この口頭発表は、後に 研究ノート「アラビア語フェズ方言におけるbγa (〜したい) と xess (〜しなければならない)」として、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所の『アジア・アフリカ言語文化研究』第55号(1998年3月)に掲載されました。が、掲載に際して査読委員の先生からありがたきコメント&アドバイスをいただき、私のきょーれつな実体験(パン生地にお座り事件@フェズ)に基づくヴィヴィッドな例文が、ガリガリに削られてしまったのでありました。
というわけで、以下はいわば敗者復活編。上述の拙稿とあわせてお読みいただければ、確かにパン生地お座り事件は、あんまり本筋に関係ない話だったと、容易にご理解いただけましょう。
なお、研究ノートの抜き刷りご希望の方(そんな方おいでなのだろうか?)は、
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主にアスペクトの点から見たフェズ方言の動詞の体系
動詞の完了形と結果を表す能動分詞・受動分詞との関わり
榮谷温子
アラビア語フェズ方言において、受動分詞は「〜されつつある」という意味を持つのではなく、受けた動作の結果としての状態にあるということを示す形式である。また能動分詞についていえば、他動詞の能動分詞は多くの場合、先行する行為によってもたらされた現在の状況を示す。つまり、その行為が行われた結果が現在も生きているということが能動分詞で表される。例えば、
1)su<aad ra -haa DaRt l- liqaama
ソアード げに 3女単斜 置く3女単完了 限定辞 はっか
fe -l- berraad.
〜の中 限定辞 ポット
ソアードがティーポットにはっかの葉を入れた。
(<:有声咽頭摩擦音、大文字:強調音つまり咽頭化音、e:シュワの代わり)
(女:女性、単:単数、斜:斜格)
と言った場合、過去にソアードがポットにはっかの葉を入れるという出来事があったという客観的事実を述べるだけである。しかし、もしその後彼女の妹がまたポットにはっかの葉を入れようとしたとして、それを「もうソアードがはっかの葉を入れたから、これ以上入れなくていいのよ」と止めるような場合は、はっかの葉を入れるという行為の結果、すなわちはっかの葉がまだポットに入っていることを示す能動分詞形を用いて、次のように言わなければならない。
2)su<aad Dayra l- liqaama
ソアード 置く 女単能分 限定辞 はっか
fe -l- berraad.
〜の中 限定辞 ポット
ソアードが(もう)ティーポットにはっかの葉を入れた。
(能分:能動分詞)
ほかにも、死ぬ mat の能動分詞形 miyyit(男性単数)、miita(女性単数)、miitiin(複数)は、既に死んでしまってこの世にいないことを表す。
3)daak l- weld bba-h u- mm-u miitiin.
あの 限定辞 少年 男単 父 3男単斜 と 母 3男単斜 死ぬ 複能分
あの少年は父母を失っている。(孤児だ)
(複:複数)
また Harrell (1965:323-325) の言うところの「行為の始まり及びそこから生ずる結果的な経過や状態」の双方を表す動詞では、「結果的な経過や状態」については、能動分詞形で「直後の状態や単純な進行行為が表される」とのことだった。例えば、座る gles を例に取れば、行為の始まりは起立状態から腰を落としていくところ(図のA点からB点まで)であり、着座したところ(B点以降)がその結果となるわけである。
能動分詞ではA点からB点までの過程を終えた後の状態としての「着座」状態(B点以降)が表される。これに対して、完了形ではそのような「座る」ことの内部構造を考えに入れる必要はなく、単に点アから点イ或いは点ウへの移行が完了したことを示すのみである。
例えば、私がお台所の椅子の上に寝かせてあったパン生地の上に、知らずに座ってしまったとする。そこに居合わせた人は、
4)nti glesti <a -l- <ajiina!
2女単主 座る2女単完了 〜の上に 限定辞 パン生地
あなたはパン生地の上に座ってしまったわ!
(主:主格)
と、完了形を用いて私に警告する。なぜなら、私が起立(点ア)から着座(点イ)に移行する過程が完了するのを見たからである。それに対して、もしお台所に私が一人でパン生地の上に座っているところへ、誰かが入ってきたとすると、その人は、
5)nti galsa <a -l- <ajiina!
2女単主 座る2女単能分 〜の上に 限定辞 パン生地
あなたはパン生地の上に座っているわ!
と能動分詞形を用いることになる。なぜなら、この場合ではその人は私の起立している状態を見ておらず、着座という結果(点イ)だけを見たからである。また、その後あわててパン生地の上から立ち上がった私は、あとでお母さんに謝るときに、
6)>ana glest <a -l- <ajiina.
1単主 座る1単完了 〜の上に 限定辞 パン生地
私はパン生地の上に座ってしまいました。
(>:声門閉鎖音)
と完了形を使うことができる。これは点アから点イへの移行が完了して、今は点ウにいることを示す。このように、能動分詞形は行為の完了そのものよりも、その結果を重視する表現であることがわかる。
さらに結果に重点を置いた能動分詞の用法としては、食べる kla の能動分詞形 waakel が挙げられる。人によってはそのような用法はないという人もあったが、これは食べてお腹が一杯である様を表すとのことだった。ただし、fTer(朝食をとる)、 tgheddaa 昼食をとる)、 t<ashshaa 夕食をとる)の能動分詞形、faaTer, mgheddii, m<ashshii は、お腹が空いてしまっても「食事をした」という状況で使えるということであった。
mgheddii, m<ashshii は、正確にはそれぞれ gheddaa 昼食を食べさせる)、<ashshaa 夕食を食べさせる)という動詞の受動分詞形である。このように、tFeCCeL(語根の三子音をFCLで表す)の能動分詞形は*mtFeCCeLではなく、FeCCeL型の受動分詞mFeCCeLで代用されることが多い。他の例では、tHammen(入浴する 3msg pf)に対して、Hammen(子供などをお風呂に入れる 3msg pf)の受動分詞形 mHammen が「お風呂に入ってさっぱりした」という意味で用いられている。
一方、飲む shreb の能動分詞形 shaareb は、お酒を呑んでしまった結果、酔っぱらっているという様子を表すときにのみ用いられる。
さらに 結婚する djuwwej に対する mjuwwej(結婚させる juwwej の受動分詞形)は、
7)Mimi mjuwwej bent xalt -u
ミミ 結婚させる男単受分 娘 母方のおじ 3男単斜
u- TLLeq -haa
そして 離婚する3男単完了 3女単斜
ミミは母方の従姉妹と(ずっと)結婚していたが、(最近)離婚した。
(x:無声口蓋垂摩擦音)
のように、結婚の状態が長く続きかつ離婚してすぐの頃であれば、離婚した後でも「妻を得た、結婚した djuwwej 結果としての結婚状態を指すのに用いられ得るのである。
しかし、結婚してすぐ離婚してしまったり、離婚したのがずいぶん前の話であれば、完了形で
8)Mimi djuwwej bent xalt -u
ミミ 結婚する3男単完了 娘 母方のおじ 3男単斜
u- TLLeq -haa
そして 離婚する3男単完了 3女単斜
ミミは母方の従姉妹と結婚し、離婚した。
という。また、kaan + mjuwwej の形を使って、
9)Mimi kaan mjuwwej bent xalt -u.
ミミ 〜だ3男単完了 結婚させる3男単受分 娘 母方のおじ 3男単斜
ミミは母方の従姉妹と結婚していた。
と言うと「離婚した」と言わなくとも、結婚の状態が過去のことであって現在は離婚していることがわかる。
以上概観したように、結果を表す能動分詞形は一般に、動詞で示される行為が完了し、かつその結果が持続している様を表現する形式である。完了形がその行為の完了を客観的に明示するのに対して、能動分詞形は完了した行為の結果の持続を暗示する形式である。bgha と xeSS の説明で、能動分詞形になると、完了形の断固とした調子がやわらぎ、意味が軽くなったり控えめになったりする傾向のあることに少々触れたが、これは能動分詞形が行為の結果を聞き手に暗示させる形式であることに関連があるように思われる。つまり、この場合の結果を表す能動分詞形、すなわちbaaghi や xaaSS、 は一種の婉曲表現として機能しているのではないだろうか。
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