インドネシア語新聞翻訳
2009年10月22日(木)
【レプブリカ紙】


災害は共感を育てる

【ジャカルタ】
 イスラーム教徒の知識人アズユマルディ・アズラ氏は、インドネシアのイスラーム信徒に対し、最近起きている自然災害をアッラーの神による懲罰とみなさないよう求めた。そして天災を勝手に解釈しコーランに書かれていることに結びつけ、次の地震を予知することのないよう要請した。

 「最善の態度は、この自然災害を警告と受け止め、共感の心を育むことだ」とアズユマルディ氏は、インドネシア・イスラーム教徒知識人協会(ICMI)(訳注1)が21日(土)ジャカルタで催したセミナー「科学技術と宗教の観点からの地震と津波」の中で語った。

 同氏によると、災害を神罰とみなし災害地の住民が罪深いことをしたと責めるのは、惨事に襲われた人々の傷を深めるだけだ。そのようなことがあってはならない。

 「信仰を持った人は災害を警告と見るべきだ。小さな出来事にも神の意図がある。まして地震のように大きな出来事には」と同氏は語った。彼はまた地震の起こる場所と時間を科学的に正確に予測するのは不可能だと注意した。

 したがって、一部の人が行っているように、何かとコーランを引用しそれにこじつけるのはふさわしい行為ではない。さらにそれを国の政治や状況に結びつけることは、と彼は語った。

 同氏によると、そのような行為によって、結局信者は素直にアッラーの神の警告を受け取らず、他人を責めることになりがちだ。「想像して欲しい。われわれの同胞が犠牲となっているときに、人びとが彼らを神罰にあったと指差すことを」と彼は語った。

 これは被災者に共感する態度とは言えず、本来災害状況下での最善の行動は、関心を持ち同胞の重荷を軽くすることだ、と彼は語った。それは被災者たちに援助の手を差し伸べることだ。

 神の唯一性の論理では、アッラーは過ちを犯していない人を罰することはない。これは神罰ではなく忍耐強くなるようにとの試練だ、と同氏は語った。

 バンドゥン工科大学の石油鉱物技術部のトゥンクー・アブドゥッラー・サニ氏によると、インドネシアは「火のリング」あるいは「火山の指輪」と言われる、地震の多発が運命づけられている地域にある。

 しかし、このことを恐れる必要はないと同氏は語る。防災と災害に関する科学を研究することによって、地震が起きたときの犠牲者と破壊の程度を軽減することができる。

 「この件は研究すべきことであり、恐れるべきことではない。われわれはすでにその立場にある。プラスの面から見るとインドネシアで起きる地震は他の地域の人々を安全にしている。なぜなら、地震のエネルギーがすでにわれわれのところで放出されているからだ」とトゥンクー・アブドゥッラー氏は語った。


訳注1) インドネシア・イスラーム教徒知識人協会: 1990年に設立されたイスラーム組織。スハルト元大統領の側近ハビビ研究技術担当大臣(当時)が会長を務め、政治・経済の分野で活躍するイスラーム教徒知識人を集めて結成された。設立はスハルト体制のイスラームへの近接という政策転換を象徴する画期的な出来事だった。


(翻訳者:山本肇)
(記事ID:li0910221hy)

原題:Bencana, Asah Sikap Empati
http://www.republika.co.id/koran/14/83981/Bencana_Asah_Sikap_Empati



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