インドネシア語新聞翻訳
2011年2月3日(木)
【メディア・インドネシア紙】


民族の多元性〔旧正月を祝う華人に寄せて〕

 旧正月は今や国民の祝日となっている。インドネシアの全ての信者、民族、種族も、国民生活になくてはならないものとして、それを受け入れている。

 この事実は確かに喜ばしいことだ。標準化時代〔オルデ・バルの時代、訳注1〕における30年間以上もの〔抑圧された〕生活を強いられた後、華人を含めた民族を構成している全ての人々は、現在は自身を表現する自由を持っているからだ。旧正月の祝日を祝うことも含めてだ。

 その全ては、1967年大統領訓令第14号を〔2000年に〕廃止(訳注2)した、アブドゥッラーマン・ワヒド元大統領の役割と切り離すことはできない。その大統領訓令は、華人が公衆の面前で宗教的な祝祭日や慣習を祝うことを禁じており、〔それは〕家族の間でのみ行われることが許される、というものだった。

 本日は〔陰暦〕2562年〔元日〕に相当するが、毎年陰暦の記念行事は、華人によってさらに十分にのびのびと、喜ばしく祝われるようになった。その喜びは確かに感謝されるべきものだ。

 問題となるのは、その喜びが実質的に感じられるのか、あるいは単に芸術的な記念行事の宗教的儀礼にとどまるのかだ。多元性の精神はこの民族に生命を吹き込み、結果として信仰、文化、その他の様々な相違は、「弱さ」ではなく「強さ」として解釈されたのだろうか?

 実際に、華人に対する差別的態度についての経験的事実は、まだ多く見出される。旧正月の記念行事は、確かに一年に一回自由に行われる。しかし、日常生活の中で、住民登録証、パスポート、またはその他の重要な書類の手続きの際に、華人に対する搾取を行っている公務員はまだ多い。

 国籍の手続き(訳注3)においては、華人が経なければならない手続きでは、いまでも相変わらず長い時間がかかっており、複雑で困難を極める。数十年間手続きが行われてきた後も、国籍証明書を取得するのに困難を極める華人は少なくない。

 多元性はもちろん、華人に対して旧正月を祝い、文化の魅力を表現する自由を提供するだけではない。それはさらに深く、相違を尊重する精神、民族および国家の生活を高める方法の一つとしても解釈されるべきだ。

 そのため、文化的だけではなく、その他の生活の側面においても、華人のあらゆる表現が融和されることを阻む全ての障害を撤去することは、一つの緊急課題となる。その結果多元性は、インドネシア全体の不可欠な構成部分として完全に出現することができる。

 旧正月は華人の重要な祝日だ。毎年華人は十分自由に、喜んでそれを祝ってきた。

 今後さらに努力されるべきことは、多数民族が行ってきたことと同等に、この少数民族の集団が、国民として彼らのあらゆる権利と義務を行使することができるように、多元性の精神がさらに広く実現されることだ。

 旧正月おめでとうございます。恭喜発財(訳注4)。

訳注
1) オルデ・バルの時代: オルデ・バルはインドネシア語で「新秩序」の意味。オルデ・バルの時代とは、スハルト政権下の1963年から1998年までの時期を指す。
2) 1967年大統領訓令第14号を〔2000年に〕廃止: この大統領令は、スハルトが華人に対してインドネシアへの同化を促すことが目的であったが、1998年の民主化改革運動(レフォルマシ)を受けて誕生したワヒド政権では、人権尊重などの立場からこの華人に対する抑圧的な政策を廃止した。なお、本記事で取り上げられている旧正月が国民の祝日となったのは、次のメガワティ政権下の2003年からである。
3) 国籍の手続き: 華人はインドネシア国籍を有していても、国籍証明書を取得しない限り、パスポートの申請や学校の在籍ができないなど、他のインドネシア人(プリブミ)とは異なる扱いを受けている。
4) 旧正月おめでとうございます。恭喜発財。: 「恭喜発財」は中国語における新年の挨拶。本記事の当該箇所は、前半部分がインドネシア語で、後半部分は中国語で、それぞれ旧正月を祝う言葉で締めくくられている。

(翻訳者:川名桂子)
(記事ID:cu1102033kk)

原題:Pluralisme Berbangsa
http://www.mediaindonesia.com/read/2011/02/02/200592/70/13/Pluralisme-Berbangsa


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