インドネシア語新聞翻訳
2010年7月4日(日)
【レプブリカ紙】


バリのある夜明け

  まだ夜は十分に明けていない。朝の空気もまるで肌を刺すようだ。どうやらまた毛布を引っぱってきて、その中にすっかり身を縮めたいと申し出ることの方が、ずっと魅力的なようだ。

 しかし、バリ島デンパサールのモナン・マニン、バイトゥル・マクムル・モスクに詰めかけた数百名の人々はそうではなかった。彼らはモスクの全スペースをいっぱいにすることの方を選んだ。それどころか、数十名の人々は早朝の集団礼拝の宗教的義務を遂行するために、テラスや庭に礼拝用のカーペットを広げざるをえなかった。「毎日がこんな感じです」バリ島のモナン・マニン地域に1985年以来在住しているスブクティさんは、そう述べた。

 通常、他のモスクでは日没時に一杯になるのだが、バリでは話は別だ。「いつからこの習慣があるのかわかりませんが、バリのモスクでは通常明け方に賑やかなのは確かです」とスブクティさんは述べた。

 明け方の雰囲気が異なることは、バリのイスラーム教徒の人々のたった一片の話に過ぎない。大多数の住民がヒンドゥー教を信仰するその地域は、その〔多神教の〕神たちの国でのイスラーム教徒の生活について、独特の話を提供してくれる。

 バリに住むとすぐに、イスラーム教徒の人々も自分たちの存在がマイノリティであることに気が付く。インドネシア・ウラマ評議会(訳注1)のデータによれば、バリに住んでいるイスラーム教徒の〔信者数の〕成長率は3年間におよそ1%だという。しかし、バリのイスラーム教徒の〔信者数の〕成長率はきわめて高く、バリ総人口の45%までに達することを示している調査もある。

 しかし、彼らは宗教的義務を行うために適した雰囲気を、依然として享受している。「バリ、特に都市に在住するイスラーム教徒は、宗教的義務を行う余裕があります」とバリ島カンプン・ジャワ地区のイスラーム要人であるムクタル・バアシル氏は述べた。

 バリでは、宗教の寛容性はきわめて尊重されているといえる。一般にバリ、特に都市での宗教生活はきわめて調和がとれている。宗教的祝日の記念行事の際には、〔その〕雰囲気はきわめて色濃く感じられる。「通常、イスラームの祝日またはガルンガン(訳注2)の際にはいつも、我々は近所の人たちとよく食べ物を分け合います」とバアシル氏は述べた。

 ヒンドゥー社会にも、イスラームや他の宗教の信者である近所の人々に「ジャワの供え物」をあげる習慣がある。その供え物の中味はハラル(訳注3)な食べ物だ。「ヒンドゥー教徒同士で分け合うバリ特有の供え物のように、豚肉は使いません」と同氏は述べた。

 ニュピ(訳注4)の際にも、宗教の寛容性が現れる。全イスラーム教徒が宗教的義務を行ってもよい。「ニュピが金曜日に当たったことが数回あるが、我々はモスクで金曜礼拝を行うことが許可されました」と同氏は述べた。

 しかし、もちろん守らなければならない条件はある。例えば拡声器を使用してアザーン(訳注5)を大きな音で流さないことだ。集団礼拝ではイスラーム教徒は家に最も近いモスクを探すべきだ。もし無ければ彼らはさらに遠いモスクに行くことは許されるが、原動機付き乗り物〔自動車やバイクなど〕を使用してはいけない。「礼拝時間の30分前にスイッチを入れて宗教曲を拡声器で流す習慣を〔ヒンドゥー教徒に配慮して〕、我々もやめます」とバアシル氏は述べた。

 バリのイスラーム教徒の人々も、ニュピの際にはヒンドゥー教徒の諸慣習を尊重するようにつとめる。バリ人がイスラーム改宗者になる決心をした際には、宗教の強い寛容性もみられる。家族の一員が改宗してバリ人の名前を失っても、現地の人々は仲間はずれにすることはない。「私の妻は私と結婚後にバリ人の名前を改名せざるをえませんでした」とバリのタクシーの運転手であるラトゥノ・ハディさんは述べた。

 ソロ出身で38歳のこの男性は、カデッ(訳注6)・プスパサリという名のバリの女性と結婚した。「しかし、現在名前はただのプスパサリとなり、付加的な『カデッ』は削除されました」と彼は述べた。ヒンドゥー教をまだ信仰している奥さんの大家族と彼らの関係は変わらなかった。「我々の関係はまだ良好です」とラトゥノさんは述べた。それどころか彼らの家族の行事には、いつも招かれる。「ガルンガンまたはクニンガン(訳注7)の際にも、我々は行きます」礼拝行事やガベン(訳注8)の際にも同様だ。「行事の一連の作業には参加しないけれども、我々は行きます」とラトゥノさんは述べた。

 宗教的義務の遂行または社会生活においても、調和はヒンドゥーとイスラーム間の文化変容を後押しする。例えばプガヤマン地域のイスラーム村では、イスラームに改宗後も、多くのバリ人が彼らの名前を保持している。「例えばマデ・アーマッドもしくはグデ・ムハンマドがある」とバアシル氏は述べた。彼らもルバラン(訳注9)の際には食卓料理としてラワール(訳注10)を作る習慣を維持している。

 ラワールは通常バリのヒンドゥー教徒によって、お客さん向けに、または他の宗教的祝日の際にも食卓料理として作られる。ラワールはナンカ(訳注11)から作られ、豚肉とあえた野菜〔サラダ〕の一種だ。「しかし、イスラーム教徒のために特別に、彼らは牛肉を使用します」と彼は述べた。

 それだけではなく、ホールやバリの伝統的な地域共同体の集会所で、会合や会議を行うという彼らの慣習を、彼らは依然として維持している。ヒンドゥーとイスラーム間に文化変容が存在するあかしは、バリ語の長編の詩と共にルバナ(訳注12)が演奏されるルダット(訳注13)芸能においても示されている。

 この芸能はプリ・プメチュタン〔王宮〕でも儀式にともなってよく披露される。この伝統〔芸能〕は通常聖なるラマダーン(訳注14)月に上演される。その伝統芸能が行われる際には、現地の住民は通常、白壇〔香木の一種〕、製材、香水を準備し、後にそれを焼いて建物の角に置く。それから、プルメリアから、ジャスミン、バラに至るまで様々な花がばらまかれる。

許可が妨げられる

 残念なことに、2002年と2005年にバリを震撼させた爆破事件の結果、その美しい話は少し傷つけられた。その悲劇以来、バリのイスラーム教徒に対するイメージは、まだ本当の意味では取り戻されていない。この問題もイスラーム施設を建設する機会に、波及的影響を与えている。例えばイスラーム教育の場の建設だ。「バリのイスラーム教育機関の建設許可には長い時間がかかり、きわめて難しい」アナック・マス・イスラーム教育財団創設者であるファウジ・ハミッド氏は述べた。

 イスラーム学校建設の許可の問題において、彼らにはしばしば制約がある。「恐らくそのことが、許可が下りるまでの期間を約8-12ヶ月にまで延長させているのかもしれません」とファウジ氏は述べた。しかし、バリでのイスラーム教育機関の需要は非常に高い。バリでは毎週およそ2-3人の改宗者が見られる。「彼らは非常に熱心に、やる気に満ちてイスラームを勉強しています」と同氏は述べた。

 現在バリにはわずか112校のイスラーム寄宿塾しかない。それも本当にイスラーム寄宿塾として活動しているのは2、3校だけだ。「他のイスラーム寄宿塾はイスラーム寄宿塾としての役割を十分に果たしておらず、TPQ〔コーラン学習施設〕の形をとっているだけです」と同氏は述べた。それとは違い、バリではイスラーム勉強会が急速に発展している。その中の一つがアル・コシバーだ。「この勉強会は創立8年になります」と勉強会指導部のイスモヨ氏は述べた。

 イスモヨ氏によれば、バリではイスラームを勉強する場所が限られていることから、この勉強会は創立されたという。当初は5世帯だけだったが、現在この会のメンバーはすでに300世帯に達した。様々な障害に遭遇したにもかかわらず、イスラーム教徒たちの気力はすぐには萎えなかった。デーヴィッド・シェラーさんがそれを証明している。このアメリカ出身の改宗者は、バリで外国人の改宗者のために学習集団を作る予定だ。「2つの文章からなるシャハーダ〔信仰告白〕を唱えても、イスラーム教徒になることは完成しないのです」と述べ、彼はさらに続けた。

 信仰心の質は、真のイスラーム教徒になることができるまで、ひき続き改善されるべきだ。デーヴィッドさんは1993年の21歳の時にバリに移住後にイスラームに入信した。彼にとってイスラーム教徒になることは人生における最も重大な決断だった。「私はこの宗教を信仰後、すっかり落ち着きました」と彼は述べた。その精神もスブクティさんに次のように声高に言わしめている。「我々はマイノリティーかもしれませんが、我々のイスラームは質が高いのです」

【c99記者】

訳注
1) インドネシア・ウラマ評議会: 宗教学者が様々な問題に対し、イスラーム法に基づいた見解を示す官製のイスラーム法学組織
2)ガルンガン: ウク歴〔バリの伝統的な暦の一つ〕最大の祭りで、日本のお盆にも似ている。
3) ハラル; イスラーム法によって許容されている行為、摂取物
4) ニュピ: サカ歴〔バリの伝統的な暦の一つ〕の新年で、日本の正月に似ている
5) アザーン: イスラーム教徒が一日5回行う礼拝時間を知らせる呼びかけ
6) カデッ: バリ人の第2子によく使われる名前
7) クニンガン: ガルンガンの10日後にあたり、祖先の霊が天界に戻るとされる
8) ガベン: バリの葬式。様々な楽器を持った楽団が音楽を奏でながらねり歩く場面も見られる
9) ルバラン: 断食明けの祭り
10) ラワール: バリの伝統料理の一つ
11) ナンカ: ジャックフルーツのこと
12) ルバナ: タンバリンに似た楽器名。同時にこの楽器を用いて、アラブ・イスラーム風の音楽等を演奏する芸能も示す
13) ルダット: トルコの軍服に似た衣装の男たちが音楽等に合わせて踊る伝統芸能
14) ラマダーン: イスラーム暦9月 断食月
15) 信仰告白: イスラーム教徒の五つの宗教的義務(五行)の一つ。『アッラーの他に神はなし。ムハンマドは神の使徒である。』と唱えること。イスラームに入信するためには、これを唱えることが必要となる。なお、本文中で述べられている『2つの文章』とは、この『アッラーの他に神はなし。ムハンマドは神の使徒である。』という文言を指す。」

(翻訳者:川名桂子)
(記事ID:li1007041kk)

原題:Suatu Subuh di Bali
http://koran.republika.co.id/koran/14/114376/Suatu_Subuh_di_Bali


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