[第二回公開セミナー 2007年10月]
インドネシア社会におけるイスラーム急進派の位置づけ
見市 建 (岩手県立大学総合政策学部)
インドネシアのイスラーム急進派とはどのような人々で、彼らは社会のなかでどのような存在なのだろうか。本発表では急進派の組織的思想的背景を明らかにした上で、世論調査やメディアを中心に「商品化」されるイスラームを踏まえて、インドネシアにおけるイスラーム化の進展と急進化の関係について明らかにした。
イスラーム急進派や過激派、あるいは「原理主義者」と呼び習わされる人々の急進性は実は多様であり、発表者はおおよそ三つに区分して理解している。まず教義的な急進派で、彼らはイスラーム法をより厳格に適用しようとする。サウジアラビアで優勢なワッハーブ主義・サラフィー主義がこれにあたる。このグループは通常政治への関与は避け、また組織化しない。インドネシアではラスカル・ジハードやイスラーム擁護戦線(FPI)が例外的に政治化したが、軍や警察など当局がこれを利用した背景がある。次に政治的な急進派が挙げられるが、これはその目標と手段の急進性を区別しなければならない。目標としては世界のムスリムを代表するカリフ制国家の樹立であり、国民国家の存在を否定する。言葉による宣教でこれを目指そうとする解放党がある。手段の急進性とは武装闘争によってこれを実現する立場であり、アメリカやシオニスト、それに支えられるとみなされるムスリム政権が暴力的な闘争の標的になる。
インドネシアを中心としたジャマーア・イスラミヤ(JI)は政治的目標および手段において急進的である。JIは2002年10月のバリ島爆弾事件を始め、西洋権益を標的とした事件を起こし、またキリスト教徒住民との地域紛争にも介入している。JIはインドネシア独立戦争終結直後に起こったダルル・イスラーム運動から発展しており、また1960年に非合法化された最大のイスラーム政党マシュミ党の後継組織とも関連が深く、インドネシアのイスラーム政治史において外れた特異な存在ではない。JI指導者は80年代半ば以降、マレーシアを経由してアフガニスタンの対ソ連闘争に参加して軍事訓練を受け、思想的にも大きな影響を受けた。取り締まりが強化された現在でも積極的な翻訳出版活動を行っている。彼らが参照するのはエジプトのジハード団、アル=カイーダ、ヨーロッパの武装闘争派などに影響を与えたイデオローグたちであるが、インターネットから得た論考を選択的に翻訳している。
最近の世論調査によれば、教義的急進派が主張する事柄への賛同者は30〜50%と少なくなく、また概ね上昇傾向にある。しかし例えば女性大統領に反対する人々が増えたのはメガワティ大統領の失政が明らかになってからであり、社会におけるイスラームの急進化と単純に結論づけるわけにはいかない。急進派諸組織の認知度も高いとはいえない。
テレビを中心としたメディアにおけるイスラーム化は明白であるが、急進派の希望からはかけ離れた方向にある。数年前からイスラーム音楽が流行しているが、次第に既存のロックバンドなどがこのブームを「乗っ取り」、携帯電話会社が提供して「イスラーム的」な視聴者に賞金を与える「小さな説教師家族」など節操のないリアリティショーが高視聴率を記録している。
急進派はそうしたメディアや、民主化後にそれまでの地下組織が議会制民主主義の枠内で活動する状況に苛立ち、孤立を深めている。他方、急進派の方も道具としてインターネットを扱うだけではなく、言葉の使い方など大都市部の若者を中心とした消費文化から無縁ではない。人々も必ずしも急進派をイスラームから逸脱したカルト集団と見ているわけではなく、国内外の状況が彼らの思想に一定の説得力を与えている。
質疑応答
1.急進派の位置づけについて、イスラーム主義穏健派に対する急進派の失望とあったが、この穏健派とは?
(回答)本来はカリフ制樹立を目指すものであったが、現在の政治社会体制を容認する形で動いているイスラーム政党等を指す。
2.一般の人たちの中で、急進派はどのような状況にあるか?
(回答)全体としては、孤立を深める傾向にあるのが現状。しかし、バリのテロについて、逮捕されたバアシルを例にとれば、彼の学校は生徒が激減するという現象は起こっておらず、急進派の家庭でない家の子が通学するなど、教育と事件は区別している面もある。
3.イスラームの商品化と急進派はどのように関わっているか?
(回答)手段としてのインターネット、メディア、英語教育等は有効利用されており、そうした現象そのものに対し、彼らは反対していない。急進派もその波の中にある。
4.発表内で使われた世論調査について、急進派のアジェンダとして並んでいる項目が、急進派のアジェンダとして適切と考えられるか?
(回答)もし発表者が世論調査の質問者であれば、こうした質問の仕方はしない。一つの指標であって短絡的な結論としては扱えないと考える。
米国植民地統治下のムスリム:フィリピン・ミンダナオ島における定住化とその影響
鈴木伸隆 (筑波大学人文社会科学研究科)
米国植民地統治下のフィリピン・ミンダナオ島で、1913年より実施された国家主導入植計画は、農業コロニー計画として知られている。同コロニー計画の特徴は、島外からのキリスト教徒だけでなく、島内のムスリムも対象としていた点である。植民地政府にとって、コロニー計画はムスリムを定住化させるための手段であった。本発表では、ムスリムの定住化政策としてコロニー計画を位置づけ、ムスリム参加の具体的な過程に注目すると共に、定住化の意味を検討する。
米国がフィリピンを領有した当時、植民地フィリピンは単一のフィリピン人という国民は不在とみなされた。ムスリムは野蛮かつ未開の民族と位置づけられていた。そのため、近代的な生活様式を身につけ、悪弊であるモロイズムから解放されることが不可欠とされた。ダトゥと呼ばれる首長は奴隷制に依存することなく、近代的な政治機構の一翼を担うことが期待され、一般民衆は経済的に自立し、個人として生活設計をすることが求められた。その実現のために、放浪的な生活様式を改変し、定住することが急務とされた。
しかしながら、実際の植民地政策遂行過程はさまざまな諸条件によって制約を受け、独自の歴史的展開を見せることになる。コロニー計画の実施過程を仔細に追うと、@農業コロニーが最初に開設された場所は、イスラーム教徒マギンダナオ人の有力者ダトゥ・ピアンの部族区にあたること、A開設当初はキリスト教徒のみを入植対象者としていたこと、Bコロニー計画の実施にあたっては、米国植民地政府行政官とムスリム有力ダトゥとの間で交渉が行われていたこと、などの重要な点が浮かび上がる。コロニー用地の確保、各種建設資材の調達、さらに入植者の安全確保などは、有力者ダトゥ・ピアンが全面的な支援を行うことを条件に、コロニー計画が実施された。加えて、ピアンの息子アブドーラがムスリム側の調整責任者として、関与することまでが決定されている。
以上のことから判断できるように、コロニー計画自体が運営当初より、有力ダトゥとの全面的な協力の上に成り立っていた。加えて、ムスリムはあくまでも入植者を受け入れるホストとして位置づけられ、ムスリムの参加はこの段階では具体化していなかった。その証拠に、入植者と先住者ムスリムとの無用の混乱を招かないために、ムスリムの立ち退きに伴う金銭的な補償が、具体的に検討されていた。
ところが、米国本土のフィリピンに対する民族政策の大転換により、農業コロニー計画におけるムスリムの位置づけは、大きな変化を余儀なくされる。立ち退きによる金銭補償案は消滅し、その代わり、立ち退き予定のムスリムを入植者としてコロニー計画に移住させる代替案が急浮上する。これにより、金銭的な補償することなく、入植者受け入れとムスリムの移動と集住が一つのセットとして連動し、運用されることになったのである。その結果、1914年の時点で、ミンダナオ島には計七つの農業コロニーが設置されることになる。その内、二つがムスリム専用のコロニーとなるなど、入植者数の半数以上がムスリムによって占められた。
一見順調にも見えたコロニー計画であったが、肝心の農業生産は主だった成果を上げることなく、資金不足に直面する。1917年には、入植者の募集を中断することを余儀なくされた。その反面で、コロニー計画は運営者までもが予想もしていない状況を生み出すこととなる。運営上、最も懸念されていたのは、キリスト教徒入植者とムスリムとの対立である。それを回避するため、両者は隣接するものの個別のコロニーへと意図的に分別された。しかし、実際に両者は商品などの物々交換や祭礼などへの参加といった自発的な交流を展開させることとなる。こうした状況を目の当たりにした植民地行政府関係者とコロニー計画関係者は、キリスト教徒とムスリムの民族融合が実現可能であると確信する。
この予想外の「発見」は、同化政策推進上の大きな成果と認識され、後の対ムスリム政策に少なからず影響を与えた。まず一つは新種のコロニー誕生である。異教徒同士を最初から混住させるミックス・コロニーの必要性が提唱された。ミンダナオ島では1915年以降、三つのミックス・コロニーが設置されている。もう一つは、植民地政府に抵抗する「反逆者」を懐柔するために、ダトゥと従者を一括して、コロニーに移住させる計画が画策された。
以上のように、コロニー計画はムスリムにとって、定住化による経済的な自立が本来の目的であった。しかし、実施運営過程でコロニーの目的が異民族同士の共存・共栄であるとのすり替えが行われていく。ムスリムにとって定住化とは、個人による経済的自立、技術習得、土地所有権の取得が期待された壮大な植民地プロジェクトであったが、ムスリムの参加という構想自体、計画の運営段階で降って湧いたものだけに、ムスリムに対する定住化の意味づけが曖昧であったことは否定できない。経済的に自立した個人の誕生を願ったにも関わらず、コロニー計画は植民地状況下における、植民地政府と親米派とされるムスリム有力ダトゥとの相互依存関係を強調する皮肉な結果となった。
質疑応答
1.アメリカ側は文明化としてモロ(ムスリム)の定住化政策を進めたとのことだが、20世紀初め、モロの人々の生業実態・生活実態はどのようだったか?
(回答)アメリカ側からの表象のみ資料として存在し、マギンナダオ側の人々が文字化資料は、現在見つかっていない。1941年開村の開拓村調査での聞き書きの結果からは、ムスリムは定住をしなかったが米作をし、魚をとって生活していたことが分かっている。
2.なぜミンダナオ島にコロニーができたのか?
(回答)この前年度のフィリピン米不足がコロニーの法案化には関係しており、食糧不足の条件から見ると適地はミンダナオしかなかった。
3.アメリカ側は分離政策から同化政策に転換したと発表にあったが、ここでは何が同化と考えられたか?
(回答)アメリカ側も内政では分離政策のみをとっており、新しい試みとして同化政策を行ったので、見通しを持っていなかった。植民地フィリピンでとった同化政策は、多数派のキリスト教徒に少数派のムスリムを統合することと考えられる。
4.運営資金が不足している状況の中でも、混在型コロニーが成立していったということは、運営資金の不足は何らかの方法で解消されたのか?それとも資金不足の中で継続されたのか?
(回答)中央政府レベルでなく、州政府の予算として行われた。
[第一回公開セミナー および 第一回 国際ワークショップ2007年2月]
RADICLA ISLAM?
THE FUTURE OF ISLAM IN INDONESIA
JAMHARI MAKRUF
In the aftermath of the Southeast Asian political and economic crisis in the late 1990s, the rise of radical Muslim groups in Indonesia spawned intense debate on the presence of a new threat of political Islam. Scholars, journalists and policy makers alike were quick to classify these new Islamist movements as a part of a global network of radical Islam spanning from the Middle East, to North Africa, South Asia, and to Southeast Asia. However, in recent times this prognostication and characterization of Muslims in the country had to some degree diminished, with attention has been paid to different cultural and ideological understandings of Islam between the Middle East and Southeast Asia. The issues of radical Islamist uprisings were relegated to the margins of debate largely
because of the impressive achievement of political Islam in Indonesia to participate in the nation's consolidation to democracy, maintenance of religious pluralism, and coping with modernity. While the radical upsurge of Indonesia Islam should not detract from the significant signal of the emergence of global Islamist networks, it did illustrate quite profoundly that beneath renewed interest in political Islam in academia--an interest that has been sparked in part by a debate of the compatibility between Islam and democracy-lie a tendency of scholars to
treat Islamist politics as an uniform phenomenon over time.
Political Islam can be situated as a group of peoples and political communities who hold a set of ideologies derived from the doctrine that Islam is not only a religion, but also a political system that governs the legal, economic and social imperatives of the state. Nevertheless, traversing through the history of political Islam in Indonesia, it is apparent that there are variations as to how various Muslim organizations developed their programs, formulated their organizational and ideological forms, managed their strengths and translated their political action vis-?-vis the political regimes, and carried out more or less successfully in coping with the problems of religious pluralism.
One of the most significant achievements of Islamist organizations (both in the forms of political party organizations and civic associations) is their willingness to work within the existing political system for the advancement of its goals. Islamic organizations throughout the past 60 years have intermittently played a political role under both democratic and authoritarian circumstances. The two largest organizations that emerged in the early 20th century, Muhammadiyah (the Spirit of Muhammad), a modernist-reformist organization, and Nahdlatul Ulama (The Awakening of Religious Scholars), a traditional ulama-affiliated organization, support the existence of nation state and direct their program towards serving society at large beyond Muslim communities. Indonesian Islamist political parties, although in its earliest phases have attempted to establish an Islamic state, compete fairly in subsequent democratic elections.
The ability of some Muslim political organizations to enter into this formal political participation stands out as major milestones of the development of Indonesian Islam. Three main features bear testimony to this achievement: (1) the continued support of Muslim communities in Indonesia for the nation-state and its Constitution; (2) the preference of Indonesian Muslims to advocate debates and dialogue in pursuing their political goals, instead of hostility and violence; and (3) the strong will of Indonesian Muslim political organizations to move from religiously-based politics and actions into broader framework of political struggles such as democracy, poverty alleviation, gender equality and human rights.
A second feature of theachievement is perhaps the Muslims' prominent role in promoting multicultural understandings among people with different beliefs, ideologies, and cultural identities. Observers often portrayed the current Islamic activism in the Muslim world as a phenomenon that encourages violence and terrorism and poses a risk to political freedoms and civilization. James Walsh, an expert on Middle East politics, for example, indicates that Islamist political movements raise concerns for lives and freedoms. They suffer from terrorism, intolerance and revolutionary transformation. Islamic organizations in Indonesia, however, have intensified their involvement in struggling for the coexistence among religious communities and other cultural groups.
Important to these particular political outcomes should be addressed to the role of modern education in Indonesia, especially religious education in public schools. Under the New Order, religious education is understood to ensure that students will be able to maintain their faith and religious practices according to their own religious tradition. As a result, religious education in Indonesian public schools has generally led to the division of classrooms according to the students' creed. In other words, students are segregated according to their religious beliefs during religious instruction in public schools. This is to ensure that each of students receives proper religious instruction in school, that is religious instruction of their own religion, not that of others. Interestingly, the trend indicates that Indonesian schools tend to be more religious in an increasingly secular society.
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