『イスラーム世界がよくわかるQ&A100』
2. 法と政治のしくみ ----- イスラーム体制は時代錯誤か
Q25: イスラームと民主主義は両立するのでしょうか。

A25: これは難しい質問ですね。両立するとも言えるし、しないとも言えます。というのもこの問いに対する答えは、「民主主義」というものをどう考えるかによって全然違ってくるからです。

政治学的にはかなり面倒な議論がありますが、ここでは「民主主義」を以下のように定義してみましょう。すなわち現代日本でいう民主主義とは、国民主権の思想に基づき、国民の選んだ議会が政治の中心となる制度です。議会は法を制定し、その法に従って行政や司法が動かなくてはなりません。そこではもちろん言論の自由が保証されなくてはなりませんし、国民の参政権にいかなる差別があってもいけません。このように考えた場合、イスラームの何が「民主主義」に抵触するのでしょうか。

まず原則からいうと、イスラームは「国民主権」を認めません。イスラームにおいて主権者、立法者は神のみとされ、人間にできることはただ神の命令(イスラーム法)を解釈・実行することだけだ,と言われます。多くのイスラーム主義者(Q14註参照)が「民主主義」に反対するのもこのためです。しかし、これはあくまで言葉の上の問題に過ぎません。現実問題としてイスラーム法は外交・軍事・行政など政治の大半を規定しておらず、人間の自由裁量に委ねているからです。今日ではこれを裁量するのは議会(シューラー)と見る説が有力で、この点で民主主義との間に矛盾はありません。

シューラー(合議)はもともとアラブの伝統で、預言者ムハンマドも衆知を結集する場として尊重していました。しかし、イスラーム国家が王朝化・専制化するにつれて省みられなくなり、このことがイスラーム世界を停滞させた原因だと多くのイスラーム主義者が批判しています。意外かもしれませんが、彼らは議会制の支持者なのです。ただ、日本と異なるのは、いくつかの刑罰規定や相続法など、人間による変更が不可とされる分野があることです。これらの法規はコーランに明記されており、議会による修正はいっさい許されない、との見方が支配的です。実際、イスラーム主義者の多くもこの立場を取っています。もっとも、これは量にすれば法全体の五%以下に過ぎないとも言われています。

次に言論の自由ですが、イスラームが禁止する思想信条は実はほんのわずかです。もっとも強硬な言論統制論者であるイスラーム主義者ですら、政教分離論(Q28参照)、イスラームそのものを否定する議論(Q24参照)以外は否定しません。イスラーム史はここ一〇〇年、「解釈の革新」ともいうべき時代に入っており、イスラーム法の「中身」について是非を論じる作業は日常的に行われているのです。日本の場合、言論の自由に法的な制約がないため、少しでも制約があると「反動的」と考えがちですが、「民主主義の本場」アメリカでも数年前まで共産主義とファシズムの思想は禁じられていました。言論の自由が程度問題だとすれば、イスラームが民主主義に反するかどうかは、かなり微妙な問題と言えます。

イスラームと民主主義の関係を考える場合、もうひとつ重要なのは参政権の問題です。伝統的な理解では、イスラーム法の解釈はイスラーム教徒(ムスリム)にしか許されていません。したがってイスラーム法が国家の法となれば、非ムスリムは参政権を失うことになります。これは極めて重大な欠陥と思われるため、今日では非ムスリムの参政権を認める思想的な工夫が探られています。

以上述べたように、イスラームと民主主義の関係は一筋縄ではいきません。回答は、両者の相違点を重大な対立と見るか、わずかな違いと見るかにもよるでしょう。

最後にひとつ、日本人が気づきにくい問題を指摘しておきます。それは、イスラームと民主主義の対立を説くこと自体、現状では民主化推進の障害になるという事実です。イスラーム諸国の大半は一種の独裁政権であり、自由な政治活動を認めていません。イスラーム主義者はそこで民主化を求める運動を進めています。イスラーム勢力の伸張が民主主義を危うくするというのは、防戦一方の政権側がよく持ち出す議論です。そしてアルジェリアの例でも明らかなように、欧米先進国はこの考えを支持し、民主化圧殺を容認してきました。イスラーム主義者から見れば、どこにも存在しない民主主義を自分たちが破壊するという非難は濡れ衣でしかありません。イスラームと民主主義の矛盾をあげつらう前に現場の状況をよく見てほしい、というのが彼らの正直な気持ちでしょう。問題設定自体がはらむ不公平というものも考えてみるべきではないでしょうか。
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