んでいる」とハシム氏は続けた。

 インドネシアの人々がすべきことは、他にもまだ多数ある。例えば、貧困や無知といった深刻な状態の解決だ。宗教の教えを侵すものは特定の利害と関係している、とハシム氏は説明する。一例として、イラクでのスンニ派とシーア派の衝突は、アメリカの侵略後に起こり、それが後にテロリストという言葉を登場させた。「シーア派とスンニ派は、実際には千年以上平穏に暮らしてきていた。今になって対立が起こったのだ」

 ハシム氏が問題としているのは、他の宗教や利害を尊重することなしに、それぞれの宗教内の問題解決に取り組めるかということである。さらに犯罪行為が犯罪者から信徒へと移行し始めているとし、「そうなったときには、われわれは破滅だ」と語った。

 社会には今二つの傾向、つまり混合主義と相対主義が現れつつある。「多民族国家のインドネシア人として、われわれは成熟した信仰を持つことを求められている」とイエワンゴー牧師は語る。

 成熟した信仰とは、宗教上の違いがあっても、互いに寛容の姿勢を育みながら社会の中で生きていくことだ。宗教は普遍性と特殊性の二面を持っており、この対立する二面の中から、それを克服する道を探ることが重要だ、とイエワンゴー牧師は述べた。

 一方、ダルマアトマジャ枢機卿は、多元論は現在、特定の人たちにとって対立の源となっていると述べた。「宗教は神の功徳を得るためのものであり、利害と結びつけずに本来の姿で実践するべきだ」枢機卿は、ローマ教皇ベネディクトス16世のメッセージを引用してこう語った。

注1) ナフダトゥル・ウラマ: 伝統主義的イスラーム組織

【要約】
*ハシム・ムザディ氏によれば、現在の状況ではイスラーム教徒とキリスト教徒が扇動の犠牲者になっている。
*この抗争の引き金をひいた第三者は、抗争を楽しんでいると推測される。



(翻訳者:山本肇)
(記事ID:po0705101hy)

原題:Agama Jadi Komoditas Politik
http://www.republika.co.id/Koran_detail.asp?id=292610&kat_id=6



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