概要
■阿富汗とは
 今回の企画展示を「鮮麗なる阿富汗一八四八」と銘打ったのは、戦争やテロ、殺戮といったくすんだイメージの強いアフガニスタンに、これほど鮮麗で、豊かな文化があることを示したいと考えたからです。「阿富汗」とは「アフガン」に明治時代に当てられた漢字表記の一つです。明治・大正期には「アフガニスタン」のことを「阿富汗斯担」などと書きました。

■ラットレーの作品集
展示されているラットレーの作品は、1848年、The Costumes of the Various Tribes, Portraits of Ladies of Rank, Cerebrated Princes and Chiefs, Views of the Principal Fortresses and Cities, and Interior of the Cities and Temples, Afghaunistan(『アフガニスタンのさまざまな部族の衣装、貴婦人たち、著名な王子たちと族長たちの肖像、主な城砦と町、町の内部と寺院の光景』という題で、作品集としてロンドンで出版されました。ラットレー自身は 1841年にアフガニスタンに赴き、第一次イギリス−アフガン戦争の後半に参加しました。彼の描いたスケッチをもとに、Robert Carrickら4名の石版画師の手によって石版画(リトグラフ)とされ、作者自身の解説をつけて出版されたのです。

作者はこの作品集を、自分が属したカンダハール軍とこの戦争に参加した将校たちに捧げるとしています。作者自身の解説も、絵そのものの説明というより、自らが体験し、あるいは見聞したアフガニスタンでのイギリス軍の悲惨な経験について、多くのページを割いています。しかし、石版画の作品そのものからは、そのようなことはあまり感じられません。いくつかの戦場や駐屯地の風景も、当時のイギリス人にとっては重要だったでしょうが、今日の私たちにとっては一見ただのアフガニスタンの風景にすぎません。むしろ、私たちにとってはアフガニスタンの風俗や習慣を画像によって示すものとして極めて希少な価値を持っているのです。


■民族誌として
ヨーロッパ人によるアフガニスタンの民族誌としては、まず、モントスチュワート・エルフィンストーンの『カーブル王国誌』(1815年)があげられます。その記述は体系的で今日でも学術的価値を失ってはいませんが、含まれている図版は貧弱です。本作品集にもっとも似たものとして、ジェーム ズ・アトキンソンの二つの作品集『アフガニスタンのスケッチ』(1842年)および『ア フガニスタンの人物と衣装』(1843年)があげられます。戦争の前半に軍医として参加したアトキンソンの作品は、一部はラットレーのそれと題材が重なり、一部は補うものになっています。ただし、絵としての完成度、迫力の面では、今回紹介するラットレーのものの方がはるかに勝っています。

ラットレーの作品は、アフガニスタンのさまざまな民族の姿を、鮮やかな彩色とともに詳細に描いているのが特徴です。服飾に関しても、作者は作品においても解説においても、非常なこだわりをもって描写しています。

たとえば、作品
24では、一連のアフガニスタン報道で有名になった、顔の部分がメッシュ状になっている頭からすっぽりと全身を覆う女性の衣装ブルカが示されており、服飾史の研究書にも転載されています。しかし、作品や作品では、ブルカではない顔の見える衣装を着ている女性の姿も見られるのです。これは、当時ブルカは貴婦人たちの外出着で、地方の農民や遊牧民はこれをまとうことがなかったためです。ある研究者によれば、農村部にブルカが普及するのは 1960年以降のことで、都会的でファッショナブルな衣装として広まり、同時期に都市ではブルカが廃れているという傾向が見られたそうです。しかも、作者は解説のなかで、アフガニスタンの上流階級の女性はインドの女性たちよりはるかに自由を謳歌しており、しばしば、ピクニックに行ってブルカを取り去って楽しんでいる女性に出くわしたとしています。今日報道されるよりも、ずっとおおらかな世界が存在したようです。

この他にも、たとえば、墓廟やモスクにおける信仰のあり方やドッラーニー朝の宮廷儀礼の様子など、歴史・民族史料として多くの興味深い情報を伝えています。


■強い関心とオリエンタリズム
最後に、述べておかなければならないのは、ラットレーの石版画はあくまで、イギリス人が自分たちのために描いたものだということです。そこには、たとえば作品29のようにオリエンタリズム・東洋趣味が色濃く反映しています。また、解説のなかの裁判に関する部分では、イスラームに関する極端な偏見を見て取ることができます。

それでも、ラットレーは、軍人でありながら、ペルシア語を操って現地の人と直接会話し、何よりも、アフガニスタンに関する飽くなき関心を抱いていました。戦争と死傷者の数ばかりがニュースとなる現在の状況とは大きく異なっているのです。日本のアフガニスタンとの関わり方がまさに問題となっている今、アフガニスタンの色鮮やかな文化に触れていただき、一考の機会となれば幸いです。


■ナビゲーション・ムービー
会場には、ラットレーが描いた160年前のアフガニスタンの風景の中をじっくり探訪し、人びとの表情に触れるための、美しくも悲しい鮮麗な「ナビゲーションムービー」を用意しています。

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