symposium 脱帝国と多言語化社会のゆくえ

前ふり
こちら に、
     脱帝国と多言語化社会のゆくえ
      ―アジア・アフリカの言語問題を考える―
というシンポジウムの案内が載ってます。学内に貼られたポスターによると、今までは「言語帝国主義」というと、支配する側からの視点に立った研究が多かったが、今回のシンポは、支配される側に視点を置いたところがウリのようです。

 そんなわけで、シンポジウムでの使用言語にも、スワヒリ語、アフリカーンス語、臺灣語などが混じります(日本語への通訳つきです)。つまり「何でも英語でカタがつくと思うな」という主張(ひいては、アジア・アフリカの土着の言語−−特に消滅の危機に瀕した言語−−を尊重せよ、という主張)がここにあるのです。

 ちなみに、少なくとも、スワヒリ語で発表なさる先生と、アフリカーンス語で発表なさる先生は、実は英語ぺらぺらで、通訳をつけてご自分の母語で発表なさるより、英語で直に発表なさった方が、ほんとは話が早いくらいです。そこをあえて、アフリカの言語を使っていただく。そういうデモンストレーションであるわけです。重要な演出であります。

 ところが、最近、某アフリカ国(アラブ国ではない)からの留学生と話していて不思議に思ったのは、彼は、自分が英語話者であることを、別に悲しいとも思っていないらしいことです。日本で、危機言語調査というと、滅びゆく言語への挽歌みたいな寂寥感が漂っていて、世界が英語という単一言語に飲み込まれていく過程・傾向を非難する姿勢があるのですが、肝心のご本人たち(=アジア・アフリカの危機言語の話者たち)はどの程度、悲しんでおいでなのでしょうか。

(なお、この件に関しては、こちら のレビューも参考になりました。)

 ともあれ、標記のシンポジウムの事務局に問い合わせてみたら、事前に参加申し込みの必要はないとこのとなので、私もちょっと行くつもりです。


symposium 脱帝国と多言語化社会のゆくえ 本番(2003年10月25-26日)

スワヒリ語は世界を救う???

symposium 脱帝国と多言語化社会のゆくえ  を週末聞いてきました。
個々の発表に対する褒め言葉は、他の偉い先生方がお書きになるだろうということで、ここではあえて全く違う話を。

だいたい、今回のシンポは、支配される側に視点を置いたところがウリだったはずなのに、結局は日本語と英語がメインのシンポになってしまいました。別にいいじゃん、といわれそうですが、シンポジウムの最初に、主催の先生が、
「英語という支配者側言語で、何もかも用が足りるという認識そのものがいけない。このシンポジウムでは、あえて、英語以外の言語を使う」
と趣旨を説明されていたのです。これが英語を使ったらまずい理由。

さらに、日本語がまずい理由として、もちろん、外国からの招聘客に理解できないという根本的問題もありますが、台湾人研究者が、初日に、台湾語が、日本語と北京官話とに支配されるという話を発表なさっていて、つまり、日本語だって支配者側の言語であるわけで、英語ではないが、帝国主義的(この「帝国」には、かなり広い意味が付与されています。あ、でも台湾支配のときは、大日本帝国だったか。あはは。)であることには変わりありません。

さらにさらに、非支配者側とか言いながら、実は自分達も支配者であることに気付かないノーテンキなアフリカ人がおり、それは実名報道すると、サイド・アフメド・モハメド・ハーミスという、タンザニア人の先生ですが、
「タンザニアには他におよそ百の言語がある」
といいつつ、
「それらの少数言語が、スワヒリ語によって危機にさらされているわけでしょ?」
と突っ込まれると、
「スワヒリ語には特別なファンクションがある」
「スワヒリ語は我々の言葉だ」(スワヒリ語が自分達の言葉じゃない人々もいるって話なんだってばぁ!)
とか、タンザニア人全員でケニアや近隣諸国とともに、スワヒリ語を喋れば、世界恒久平和が実現し、エイズもエボラ熱もなくなり、スワヒリ語は地球を救うのだ〜と言わんばかり。(言わんばかりだっただけです。実際に言ったわけではありません。)

とにかく、このおっさんが演説始めると、そのスワヒリ賛歌で議論が止まってしまい、これがシンポをつまらなくした大きな原因のひとつ。

「おっさん、黙っとれよ〜」と、心の中で叫んだ人も少なくあるまいて。



英語の方がわかりやすいからね???

 さて、主催者側のアナウンスとしては、脱帝国と多言語化社会のゆくえ のシンポジウムは、「英語で何でも用が足りるという発想は帝国主義的でよろしくないので、あえて、発表者の先生方にも、アジアやアフリカの言語で発表していただくことにしました」

 ところが、セネガル人のママドゥ・シッセ先生は、
「ウォロフ語では、発表が最後までできないと思うので、フランス語で話します」
・・・これって、先生の意図するところは確認しておりませんが、どうしたって「ウォロフ語のような野蛮な言語で学術発表はできないので、フランス語にします」と解釈される余地を大幅に残してない? そうじゃないよ、アフリカの言語だって、正書法が整備され、術語をきちんと規定すれば、学術レベルの話にでも使えるんだっていう主張はないのか!

 さらに笑えるのが、南アフリカからいらした白人の、エルンスト・コツェー先生のケース。まず、アフリカーンス語で発表するという予告であったが、アフリカーンス語って、もとはといえば、オランダ語だぞ。アフリカ土着の言語とは違います。
 で、コツェー先生は、イントロダクションだけアフリカーンス語でしゃべった後、本論からはいきなり英語にシフトしてしまわれた!ちょっとちょっと、さらに状態が悪化してしまったのではないか。
 ご発表後、コツェー先生に「どうしてアフリカーンス語で発表なさらなかったのですか?」と伺ったら、

1)このところ、学会続きで、英語で書いてしまった論文をアフリカーンス語に訳す時間がなかった。(とはいえ、英語で書く方が楽、というわけではないそうだ。先生のネイティブ・ランゲージはあくまでもアフリカーンス語なのである。)
2)でもまあ、みんながアフリカーンス語も聞いてみたいだろうから、最初の1ページだけアフリカーンス語で話して、あとは英語にした。その方が、みんなにわかりやすいから。

英語の方がみんなにわかりやすいからって、それってつまり、シンポジウムの主催者側の趣旨がまったく発表者に伝わってないってことじゃないですか。あきれた〜。



パフォーマンス通訳

 脱帝国と多言語化社会のゆくえのシンポジウムで、お笑いなのが、パフォーマンス通訳。前述のとおり、「英語で何もかも用が足りるという発想がよくない」ということで、スワヒリ語、アフリカーンス語、臺灣語などで発表するわけですが、それだと、聞きに来た日本人が理解できなくて、話になりまっしぇん。それで、いちいち日本語の通訳をつけることになったようです。
 しかし、スワヒリ語の演説に日本語通訳をつけても、マレーシア人の先生なんか、講演内容が理解できないでしょ。それで、ぽけ〜っとしているか、隣の日本人に英語に訳してもらうか、ですが、聴衆の一人である、その隣の日本人が通訳すると、これはただの私語なんであって、ボソボソボソボソ、耳障りなことこのうえなし。
 結局、質疑応答になれば、スワヒリ語を話していた先生は英語で、臺灣語の先生は流暢な日本語で夏目漱石にまで言及なさりながら、話が盛り上がるのでありました。偉大なるかな、帝国主義。こうして、アメリカ帝国主義と大日本帝国主義の旗の下、シンポジウムはめちゃめちゃになりながら進んだのであります。

 そうそう、その臺灣語の先生のことでも、世にもあほらしい、2度手間、3度手間があるのよ。


北京官話→臺灣語→日本語、という世にもアホらしい物語

 さて、陳培豊先生という、台湾人の先生が、「脱帝国と多言語化社会のゆくえ」シンポジウムで、台湾語で発表なさったのですが、配られたペーパーは、北京官話とその和訳でした。何故かと言うと、臺灣語というのは、漢字で書けない語彙が20〜25%もあり、それらを書くには、
1)ピンイン、つまりローマ字、
2)当て字、
3)自分で勝手に作った新字、
のどれかを使うことになります。ということは、つまり、どれもまともな原稿にならないわけ。それで、陳培豊先生は、ワープロできれいに北京官話の論文を書き、しかしながら、シンポジウムの趣旨にあわせて(というか、はっきり言って迎合して)、口頭発表はその原稿の台湾語訳で行ない、それを傍らに座った日本人の先生が、さらに日本語に訳すという形をとったのです。
 でもねー、既に書きましたが、この陳培豊先生って、日本語がほんとに流暢。流暢どころか夏目漱石まで引き合いに出して話ができるほどのレベル。これなら、本人が日本語で発表した方が早くなかったかな? まあ、彼の発表が、大日本帝国が台湾を植民地支配した話だから、その帝国の言語で発表するのは、シンポジウムの建て前、あるいは主催者の趣味からして、好ましくないことではあったろうけれど。

 とにかく、この発表に限らず、外国語の発表には、必ず日本語の通訳がはさまるから、時間が2倍かかることになり、ほんとに疲れたワ。どうしても通訳を入れたいのだったら、どうせ原稿は前もって出来ているんだから、もっと設備のきちんとした会場で、同時通訳にすれば良かったんじゃ。


「抑圧される側の視点については」の看板倒れ。

 そもそも「脱帝国と多言語化社会のゆくえ」のチラシやポスターにですね、

「帝国と言語との関係をめぐって、これまで「言語帝国主義」という枠組みで、抑圧する側からの視点より検討が進められて来ましたが、抑圧される側の視点については、深く研究されてきたとはいえません」

とありまして、内心、「危機言語のプロジェクトなんか、あったんだけどな」と少々違和感を感じておりました。まあ、「深く研究されてきたとはいえません」と断言するくらいだから、もしかして、危機言語が危機的状況にあります!という以上の研究成果が出てくるのかも、とちょっと期待してしまったのも事実です。

 ところがどっこい、蓋を開けてみれば、英語vsスワヒリ語、とか、フランス語vsウォロフ語 とかいう、ヨーロッパ言語に対するアフリカの言語という話ばかりで、そのスワヒリ語とかウォロフ語に潰されつつある少数言語の話が、あんまり議題に上らないのです。
 こういうていたらくだから、
「ケニア、タンザニア、ウガンダの共通語というだけの話なら、英語でも良いんじゃないですか?」
と突っ込まれるのじゃ。さらに、それに対する、サイド・アフメド・モハメド・ハーミス氏の答が、
「我々は、スワヒリ語にはフィーリングを持っているが、英語にはそういうフィーリングを持っていない」
という空虚な論法。そりゃ、タンザニア人にとって、どうせ喋るなら英語(自分達を抑圧した人々のことば)よりスワヒリ語(とりあえず昔から自分達の国の領土内で話されていたことば)の方がまだマシ、というのはわからなくもないけど、ちょっとねえ。タンザニア人なら、否、東アフリカ人ならみんな、スワヒリ語を愛し、スワヒリ語に誇りを持ち、スワヒリ語でみんな幸せになれると信じている(らしい)。でも、実際には、スワヒリ語が広まったがために、消滅の危機に直面してしまったアフリカ言語がいっぱいあるんだよ。。。

 こんなことだから、アフリカの言語とかいって、アフリカーンス語を持ち出してくるような勘違いを(といっても、1ページ分しか喋ってもらえなかったけど)しでかすのです。

 何が脱帝国だ〜! 少なくとも、あなたたちの論法(「帝国」という概念を、広く支配・非支配の関係に対して援用している)で言ったら、脱帝国なんてありえません。
 例えば、タンザニア人やセネガル人が脱帝国してですよ、英語やフランス語をやめようと考えたとしますね。 やめたとして、でも言葉はないと困るから、それぞれスワヒリ語とかウォロフ語とかを使い始めるわけです。ここまでだったら、スワヒリ語、ウォロフ語が英語仏語の抑圧から解放されたってことですが、その時点で、タンザニアやセネガルに存在する、別の少数言語を圧迫し始めることになるでしょ。これって支配でしょ?抑圧でしょ?違いますか?
また「帝国支配」が始まるわけですよ。

 だから、ほんとうに「抑圧される側の視点について」研究するのだったら、その最低辺にある、危機言語について語るべき。で、その危機言語の研究は、宮岡伯人先生というエスキモー語の先生が、文部(科学)省から科学研究費をゲットなさり、大掛かりな3年プロジェクトを組んで記述・研究をなさいました。国際シンポジウムも3回開催されたし、他にも講演会とかシンポジウムとか、もちろん出版物という形でも、研究成果はいろいろ披露されているのです。「抑圧される側の視点については、深く研究されてきたとはいえません」なんて大ウソ。


多言語化社会への道は遠いよ。

 そろそろ終わりにしたいと思いますが、国際シンポ「脱帝国と多言語化社会のゆくえ」の最後の、総合討論とやらの時間の話。まずよくわかんないのが、司会者が2人も出てきたこと。意味不明。そこまでして先生に花を持たせなければならない事情でもあったのでしょうか。
 さらにまずいのは、司会者が率先して英語を喋り始めたことで、これで、
「脱帝国だ多言語だと言っても、結局、英語なんじゃないの〜」
とかなりシラけた気分になりました(少なくとも私は)。もちろん、会議の言語として日本語を、それもわざわざ通訳という形までとって入れている時点で、「支配者側の言語を使わない」というスタンスは、最初から破綻しているわけでありましたが。
 それで、発表のときはスワヒリ語なんか喋っていらした先生も、せっせと英語で話され、台湾語喋っていらした先生も日本語を、フランス語で発表なさった先生も英語でばっちりと、みんなで仲良く英語ときどき日本語で討論なるものが進んだのでした。

 やっぱり21世紀は英語の時代なのだねえ。

 またここでびっくりしたのが、マイク持ちの男子の態度です。確かに、特定のテーブルの先生方からの発言が集中したのは事実ですが、そのテーブルに、まるまるとした体を揺らしてマイクを運びながら、
「何や、そこだけでやっとるんやん」
と関西弁でせせら笑ったのです!
 もしかしたら、プライベートな場面では、そこに腰掛けていらした先生方と、そんな軽口を叩けるくらいの親しいお付き合いをなさっていたのかもしれません。それでもですよ、ああいう会議の、ある程度公式な場面で、マイク運び係が、ご発表なさった先生方に向かって「なんや〜」と嘲笑を浴びせ掛ける… こんな非常識な人をスタッフにしているシンポジウムも珍しいのではないでしょうか。珍しいというより、私はこんな失礼なシンポジウムは初めてでした。

 さて。週末つぶしてシンポジウム聞きにいきましたが、ほんとに何が正しいのか、さっぱりわかりません。民族と言語が一致しないっていうことは、ほんとに不幸せなのかなあ。民族と言語と地域は、ばっちり重なっていないとホントにいけないんでしょうか。。。そこからして良く分からなくなりました。英語がはびこるのは良くないと思ってたけど、よその国とお話し合いをするには、やっぱり共通語がいりようだし、そしたら英語とかスワヒリ語は便利だもんねえ。必要悪っていうものでしょうか。シンポジウムで言ってたけど、アセアンの話し合いを英語で行なうというのは、とっても皮肉だわ。

 まだ書き落としもあるような気もするけど、いったんこれでおしまい。
 個々の発表は興味深いものでしたが、それらについての報告や褒め言葉のたぐいは、いろんなところで書かれるでしょうから、ここではあえて、ひねくれた視点で評してみました♪ それではごきげんよう。

日本語万歳。(←『最後の授業』風に)

文責:榮谷温子(Haruko SAKAEDANI)



なお、このシンポジウムは、東京外国語大学の、21世紀COEプログラム「史資料ハブ地域文化研究拠点」(Tokyo University of Foreign Studies: Centre for Documentation & Area-Transcultural Studies, 略称 C-DAT)の活動のひとつです。
同プログラムは、決して言語学プロパーのプログラムではないこと、
そして、非文字・非図書資料をも視野に入れた史資料の保存・共有・情報化・発信事業を行うことが目的の
立派なプログラムであることを申し添えておきます。


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平成15年10月吉日
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