インドネシア語新聞翻訳
2008年2月21日(木)


困窮学生への支援、喜捨により成果

 教育はその国民の進歩のために重要な役割を担っている。それはインドネシアにとっても例外ではない。人的資源の質の向上なくして進歩発展は難しい。そして、質の高い人的資源を作り上げるためには教育の推進と伸張が常に必要とされる。

 とはいえ、貧困のためインドネシアのすべての人がしかるべき教育を受けられているわけではない。しかし、1945年憲法(注1)では教育は全国民にとって権利であることが明記されている。

 インドネシア・ハジ・友好協会全国喜捨募集組織(Laznas IPHI)の理事長HM スロソ氏は、貧しい人々も他の人々と同様の教育を受ける権利を持っているが、彼らの多くに十分な教育費用がないことが障害になっていると考えている。

 そのため今年、全国喜捨募集組織(Laznas)は困窮家庭の子女が奨学金制度によって学校へ通えるように喜捨資金を投ずる予定だ。教育はかれら学生たちの将来の発展を推進する上で重要な役割を持っているとスロソ氏は考えており、「彼らは家族の大黒柱となることを期待されているので、彼らを支援することは大切なことだ」と2月20日(水)本紙に語った。

 スロソ氏は、本年中に新しい奨学金が中央ジャカルタと東ジャカルタ地区のいくつかの高等学校の成績優秀な困窮学生に与えられることになると述べた。来年には南ジャカルタ、北ジャカルタ、西ジャカルタなど他のジャカルタ地区にも広げられる予定だ。

 スロソ氏によるとこの奨学金供与はまず限られた地域で始められる。それは喜捨の額がまだ十分でないからだ。Laznas IPHIとしてはこの奨学金制度が成績優秀な困窮学生の教育を真に支援することになるのを願っている。

 計画では成績優秀な学生は1年間月額30万ルピアの奨学金を受け取ることになる。「来年には南ジャカルタ、北ジャカルタなど他のジャカルタ地区にも奨学金制度を広げる予定だ」と語った。

 Laznas IPHIは宗教大臣の決定書に基づき2006年に初めて設立された。このLaznasが設立された目的は困窮層の経済を支援することだった。現在この組織は中央ジャカルタのマタラム通りのIPHIの本部事務所に本部を置いている。設立は2006年だが具体的な活動を始めたのは2007年だ。

 昨年末までに集まった喜捨の額は1千万ルピアだった。この資金はIPHIの50〜60人の幹部から集った。今年末までには資金は飛躍的に伸びると期待されている。目的はLaznas IPHIがより多くの困窮層を支援できるようにすることだ。

 一方、IPHIは今日まですでにメッカ巡礼を済ませハジの称号を得た人たちからの要望の受け皿になっており、巡礼団のための多くの振興プログラムをすでに実行している。そのひとつが、さまざまな州での巡礼団の出発と帰国業務の管理監督を行うことだ。

 先の1月中旬にバンカ・ブリトゥン諸島州から出発した巡礼団第14フライトグループはサウディ・アラビアのジェッダ空港で、ある航空会社職員によって出発を何時間も待たされた。同州のIPHI幹部はそのことを遺憾に思っている。

 IPHIはそのほか、巡礼団のために政府と共同でジャカルタ・ハジ・病院(RSHJ)を設立した。このRSHJは、1990年7月2日に起こったインドネシアを含め多くの国々の巡礼団に多大の犠牲者を出したミナ(Mina)惨事(注2)がきっかけとなって設立された。この病院は、巡礼団が無事に巡礼を済ませハジの称号を得るように彼らの健康状態をチェックすることを目的にしている。

 現在、IPHIはジャカルタだけでなく多くの州のさまざまな町に支部を持っている。当然これら支部でも、人々に対しいろいろなプログラムを組んでいる。



注1) 1945年憲法: インドネシア共和国独立の際に定められた憲法。1950年8月〜1959年7月の間を除きインドネシアの憲法とされてきた。スハルト独裁体制崩壊後、民主化にむけて一連の改正が行われている。
注2) ミナ惨事: メッカ郊外のミナの谷で起きた事故。通路が狭くなっているため、将棋倒しによって圧死する惨事が再三起きている。1990年にはトンネルで1400人以上の犠牲者を出した。


(翻訳者:山本肇)

(記事ID:ed0802211hy)

原題:Bantu Siswa Dhuafa Berprestasi dengan Zakat
http://www.republika.co.id/Koran_detail.asp?id=324345&kat_id=256



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