インドネシア語新聞翻訳
2010年6月5日(土)
【メディア・インドネシア紙】


〔鳩山首相が辞任する〕日本から学べ

 日本のように公の職から退く伝統を固く守っている国はない。「日の昇る国」では政府高官は国民の信託を全うできなかった場合辞職する。

 そればかりでなく、彼らは他の国の伝統や政治文化では取るに足らないと見なされる理由で辞任する。例えば、国民が苦しんでいるときにゴルフに興じていたのが見つかった場合などだ。

 最近、8ヶ月前に日本の首相になったばかりの鳩山由紀夫氏が辞職を発表した。鳩山氏は、普天間の米軍基地を沖縄の外に移すとの選挙公約を守ることが出来なかったため辞職した。

 鳩山氏の辞任により、この4年の間に4人の首相が辞任したことになる。彼以前に、麻生太郎、福田康夫、安倍晋三の各氏がほぼ同じような理由で、すなわち国民への約束が守れなかったという理由で、首相の座から降りている。

 この4年間に4人の首相が辞任したということは、公職から退くことは、日本ではごく普通の伝統であることを意味している。世界各地のマスメディアは一斉に大きなニュースとして報じた。ごく当たり前の事件としてではなく普通考えられない事件として。

 それは辞任したのが首相だからなのではない。政府高官が国民の信託を果たせなかった場合に辞任する伝統は、インドネシアを含め他の国の文化にとっても学習の手本とすべきだからだ。

 わが国では、国民の期待を実現できなかったとして自発的に辞任する高官はほとんどいない。わが国の高官は強要されて辞任する。スハルト大統領は改革勢力に辞任させられる形で大統領の座から降りた。アブドゥルラフマン・ワヒド大統領は内閣から辞職させられて権力の頂点から転げ落ちた。

 わが国の政治文化では、職は機能ではなく地位としての意味を持っているので、国の高官は、職から辞する伝統を持っていない。彼らは地位にこだわっており、機能をおろそかに考えている。

 インドネシアを、官僚の腐敗ぶりではアジアで2番目の国だと位置づけている政治経済リスク諮問機関の調査は、官僚の地位にある者がいかに官僚としての働きを立派にこなしていないかについて、はっきりと示している。

 職を地位と見なすことは、確かに封建主義的政治文化の特徴だ。この文化では、職に就いている者はいつも地位をしっかりと守ろうとし、必要とあれば子孫代々の地位を求めさえする。

 その逆に、地位を機能と解釈するのは現代の民主主義的政治文化の性格だ。現代的かつ民主主義的政治文化では、地位は機能であると同時に責任でもある。

 一人の高官が国民の信託を果たす機能に失敗したとき、その職から退くのは国民の目の前で責任を取ることだ。

 われわれは、この国の政府高官が日本の高官たちから学ぶことを要求する。国民の期待を充たす機能をもたない高官は、強制的に辞任させられる前に自ら職から退いてほしい。自発的な辞職は強制されて辞職するより明らかに尊厳がある。


(翻訳者:山本肇)
(記事ID:in1006053hy)

原題:Belajar dari Jepang
http://www.mediaindonesia.com/read/2010/06/05/147071/70/13/Belajar-dari-Jepang



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