セネガルにおけるウォロフ化の進行と場面による言語選択:1.ダカール


砂野 幸稔


0.はじめに

 ルイ=ジャン・カルヴェはその著書『超民族語』(1)において、多言語状況のなかで、同じ言語を共有しない人々の間で相互の伝達のためにひとつの言語が共通語として使用され、その結果その言語の勢力が拡大していくという現象を紹介している。重要なことは、そのような現象が 言語政策という国家の言語強制によらずに、多言語状況のなかでの相互伝達という必要性から、人々がいわば自発的な選択を繰り返すことによって起こっているということである。

 日本やフランスのように、現在単一の言語を「国語」として標榜している国家は、そのような「超民族的」機能を果たしていた言語を国家の言語強制によって全国民に浸透させ、日本においてはアイヌ語や琉球語、フランスにおいてはブルトン語、オクシタン語、アルザス語などの言 語を死滅あるいは衰退させることによって、多言語状況を単一言語支配の体制へと作り変えてきた国家である。

 しかしこの二つの国のように、一国家=一言語という体制が現実にほぼ確立されている国家はそれほど多くない。ベルギーやスイスあるいはカナダのように複数言語を、少なくとも法制上は「平等」の「国語」として採用している国もあれば、旧ソ連や中国のように「地方言語」とし て民族語の地位を一応認めた上でロシア語、中国語という「超民族語」を「国家語」として強制する場合もある。また、ベトナムやタイのように、事実上少数民族の言語を無視する形で一国家=一言語体制を採用している国家も少なくない。

 ただ、ここにあげたすべての国家に共通していることは、「国家語」として採用されているのが、すべてその国ですでに「超民族的」機能を果たしていた土着言語であるということである。

 植民地支配から独立を獲得したアフリカの多言語国家の場合は、これらすべての場合と大きく異なっている。多言語状況の上におかれている「国家語」は、土着の言語であるスワヒリ語を公用語として定着させることにほぼ成功したタンザニアなどの例外的なケースを除いて、ほとん どすべて旧植民地宗主国の言語であり、とくに旧フランス領のアフリカ諸国の場合は、現在も事実上フランス語のみが唯一の公用語となっているのである。これらの諸国において、フランス語は植民地支配の言語であっても住民の間で「超民族的」機能を果たす言語ではなかった。独立 の時点においてフランス語を話していたのは極少数のエリートだけであり、大多数の住民にとっては無縁の言語だったのである。

 これらの諸国では、独立後フランス語による教育の普及に努力が傾倒されたが、独立後40年近く経つ現在でも、多くの国でフランス語は少数派の言語にとどまっている。

 そうした中で注目されるのが、そうした国々において、国家による言語強制とは無縁に勢力を拡大しつつある土着の「超民族語」の存在なのである。タンザニアはすでに「超民族的」機能を果たしていたスワヒリ語を「国家語」として定着させることにほぼ成功している。そのような ことが他のアフリカ諸国でも可能なのか、また望ましいことなのか、そしてそのためにはどのような条件が満たされなければならないのか、という問いが導かれるのである。


 セネガルは20余りの言語が話される多言語国家である。独立以来フランス語が唯一の公用語であり、教育、行政ほか、社会の公的場面で用いられる言語はフランス語のみである。セネガル政府は、1971年に主要な6言語を「国語」として指定したが、現実にはこれらの言語にはいかな る公的な地位も与えられていない。

 セネガルの「国語」のひとつであるウォロフ語は、カルヴェが「超民族語」の例としてあげている5つの言語のひとつであり、典型的な「超民族語」である。

 また、セネガルでは1950年代以来、対フランス語言語ナショナリズムとしてのウォロフ語ナショナリズムの伝統があり、さらに、ウォロフ語のこうした「超民族語」としての位置を理由として、ウォロフ語に、現在の公用語フランス語に代わる、あるいはフランス語と併置される「統 一公用語」の地位をあたえるべきだとの主張が存在している(2)

 筆者は、そのような可能性を検討するための具体的資料を得るために、現在、1)ウォロフ語の文字言語としての発展状況とセネガル政府の言語政策に関する調査、および2)ウォロフ語を取りまく多言語状況についての社会言語学的調査を行っている。

 本稿は、そのうち2)の社会言語学的調査の中間報告の第一部を構成する。


1.先行研究

 セネガルにおけるウォロフ化の進行については夙に指摘されている。最初のまとまった研究は1963年から64年にかけて行われたダカール大学応用言語学研究所(Centre de Linguistique Appliquee de Dakar:以下CLADと略記)による調査である(3)

 この調査は、セネガル全土の360の小学校に在籍する下級学年の生徒35,434人を対象に実施されたもので、調査項目は、1)生徒の氏名と生年、2)父母の民族、3)家庭内で話す言語(単数)、4)生徒が話すその他の言語、の四項目である。3)の結果からはおおまかな言語地図が得られ、 3)、4)の結果からはウォロフ語話者の地域別の比率が得られている(4)

 そして、農村部においてはこうして得られた言語地図に概ね対応する言語使用が行われ、非ウォロフ地域のウォロフ語話者が少数であるのに対して、複数の民族が混在する都市部においては、非ウォロフ地域におい ても、ウォロフ語話者の比率が高いことが指摘されている。以下がF.ウィオランとM.カルヴェが示した非ウォロフ地域のウォロフ語話者数の比率である(5)

              都市部         県全体
  ジガンショール     80.04%         17.33%
  ポドール        80.00%         12.75%
  ヴェリンゲラ      47.81%         7.19%
  セジュー        40.72%         9.33%
  ビニョナ        37.15%         6.75%
  コルダ         27.81%         5.00%

 また、ウォロフ語を家庭内で話すと答えた生徒について次のような数字もあげている。

  両親ともウォロフ    68.92%
  片親のみウォロフ    15.76%
  両親とも非ウォロフ   15.32%

 つまり、家庭内でウォロフ語を用いると答えた生徒の約3割は両親の一人あるいは両方の民族の言語を放棄する形でウォロフ語を話しているということであり、ウォロフ語が非ウォロフ地域においても都市部において勢力を拡大していることが、この調査によってはっきりと示された のである。

 この調査は同時に、セネガルのような多言語状況においては、「母語」という概念が「母から習得した言語」という意味では意味をなさないということを示した。「家庭内で話される言語」を、「子供が最初に習得する言語」とみなせば、それはもはや母の言語とは限らないというこ とである。

 しかしこの調査は、30年以上前の調査であるということの他に、筆者の関心から見るといくつかの問題点を含んでいる。まず両親の民族と第一言語が一致するという前提は、後述するように成り立たない。また、家庭内で話される言語をひとつだけあげるというのも、家庭内の複数言 語使用が見られる都市の実態を正確には反映し得ない。さらに、各小学校に調査票を送付し、実施をそれぞれの小学校の教員に任せたという調査の方法は、上記の点を含め、曖昧な部分を残すのである。

 そうした方法論上の問題点を改善した形で行なわれたのが、パリ第五大学言語計画調査研究センター(Centre d'Etude et de Recherches en Planification linguistique, Univ.Pais V:以下CERPLと略記)のルイ=ジャン・カルヴェのグループによって行われた1984年のジガンショ ールの小学校における調査(6)とCLADのマルティーヌ・ドレフュスによって行われた1986年のダカール地区の小学校における調査である(7)

 両親の第一言語と生徒本人の第一言語、および本人が話すその他の言語を順位をつけて答えさせるこの調査からは、ダカール、ジガンショール双 方において、父母の世代から子供の世代への移行過程でウォロフ語の勢力拡大が起こっていることが顕著に示されると同時に(8)、とくにダカールについては、ウォロフ語以外の言語を第一言語とする子供は、ほとんどがウォロフ語を第二言語あるいは第三言語以下として話す複数言語話 者であるのに対し、ウォロフ語を第一言語として話す子供には(フランス語を除いた)単一言語使用の傾向が強いということも示された。

 こうした小学生を対象とした第一言語と使用言語にのみ関する調査の他にも、やはりCERPLのJ.カルヴェのグループとCLADによって、ダカールとジガンショールにおける市場での言語使用の実態調査が1985年から1987年にかけて行われている。この調査によっても、ダカールではウォ ロフ語が市場の言語として他の言語を圧倒し、ジガンショールにおいても第一言語話者の多いジョラ語、マンディンカ語等をはるかに上回る市場の言語となっていることが示されている(9)

 さらに1987年から1991年にかけてはCERPLのC.ジュイヤールがジガンショールの町について、上記の調査を踏まえた詳細な多言語使用の実態についての調査を行い、やはりウォロフ語の勢力拡大の傾向を指摘している(10)


2.調査の目的と方法

 筆者の調査の目的は、まず第一に上述の研究によって示された結果を若干異なった方法で確認するとともに、これまでダカールとジガンショールに限られていた調査を北部および東南部の都市においても行ってみることである。すでに筆者はここで報告するダカールの他に、南部のジ ガンショール、および北部のサンルイ、ポドールにおいても同様の調査を行っており、さらに東南部のタンバクンダ、バケル等においても調査を行う予定である。

 第二の目的は、下に示す調査票の質問項目の10、11に見られるような言語政策に関する意識調査を同時に行うことであるが、これについては別の場所で論じる予定である。

 調査の方法は、調査票を用いた対面調査であり、ある程度その町の特徴を反映していると思われるいくつかの傾向の異なる地区をあらかじめ選んだ上で、筆者と1〜3名の助手が無作為抽出による戸別訪問と路上インタビューを行った。

 以下に筆者の用いた調査票の日本語訳を示す。


<質  問  票 −セネガルにおける国語使用−>

 1.名前 2.民族 3.性別 4.年齢 5.職業
 6.あなたの母語/第一言語
 7.あなたの父と母の母語/第一言語:父、母
 8.あなたはどの言語を話せますか、読めますか、書けますか:
    ・不自由なく ・ある程度 ・少し ・読める ・書ける
 9.次の場面でどの言語を話しますか
    ・家庭の中 ・近隣で ・市場で ・役所で ・同僚/級友と ・上司/先生と
 10-1.国語を公教育に導入するのは良いことだと思いますか
 10-2.(答えが「はい」の場合)どの段階が良いですか
 11-1.ある一つの国語を「統一国語」として採用するのは良いことだと思いますか
 11-2.(答えが「はい」の場合)どの国語が良いですか

 先行研究との大きな違いは次の三点にある。

 1) 異なった生活場面における使用言語についての質問を同時に行ったこと(質問項目9)。
  これは、どの生活場面でどの言語が用いられているかを知るためである。
 2) 項目9の質問を行うために、調査対象を小学校終了程度以上のすべての年齢層としたこと。
   3) 使用言語についてどの程度話せるかも質問したこと。これは話せるか、話せないかの二者択一だけでなく、不自由なく話せる人々の割合をある程度正確に知るためである。

 また、本稿では触れないが、申告された母語/第一言語がどの程度維持されているかを知るためでもある。実 際、母語/第一言語はほとんど忘れ、現在はウォロフ語あるいはその町の主要言語の方がよくできるという例も少なからず見られたのである。

 あらかじめこの調査の持ついくつかの弱点に触れておく必要があるだろう。

 この調査は、1963-64年のCLADの調査や国勢調査のような網羅的な調査ではなく、サンプル抽出による調査であり、ある程度の偏りが生まれるのは避けがたいことである。しかし、ダカールとジガンショールについては上述したような先行研究があり、それらの結果および国勢調査の結果と の比較によって、いくつかの特徴的な傾向は十分な正当性を持って指摘し得ると筆者は考える。それは同時に、他の都市における調査の結果の信頼度を高めることに繋がるだろう。

 また、先行研究と共通した弱点としては、調査結果がすべて本人の申告に基づくものであるため、回答に本人の願望や価値判断が反映される可能性があるということがある。公用語でありプレスティージ言語であるフランス語についてはもちろんのこと、「超民族語」であるウォロフ 語あるいは自らの民族の言語について過大に自己の運用能力を評価するということは十分考えられる。しかし、筆者の調査では、ほとんどの場合、回答者の家族や知人の前で行われた回答であり、少なくとも極端な過大評価や虚偽の回答の可能性はかなり減じられていると考える。


3.ダカール地方:大ダカールとピキン

 現在のセネガルの首都であるダカールは、1677年にオランダからフランスに割譲され、1862年に港が建設された後、フランスによる西アフリカの植民地化の本格的推進者であるフェデルブ総督によって植民地都市となった。1903年には、18世紀以来フランスによる西アフリカ植民地化 の拠点であったサンルイに代わってフランス領西アフリカ植民地の首府となり、1960年の独立とともにセネガルの首都(当初セネガル・マリ連邦、まもなくセネガルとマリに分裂)となった。

 植民地時代、ダカールは巨大なフランス領西アフリカ植民地の首府として拡大を続け、独立後もセネガル全土のみならずギニア、ギニアビサウ、カポベルデ、モーリタニアなどの近隣諸国からの移入民の流入で拡大を続けている。1904年に18万であった人口は、1960年には30万、1988年の国勢調査の時点ではダカール県だけで60万、ピキン県、リュフィスク県を含めたダカール地方全体では180万の人口を擁している。

 ベルデ岬はもともとウォロフ人とレブー人(レブー語はウォロフ語の古形と言われる一方言で、1988年の国勢調査以来ウォロフ人として扱われている)の居住地であったが、植民地期以来の人口流入によって、1988年の国勢調査ではダカール地方の各県の民族別人口構成は以下のよう になっている。(出典:Direction de la Prevision et de la Statistique, 1992.)

          ダカール県 ピキン県 リュフィスク県 ダカール地方全体
   ウォロフ     49.1%   53.4%   71.2%       53.8%
   フルベ      16.5%   22.3%   12.9%       18.5%
   セレール     13.0%   10.6%   9.8%        11.6%
   ジョラ      6.9%    3.5%   1.3%        4.7%
   マンディンカ  3.3%    2.7%   1.3%        2.8%
   ソニンケ     2.4%    1.4%   0.6%        1.7%
   バンバラ     2.3%    1.5%   1.3%        1.9%
   マンジャック   1.9%    2.1%   0.4%        1.8%
   その他      4.5%    2.6%   1.3%        3.3%
   (「マンディンカ」の分類にはマリンケ、ソセが含まれる)

 民族的出自と母語/第一言語が一致しないことは国勢調査の結果からも明らかである。以下に1988年の国勢調査報告によるダカール地方全体における第一言語、第二言語としての各言語の話者の比率を示す。(出典:同上)

          第一言語 第二言語    計
  ウォロフ     67.2%   24.1%    91.3%
  フルフルデ   13.8%   2.1%    15.9% 
  セレール     7.9%    1.5%    9.4%
  ジョラ      4.0%    0.5%    4.5%
  マンディンカ**  2.0%    0.6%    2.6%
  ソニンケ     1.0%    0.2%    1.2%
  バンバラ     0.9%    0.4%    1.3%
  マンジャック   1.5%    0.1%    1.6%
  その他      1.7%    0.0%    1.7%
  ( フルベ人は自らの言語をフルフルデと呼ぶ)
  (**「マンディンカ」の分類にはマリンケ、ソセが含まれる)

調査は1996年8月7日から9月5日の期間に、大ダカール内のリベルテ6、デルクレ、カストール、ハールヤッラー、グランヨフの各地区および事実上大ダカールの延長となっているピキン、ゲジャワーイで計572名の住民を対象に行った。

 リベルテ6、デルクレは第二次大戦後拡張されていったダカール都市部が独立後の都市計画でさらに北に拡張され、60年代から70年代に集中的居住の始まった地区であり、相対的に公務員、会社員など定期的収入を持つ人々が多く、カストールはそれらの地区に隣接する市場地区であ る。ハールヤッラー、グランヨフは主にそれ以降に流入してきた人々が暮らす地区であり、ほとんどがインフォーマルセクターで暮らしをたてる人々である。ピキンはもともとダカールとは別の町としてあったが、現在では事実上ダカールの郊外として大ダカールに飲み込まれつつある 。ゲジャーワーイは比較的古くからの居住者の多いピキンと異なり、実質的にダカールの延長として発展してきた地区で、新しい流入者が多い。

調査対象者の年齢、職業、性別の構成は以下の通りである。

1)年齢
 10-15 16-25 26-35 36-45 46-55 56-65 66-
 15名  242名 156名 77名 45名  23名 11名

2)職業
 公務員、会社員等給与生活者  52名
 生徒、学生          116名
 商人、修理工、労務者等    209名
 無職、主婦          195名

3)性別
 男性 290名  女性 282名


(1)父母の第一言語と本人の第一言語

 父母の第一言語と本人の第一言語についての質問、および民族についての質問への回答の言語(民族)別内訳は以下の通りである。左から各言語について父の第一言語と答えた数、次いで母の第一言語と答えた数、回答者本人の第一言語と答えた数を示し、父母の合計を2で割った数 と本人の数を比較して増減を示した。全体率は各言語を第一言語とする本人の数の全体に対する割合である。最後に回答者本人の民族的出自の割合を示した。全体率と民族の割合については比較のためにカッコ内に1988年国勢調査のダカール地方(民族についてはダカール県)の比率を 示した。

民族構成および第一言語話者数を1988年の国勢調査の結果と比較すると、第一言語話者についてはセレール語の比率が若干低く、それに対してマンディンカ語、ジョラ語、ソニンケ語、およびその他のアフリカ言語の話者比率が若干高くなっているが、概ねダカール地方全体の構成比 を反映していると言える。また、民族については国勢調査のダカール県の民族構成とほぼ一致している。

                 父     母   本人    増減 全体率(88国勢調査)民族(88国勢調査)
    ウォロフ語    296    300    358    +20%    62.6% (67.2)    47.4%(49.1)
    フルフルデ語    93     89     72   -21%    12.6% (13.8)    16.8%(16.5)
    セレール語     53     49     30   -41%     5.2% ( 7.9)    12.6%(13.0)
    マンディンカ語  27     19      20    -13%     3.5% ( 2.0)     3.8%( 3.3)
    ジョラ語        34     42      36    - 5%     6.3% ( 4.0)     6.6%( 6.9)
    ソニンケ語     15     12      12    -11%     2.1% ( 1.0)     3.1%( 2.4)
    フランス語       1      0       3    +300     0.5% (  - )     0.0%(  - )
    その他          53     55      40    -26%     7.0% ( 4.1)     9.6%( 8.7)
   第一言語の世代間の推移は明白に現れている。ウォロフ語については、父の第一言語がウォロフ語であるとする者296名、母の第一言語がウォロフ語であるとする者300名に対して自らの第一言語がウォロフ語であるとする者は358名であり、一世代の間にウォロフ語第一言語話者数が2 0%増加したことになる。

 それに対して、その他の「国語」はすべて父母の世代より少ない数の第一言語話者しか持たない。ウォロフ語第一言語話者が増加し、他の「国語」の第一言語話者数が減少するという傾向は、下の比較資料に示したドレフュスの調査結果でも同様に見られ、ダカ ールにおいてはウォロフ以外のすべての民族がウォロフ語に言語的に同化されつつあるということがはっきりと確認できる。

 しかし民族構成比と第一言語話者の全体率を比較すると、民族によって同化の進み方に相違があることが分かる。マンディンカ人とジョラ人が第一言語話者数を若干減らしながらも、かなりよく自らの民族語を第一言語として維持しているのに対して、セレール人は自らの民族語を第 一言語として話す者は半数に満たない。ドレフュスの調査結果でも、セレール語の大幅な後退については同様に顕著に表れている。

 他方、少数だがフランス語の第一言語話者が増加している。ドレフュスの調査結果でも、フランス語第一言語話者は411%という大幅な増加を示している。ドレフュスの調査では民族が示されていないが、筆者の調査対象のなかにはフランス人あるいはフランス人との混血は含まれてい ない。筆者の経験でも、教育水準の高い人々の間には家庭内でもフランス語のみを話す人々がいるが、子供たちはフランス語を強制する父母のいないところでは友人、兄弟間ではウォロフ語で話していることが多い。この数字が実態を反映するものであるとしても、プレスティージ言語 であるフランス語に完全に同化しようとする傾向は当然のことなのだが、プレスティージ言語が自らの第一言語であるとしたいという強い願望を反映する数字である可能性もある。

      <比較資料:M.ドレフュスの調査>父母と本人の第一言語
      (出典:DREYFUS,1987 および HEREDIA-DEPREZ, 1987.)
       ダカール:回答総数477
                     父     母   本人    増減*   全体率*
        ウォロフ語   213    208    273    +30%    57.2%
        フルフルデ語  103     98     77   -23%     16.1%
        セレール語    56     59     32   -44%      6.7%
        マンディンカ語 30     28      21    -28%      4.4%
        ジョラ語       19     25      15    -32%      3.1%
        ソニンケ語      3      6       3    -33%      0.6%
        フランス語      6      3      23   +411%      4.8%
        その他         47     50      33    -32%      6.9%

(2)ダカールにおける多言語使用

 使用言語についての質問への回答の全体比の言語別内訳を以下に示す。百分比は左から順に不自由なく話せると答えた者、ある程度話せると答えた者、少しなら話せると答えた者の比率であり、次にその総計の比率を示した。比較のために、その右にそれぞれの言語の第一言語話者の 比率と民族の比率を示した。「複数言語率」というのは、「話せる」言語の回答総数を回答者数で割ったものである。

                 不自由なく ある程度 少し  計 第一言語話者 民族 
    ウォロフ語     90.4%     5.8%     3.1%  99.3%   62.6%     47.4%  
    フルフルデ語    14.3%     2.3%     4.4%  21.0%   12.6%     16.8%  
    セレール語      6.5%     0.3%     1.4%   7.3%    5.2%     12.6%  
    マンディンカ語   7.5%     0.3%     0.7%   8.6%    3.5%      3.8%  
    ジョラ語         6.5%     0.0%     0.9%   7.3%    6.3%      6.6%  
    ソニンケ語      2.6%     0.0%     0.5%   3.1%    2.1%      3.1%  
    フランス語      49.0%     7.9%    11.7%  68.5%    0.5%      0.0%  
    その他           8.2%     0.7%     1.6%  10.5%    7.0%      9.6%  
 
                 *複数言語率           :2.256 
                     *  〃 (フランス語以外):1.571

 まず明白なのが、ウォロフ語がほぼ全員に理解されるということである。しかも「不自由なく」話す人々も90%を越える。ウォロフ語を理解しない少数の人々は、ほとんどすべてがハールヤッラーとグランヨフで出会ったフルベ人で、おそらく最近北部からやってきた人々と思われる。

 全体としての複数言語使用率を計算してみると上にあげたような数字が得られる。話せる言語の比率を合計すると225.6%となり、単純に計算して一人平均2.2言語を話す勘定になる。この比率からフランス語話者の比率を差し引くと157.1%となり、フランス語以外の「国語」およびそ 捨他のアフリカ諸語を一人平均1.6言語話すということになる。ただ、先行研究が指摘しているように、ウォロフ語第一言語話者(とくにウォロフ人、およびセレール人)はウォロフ語のみの単一言語使用者かウォロフ語とフランス語の2言語使用者であることが多く、ウォロフ語以外の 言語を第一言語とする場合には、ほぼ全員がウォロフ語を話すということからも明らかなように、最低ウォロフ語を含めた2言語以上(フランス語を除く)を話している。

 しかし、これは、ヨーロッパ諸国やアメリカ合衆国への移民が、自らの母語と英語やフランス語などの受け入れ国の言語を話す二言語使用とは同じものではない。

 ウォロフ語以外の言語について、第一言語話者の比率と「話せる」人々の比率を比較してみると、各言語を「話せる」人々の比率は第一言語話者の比率をすべて上回っている。フルフルデ語については第一言語話者12.6%に対して「不自由なく」話せる人だけでも14.3%、話せる人全体 では21.0%おり、話せる人の比率は民族の比率16.8%を上回っている。とくにマンディンカ語については「不自由なく」話せる人だけでも第一言語話者3.5%の2倍以上、民族の比率3.8%のほぼ2倍の7.5%にのぼる。

 これについては二つの場合が区別できる。

 ひとつは、本人の第一言語はウォロフ語であるが、父母あるいはその一方の言語も同時に保持しているという場合である。セレール語、ソニンケ語など、話せる人の比率は第一言語話者の比率を上回るが、民族の比率は上回らない場合はほとんどがそうしたケースであり、他の言語に ついても当然そうしたケースは少なくない。この場合はヨーロッパやアメリカへの移民の二言語使用とも共通するケースである。

 しかし、フルフルデ語、マンディンカ語、そしてジョラ語については、話せる人の比率は民族の比率を上回っている。筆者の調査では出生地、前住地、ダカールへの移入の年についての質問項目を設けていなかったため、具体例に基づいて述べることはできないが、自らの民族語でも なく、ほとんどの場合父母の言語でもないこれらの言語を話すダカールの人々が、ダカールでこれらの言語を「不自由なく」話せるまでに習得したとは考えにくく、考えられることは、そうした人々がダカール移入以前に、それらの言語が優勢である地域でまずそれらの言語を習得した 後にダカールにやってきたということである。

 つまり、セネガルにおいては、ウォロフ語が他の言語話者を同化するというプロセスだけが存在するのではなく、フルフルデ語、マンディンカ語、ジョラ語などの言語が優勢な地域で、他の言語話者がこれらの言語に同化されるというプロセスも存在していることが、ダカールの結果 だけからだけでも予想されるのである。

 次の「場面による言語使用」の分析結果も、この仮説を裏付けている。実際、以下に見るように、これらの言語は、ダカールでは、話せる人の比率に比べて非常に低い比率でしか使われていないのである。

(3)場面による言語使用

それぞれの場面でどの言語を使うか、という質問に対する回答を表にまとめると以下のようになる。同じ場面でも相手や場合によって異なった言語を用いる場合には、使用する言語すべてをあげてもらった。それぞれの項目の下に各項目に対する回答数をあげてあるが、これは「その 様な場面に遭遇しない」と答えた人々を除いた数であり、比率は回答数に対する比率である。最下段には各場面の複数言語使用率を示した。ここでも比較のために第一言語話者、およびそれぞれの言語を「話せる」と答えた人の比率をあげておく。


              家庭  近所 市場  役所 同僚/級友 上司/先生 第一言語 話せる
(回答数)     (572) (569) (562) (554)  (465)   (370)    
ウォロフ語     80.8% 96.7% 98.7% 73.3%  83.4%   58.9%      62.6%   99.3%   
フルフルデ語   11.2%  3.9%  2.3%  1.8%   3.7%    4.6%      12.6%   21.0%   
セレール語      4.7%  0.7%  0  %  0.0%   0.0%    0.3%       5.2%    7.3%   
マンディンカ語  3.5%  1.2%  0.5%  0.4%   0.9%    0.5%       3.5%    8.6%   
ジョラ語       5.1%  1.9%  0.7%  0.0%   0.4%    0.3%       6.3%    7.3%   
ソニンケ語      1.9%  0.5%  0.2%  0.2%   0.6%    0.0%       2.1%    3.1%   
フランス語     10.3%  9.7%  4.3% 50.7%  43.4%   61.4%       0.5%   68.5%   
その他          5.2%  0.9%  0.0%  0.0%   0.0%    0.5%       7.0%   10.5%   
                          
複数言語率    1.227 1.155 1.067 1.264  1.324   1.265

 以下、場面別に見ていこう。

1)家庭で話す言語
 家庭内では80%以上の人がウォロフ語を用いている。逆に言うと家庭内でウォロフ語を用いない人は20%弱ということであり、ウォロフ語を第一言語としない人の比率40%弱と単純に比較しても、ウォロフ語以外の言語を第一言語とする人も、ほぼ2人に1人は家庭内でウォロフ語を用 いていることになる。しかも本人がウォロフ語を家庭内で用いないということは、必ずしもその家庭内でウォロフ語が用いられていないということを意味するわけではない。CERPLのエレディア=デプレが示したように(11)、両親がウォロフ語以外の言語を第一言語とし、子供たちにもそ の言語で話している場合でも、子供たち同士ではウォロフ語が用いられていることが多いのである。

 フランス語も10%強の家庭で用いられている。ただし、フランス語のみを用いているという回答はほとんどない。少しゆっくりと話を聞けた場合にあたえられた説明で多かったのは、学校に行っている子供たちに対して親が意識的にフランス語を用いて話しているという場合だった。

 他方、ウォロフ語とフランス語以外の言語を家庭内で用いている人の数は、第一言語話者の数を少し下回る。これは夫婦間、親子間で第一言語が違う場合、家庭内の会話においてもウォロフ語が用いられているということである。さらに「話せる」と答えた人の比率と比較すると、ウ ォロフ語とフランス語以外の言語が使われるのは事実上家庭内だけに限られているにも拘わらず、家庭内ですらそれらの言語をまったく用いていない人が非常に多いことがわかる。とくにフルフルデ語とマンディンカ語については、「話せる」と答えた人の約半数しか家庭内でもこれら の言語を使っていない。

2)近隣とのつきあいで話す言語
 近隣とのつきあいでウォロフ語を用いないと言う人は3.3%しかいない。逆にウォロフ語以外の「国語」は、家庭の外に一歩出たところから用いられる機会が極端に減る。相対的に多く使われているフルフルデ語の場合でも、近隣との会話では第一言語話者の三人に一人弱、話せる人の 五人に一人弱しかこの言葉を用いていない。その他の言語についてもほぼ同様である。

 家庭内でウォロフ語を用いないという20%弱の人にとっても、家を一歩出れば、そこはもうウォロフ語の世界なのである。

 フランス語もほぼ10%の人に用いられている。

3)市場で使う言語
 市場で買い物をする際、ウォロフ語を用いないという人は1.3%しかいない。ウォロフ語以外の言語を使用することのある人は、最も多いフルフルデ語でも五人に一人弱しかいない。再度強調しておくが、この調査ではそれぞれの場面で使うことがある言語をすべてあげてもらっており 、数値で表れている人以外は、その場面でその言語を「まったく使うことがない」人である。フランス語の使用割合も市場では4.3%と最も低い。つまり、ウォロフ語以外の言語を第一言語とする人も、市場ではウォロフ語以外の言語を用いることはほとんどないのである。

 表の下にあげた複数言語使用率を見てもそれは明らかである。市場は複数言語使用率が最も低く、ほぼ単一言語使用に近い。ダカールの市場はほぼ完全にウォロフ語単一言語の世界なのである。

4)役所で使う言語
 市役所、警察、郵便局などの国や地方自治体の公共サービス機関に出かけるときには、ウォロフ語とフランス語以外の言語はほぼ姿を消す。ウォロフ語の使用割合は、日常生活により近い上の三場面に比べるとやや低いが、それでも70%以上の人が使っている。ウォロフ語が若干減少 し、ウォロフ語以外の「国語」がほぼ姿を消す中で、急に跳ね上がるのがフランス語の使用割合である。2人に1人が、役所ではフランス語を使うと答えているのである。

 日常の生活場面を離れ、「公的」な性格を持つ世界に近づくとフランス語の使用割合が跳ね上がるのである。役所はフランス語とウォロフ語の二言語併用の世界だが、それでもウォロフ語使用の方が優位である。

5)職場の同僚、学校の級友と話すときに使う言語
 80%以上がウォロフ語を使い、フランス語を使う人は役所より若干少なく40%強だが、役所と同様、ほぼ二言語併用の世界である。ただ、ウォロフ語以外の「国語」の使用割合も、セレール語を除いて役所の二倍以上であり、ウォロフ語以外の言語を共有する同僚、級友とは自らの第一 言語で話す場合もあるということがわかる。

6)職場の上司、学校の先生との会話で用いる言語
 ウォロフ語の使用割合が最も低く、フランス語の使用割合が最も高いのが職場の上司、学校の先生との会話である。学生、生徒の回答と社会人の回答を同一項目で扱っているため数字には表れていないが、学生、生徒のほとんど全員が先生とはフランス語で話すと答えており、逆に社 会人の場合は、ウォロフ語の使用割合はここに表れた数字よりは高いはずである。

 ウォロフ語、フランス語以外の言語では、フルフルデ語についてのみ近所および同僚/級友との会話での使用割合を上回っているが、職場の上司との会話でフルフルデ語も用いると答えた人々はすべて同僚との会話でフルフルデ語を用いると答えた人と同一であり、人数としては近所 で用いると答えた人より少ない。比率が少し高くなっているのは、母集団の人数がこの項目については少ないためである。この人々のなかには学生および公務員や会社員はおらず、同じ民族の小雇用主に雇われている人々であると思われる。

 ただ、第一言語話者の三人に一人以上が上司との会話でも使うと答えている言語は、ウォロフ語、フランス語以外ではフルフルデ語だけであり、この言語についてはあらゆる場面で自らの民族語に固執している人も少なくないことをうかがわせる。

 以上を綜合すると、ダカールにおける場面による言語使用については次のことが指摘できる。

 まず第一に、職場の上司、学校の先生との関係でフランス語の使用割合が少し上回っていることを除けば、どの場面でもウォロフ語の使用割合が圧倒的に高いということである。なかでも近隣と市場ではほぼウォロフ語単一言語使用に近い。

 第二に、役所、職場、学校などの「公的」な場面ではフランス語の使用割合が高いということである。フランス語は私的な日常生活の場面を離れ、「公的」制度と関わる場面で使用割合が非常に高くなると考えられる。ただ、ウォロフ語はそうした場面でも使われ続けている。職場の 同僚、学校の級友との関係では、ある程度私的要素が入るためフランス語の使用比率がやや低くなるものと思われる。

 しかし、最も「私的」な場面である家庭内にも、十人に一人程度とはいえ、フランス語も浸透してきているということにも注目しておく必要がある。

 第三に、ウォロフ語以外の言語の使用は、ただ家庭内にとどまっているだけでなく、家庭内においてもウォロフ語の浸透にさらされているということである。フルフルデ語については、ほぼあらゆる場面でフルフルデ語を使い続ける人々がおり、ウォロフ化への抵抗を感じさせるが、 それも第一言語話者の三人に一人程度にとどまり、三人に二人はダカールのウォロフ語世界に同化しているのである。


5.中間総括と今後の課題

 ダカールについてまず指摘しておかなければならないことは、ウォロフ語は、もはや全体の半数弱のウォロフ人の民族言語なのではなく、ダカールという都市の言語となっているということである。ダカールでは強力なウォロフ語への同化圧力が働いており、その他のすべての「国語 」は家庭内においてさえウォロフ語の浸透にさらされているのである。

 そして、フルフルデ語やマンディンカ語など「話せる」人の数が民族の数を上回る言語も、ダカールでは使用されることの少ない言語となっている。つまり、他の地域では持っていたであろう「超民族語」的機能を、ダカールでは果たしていないということである。

 他方、フランス語についても、役所や職場、学校など公的な場面での使用割合は、ダカールではかなり高い比率を示している。このことは、フランス語も、少なくともダカールにおいては「超民族語」的機能をすでに持ち始めているということを意味している。家庭内でもほぼ一割の 人が用いているということは、この言語がもはや外国語ではなく、ウォロフ語と並ぶダカールの有力な言語となっていることを示している。

 しかし、ダカールにおける「ウォロフ化」圧力が強力であるといっても、すべての流入者が一律に「ウォロフ化」されているのではなく、民族によって反応が異なっているということにも注目しておく必要がある。セレール人のウォロフ語への同化の速度とフルベ人やマンディンカ人 の同化の速度は明らかに異なっており、さらに、家庭の外ではほとんど使われないセレール語と、第一言語話者の3人に1人以上があらゆる場面で自らの言語を使おうとしているフルフルデ語の間の自らの言語への執着の違いも、「ウォロフ化」への抵抗という観点からは無視できない 重要な意味を持っていると思われる。

 「ウォロフ化」という一面だけでダカールの言語状況を総括するのではなく、民族による「ウォロフ化」への抵抗の実態についてもさらに調査を深める必要がある。

 また、ここでは行わなかったが、調査結果の民族別、第一言語別、職業別、性別の比較分析も同時に行う必要がある。引き続き、他の都市における調査結果の分析を行うとともに、結果の比較を通じて、セネガルで進行しつつある「ウォロフ化」と「ウォロフ化」への抵抗の実態につ いて考察を深めていきたい。

 なお、本稿は1996(平成8)年度文部省科学研究費補助金(国際学術研究:研究代表砂野幸稔、研究題目「セネガルにおけるウォロフ語使用」)によって得られた研究成果の一部である。


【註】

(1) L-J.CALVET,1981. 原題は直訳すれば「乗り物言語」を意味し、従来「媒介言語」などと訳されてきた用語で、訳書の標題が示唆するような「新しい」用語ではない。しかし解説者の田中克彦氏が提案されたという標題は、少なくとも筆者が取り上げようとす るウォロフ語の地位と性格を、従来の訳語より忠実に説明しているように思えるので、本稿ではこの訳語を一般的用語として使用する。

(2) SUNANO, 1983. 砂野幸稔、1997.を参照のこと。 

(3) その調査結果はF.WIOLAND et CALVET, 1967.にまとめられている。カルヴェの上掲書もこの調査結果をもとにしている。

(4) F.WIOLAND et CALVET, 1967.参照。この調査では、現在はマンディンカ語として扱われているマリンケ、マンディンカ、ソセなどのマンデ系の言語が、バンバラ語とともに「バンバラ語」として扱われている。

(5) WIOLAND et M.CALVET, 前掲論文。

(6) この調査結果は以下の二論文に引用されている。DREYFUS, 1987. HEREDIA-DEPREZ, 1987.

(7) DREYFUS, 1987.を参照のこと。

(8) 調査結果については比較資料を参照。

(9) L-J.CALVET, 1987.

(10) JUILLARD, 1995.参照。

(11) HEREDIA-DEPREZ, 1987.参照。


【参考文献】

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   − 『ことばと国家』, 1981, 岩波書店.

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