『イスラーム世界がよくわかるQ&A100』
2. 法と政治のしくみ ----- イスラーム体制は時代錯誤か
Q24: イスラームには言論の自由はないのですか。

A24: イスラームは本来、人々が意見を出し合って、よりよく生きるための方途を見つけようと努力することに、何ら制限を加えるものではありません。ただし、イスラームとしてどうしてもゆずれない大枠、というものはあります。

「言論の自由を制圧するイスラーム」というイメージが日本で広まったきっかけの一つは、一九八八年に起きた『悪魔の詩』事件だったかと思われますが、サルマン・ラシュディーがあれほど激しく攻撃されたのは、この本の内容が「背教」にあたると考えられたためでした(Q20参照)。背教とは文字通り、イスラーム教徒がイスラームを捨てること(棄教)を意味します。ただ、イスラームではさらに、神や啓示の否定、神に対する批判なども背教と見なされるのです。『悪魔の詩』は預言者ムハンマドが伝えた啓示の正しさに疑問を呈したことから、「背教」の烙印を押されました。この種の「六信」(Q1参照)を疑う議論はイスラームそのものの否定に直結することとなるため、イスラームはこれを認めないのです。それは棄教とみなされ、伝統的なイスラーム法の規定では処罰の対象となりえます(もっとも、大半の国々ではすでに近代的国家法がイスラーム法にとってかわっており、こうした原則がイスラーム教徒の行動を「法的に」拘束する状況にはありません)。

一方、エジプトのノーベル賞作家ナギーブ・マフフーズの場合(Q21参照)は少々事情が異なります。彼の作品は神そのものを批判したことから、宗教権威アズハルによる発禁処分を受けました。イスラームは神そのものを批判することを禁じています。神について人間がすべてを知ることは不可能であり(Q48参照)、理解を超えた存在(神)への批判は結局根拠のない中傷にしかならないと考えられているからです。

とはいえ、社会や思想の現状に対する批判は原則として自由です。本来のイスラームは、政治をよりよくするため、人々の意見を聞くよう為政者に求めています。また、伝統的なコーラン解釈や歴史解釈を批判することは長らく禁じられていましたが、一九世紀以降巨大な思想改革運動が起こり、大幅な「解釈の革新」が認められるようになりました。男女差別を助長するような伝統的解釈に代わって、男女同権を説く新たなコーラン解釈が登場したのはその好例でしょう。この種の、解釈に関わる問題については、ムスリムが互いに意見を戦わせ、最終的に時代の変化に応じた最良の解釈に達することが求められています。ただ問題は、誰もが新たな解釈を打ち出す資格を持つとは考えられていない点です。伝統的な宗教勢力は、所定の教育を修了したイスラーム法学者(ファキーフ)以外に解釈の権利を認めてはいません。

先に述べたとおり、イスラームの原則から言えば、イスラーム教徒は自由に為政者や政治体制を批判できるはずですが、残念ながら現在、多くのムスリムはその自由を享受するにはほど遠い状態にあります。法律で言論や表現の自由が保証されている国々でも、現実には検閲や秘密警察による監視があり、露骨な政治批判をすれば即刻投獄、出版停止などといったことがしばしばです。もちろん国や地域による違いはありますが、大半の国はかつての東欧社会主義国に似ていると言っていいでしょう。実際、こうした国民監視システムはかつての東欧社会主義国から多くを学んでいます。イスラーム圏における秘密警察の起源ははっきりしませんが、特に中東の場合、第二次世界大戦後、多くの国々が東欧社会主義をモデルに国づくりを進める中で、旧ソ連型の秘密警察がはばをきかすようになりました。一方、社会主義陣営に対抗した王政諸国も、国内左翼を監視する必要から秘密警察を活用していきます。このようなスターリン体制的国民監視システムは、各国が社会主義を捨てつつある現在でもしぶとく生き残り、イスラーム世界の民主化にとって最大の障害となっています。一九七〇年代以降、いくつかの国々では複数政党制が導入されましたが、この半世紀間続いてきた力による上からの言論封殺は、こうした民主化を形ばかりのものにしています。

改革を求めるイスラーム主義者は、このような言論封殺に対抗しようとしているわけですが、一方では自分たちに対する批判をイスラームそのものへの非難と取り違えたり、自分と異なる解釈をいっさい認めない偏狭な活動家もいます。一九九四年にバングラデシュで起きた、作家タスリマ・ナスリンへの死刑宣告事件には、この種の誤解と不寛容が強く感じられるのです。
line
Q&A TOP第1章目次第2章目次第3章目次第4章目次第5章目次第6章目次第7章目次