インドネシア語新聞翻訳
2010年7月28日(水)
【レプブリカ紙】


チャールズ皇太子式の完全なイスラーム

〔ロンドン〕
 アッサラーム・アライクム〔皆さまが平和でありますように〕。イギリス、ロンドン市中心街にあるロード・マウントバッテン・ルームという会議室の演壇にいた人物は、そのように述べた。カーテンが垂れ下がったその緑色の色調の部屋の招待客たちが謹んで静聴していたため、部屋も静まりかえっていた。その日の夕方、出席者は準備された椅子に座るのではなく立ったままで、注目の的となっていた人物が話す演壇に群がっていた。

 去る木曜日(7月22日)に英国チャールズ皇太子、正式名チャールズ・フィリップ・アーサー・ジョージ殿下に拝謁する際の雰囲気は、いたってフォーマルで厳重な検査でいっぱいだ、と私は想像していた。私の想像は外れていた。招待客たちがその会議室に入る際に検査はなく、その200名を収容できる部屋も、あまり豪華ではなかったといえる。その部屋の装飾部分となっているガラスも、つまるところは黒ずんで見えた。比較的良い状態にあるが、ジャカルタの会議室があるビルの方が、まだその会議室よりもはるかに豪華なものが多い。

 招待客たちの大部分は「モザイク国際サミット2010」の出席者たちで、当初から〔彼らは〕携帯電話とカメラは持ち込まないようにするなど、英国で適用されている一連の儀礼的ルールを、委員会によって繰り返し言われていた。その他の客はプルデンシャル保険、巨大石油会社であるロイヤル・ダッチ・シェル、アラブ首長国連邦のエティハド航空など、その場のスポンサーとなっていた数社の幹部たちだ。

 その夕方の茶話会の前、招待客の中にはチャールズ皇太子に話しかける正式な言葉は「殿下」であり、その後は「サー」という呼び名だけで十分だということを知らされていた者もいた。招待客の大部分は、チャールズ皇太子自身が結成のアイディアを出したモザイク財団の年次会議の出席者だった。

 英国王位の第一継承者と位置づけられている皇太子も、イスラームやイスラーム教徒に対して大きな関心を持っている人物として大衆に知られている。英国のイスラームについても、海外のイスラームについてもだ。挨拶の中で彼は述べた。彼とイスラームやイスラーム教徒との関係を示しているメディア取材の中には、誤認しているものがある。「それどころか、私をイスラーム教徒と見なしているものさえある」と皇太子は冗談を交えて述べた。

 モザイク財団は、全個人が背景を考慮することなしに、潜在能力を実現することが可能な社会の人々の統合に焦点を当てている。当初この財団は、イスラーム教徒を統合するための一つの打開案として設立された。2009年にイスラーム教徒はイギリス人口の4%にあたる250万人に達している。

 イスラーム教徒の中には、イギリス全土に分散している移民でその潜在能力を実現することがいまだに困難な者がいる。一方、行政でもその他の分野でも高い地位を占めており、十分に幸運な者もいる。例えば、現在の内閣にはイスラーム教徒である大臣や議員が見られる。有名なサッカークラブであるマンチェスター・ユナイテッドの本拠地マンチェスターでは、イギリスで初めてイスラーム教徒の市長となったムハンマド・アフザル・ハーン氏が〔2005年から2006年まで〕就任した。

 約3年前に設立されたこの財団の発展も、イスラーム諸国の指導者候補である青年たちへの関心を増大させた。「オックスフォード大学イスラーム研究センター25周年の際には、社会の統合はイスラームに内包されるユニバーサルな原理だ、と私は述べた。我々はその原理に戻るべきだ」とチャールズ皇太子は述べた。彼もイギリス最古のそのキャンパスでの、独立研究センター設立に貢献した人物の一人だ。

 環境問題や地球温暖化など、現在世界が直面している問題は、実はイスラームにおいてもすでに触れられている、とチャールズ皇太子は続けた。「社会の人々の間で起こっている偏見、誤り、偏向は、この国のイスラーム教徒に対する認識不足のために、しばしば起こる」とウィリアム王子とヘンリー王子の父親でもある彼は付け加えた。ましてや一般的なメディアも、イスラームについて完全なイメージを提供していない。

 彼はアフガニスタンにも、戦争の影響を受けている国の青年たちに生活技能を提供し、自立できるようにすることに焦点を当てている財団を所有している。「そこには誇りに思うことがたくさんある。アフガニスタンの若者たちはさらによい将来のために、一生懸命努力しており、泥製のレンガから作られた簡素な新しい学校も続々と出現している。私は十分な関心を持って注目している」と彼は述べた。

 スピーチをする前、過密スケジュールをこなすこの皇太子は、その日の夕方出身国別に群がっていたサミットの全出席者に言葉をかける機会があった。インドネシアを含む18カ国80名の出席者もおしゃべりをしたり、一緒に写真撮影をする機会に恵まれた。

 〔チャールズ皇太子が〕2008年11月にインドネシアを訪問した際、彼はインドネシア政府と提携したジャンビ〔在スマトラ島中央部〕の「希望の森プロジェクト」を視察する機会に恵まれた。当時〔行われた〕インドネシアでの5日間の訪問の際、彼はイスティクラル・モスク(訳注1)を訪問し、宗教間の対話に参加し、ジョグジャカルタのボルブドゥール寺院やクラップヤック・イスラーム寄宿塾を訪問する機会があった。それ以前のインドネシアへの訪問は、故ダイアナ妃がまだ付き添っていた1989年に行われた。

 その他の王室のメンバーと同様に、彼が率いている様々な組織や慈善団体の用件で日程もぎっしり詰まっていた。彼が結成したものの中には、皇太子信託基金、皇太子信託再生基金、環境団体が一団体ある。

 彼は、イスラーム以外の多くの人々にとって、イスラームについての認識は盲目の人が象に触れているようなものだ、と喩えた。長い鼻だけをつかんで、その〔長い鼻の〕形〔だけ〕を象としてイメージする。「全体的なイメージを理解するように試みることこそ、現在我々が行う〔べき〕ことだ」と彼は述べた。
【Wulan Tunjung Palupi.ed:rahmad budi harto記者】

訳注1) イスティクラル・モスク: ジャカルタにある東洋一大きいといわれるモスク

(翻訳者:川名桂子)
(記事ID:in1007281kk)

原題:Islam yang Utuh ala Pangeran Wales
http://koran.republika.co.id/koran/14/116027/


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