ウォライタ語動詞の受身・相互動作を表す派生形
東京大学大学院 若狭 基道
0. はじめに ウォライタ語は、アフロアジア語族オモ語派に属するエチオピアの言語である。柘植 (1988)、 Unseth(1990)等によるとウォラモ語と呼ばれることもあるらしく、その「ウォラモ語」の先行研究 としてはOhman and Hailu(1976)がある。そこに見られる記述は発表者の集めたデータと極めて似て いるが、若干異なった点も見られ、おそらくは方言差を反映しているものと考えられる。 動詞部は一般に「語幹+時制・人称等の接辞」という構造である。動詞には、語幹に -ett-が付いた派生形が存在する。この派生形(以下「ett-派生形」と呼ぶ)が、どのような動詞で どのような意味・用法を持つのかを概観するのが本発表の目的である。 尚、以下の内容は、発表者が1997年に三菱信託山室記念奨学財団の援助によって行ったエチオピ アでの現地調査に基づいている。同財団と、インフォーマントとして協力して下さったalamu koira ballaさんには、この場を借りて感謝申上げる。 1. 受動文で使われる例 ウォライタ語では、例えば(1)のような能動文に対して、受動文は(2)のように作られる。 (1)i taana sYoC-iis. 彼nom. 私acc. 殴る-PAST.3m.sg.「彼は私を殴った」 (2)taani aa-ni sYoC-ett-aas. 私nom. 彼-に 殴る-ett-PAST.1sg.「私は彼に殴られた」 即ち、受動文では、能動文での対格名詞句(但し(3)のような例もある。これは対格名詞句を 修飾する属格名詞句が主語になった文と考えられる)が主格名詞句で、動作者が-niを使った後 置詞句で表され、動詞部にはett-派生形が使われる。このようにett-派生形が受身を表す現象 は、Cimm-「騙す」Cim-ett-「騙される」、door-「選ぶ」door-ett-「選ばれる」、wuuK-「盗む」 wuuK-ett-「盗まれる」等のように、圧倒的大多数のいわゆる他動詞に見られる。 (3)taani migid-uwa wuuK-ett-aas. 私nom. 指輪-m.sg.acc. 盗む-ett-PAST.1sg.「私は指輪を盗まれた」 (4)taani aa-ni hassay-ett-aas. 私nom. 彼-に 覚える-ett-PAST.1sg.「私は彼に覚えられた」 上で述べたような、様々な目的語を対格名詞句として取り得る他動詞の他に、この言語には、同 族目的語のみを目的語として取りうる動詞が存在する。その様な動詞からも受身を表すett-派生形 が派生し得る。 (5)kaf-oi faal-uwa fall-iis. 鳥-m.sg.nom. 飛ぶこと-m.sg.acc. 飛ぶ-PAST.3.m.sg.「鳥が飛んだ」 (6)faal-oi faal-ett-iis. 飛ぶこと-m.sg.nom. 飛ぶ-ett-PAST.3m.sg.「飛ぶ事が飛ばれた=何かが飛んだ」 こうした動詞には、Tisk-「眠る」、utt-「座る」、kiy-「出る」、guf-「跳ねる」等がある。最 初に扱ったごく普通の他動詞からもこのような受動表現を作ることが可能である。 (7)sYocc-ai tanaa-ni sYoC-ett-iis. 殴ること-m.sg.nom. 私-に 殴る-ett-PAST.3m.sg. 「殴ることが私によって殴られた」 gakk-「到着する」という動詞は、主文中では同族目的語を普通取らない。 (8)taani zino hagaa gakk-aas. 私nom. 昨日 ここ 着く-PAST.1sg.「私は昨日ここに着いた」 (9)?gak-uwa gakk-aas. 到着すること-m.sg.acc. 着く-PAST.1sg. ところが従属節中だと、以下のような同族目的語による表現が可能となる。 (10)gak-uwa gakk-aa-sYii-ni, ... 到着する事-m.sg.acc. 着く-PAST.1sg.-時(?)-で「私は到着を到着し、・・」 ここから (11)gak-oi gak-ett-ii-sYii-ni miyob-i baawa. 到着する事-m.sg.nom. 着く-ett-ii-時(?)-で 食べ物-SUB ない 「着くことは着いたけれど食べ物がない」 ii-は従属節動詞部を形成する要素 という受身表現が可能となる。このように従属節に於いてのみ(但し現在までに得られた例文は逆 接関係を表すもののみ)受身形が可能となる動詞には、gam'-「待つ」、wull-「落ちる」等がある。 2. 受身と関連する意味変化を表す例 ここで扱うのは、基本的に受身の一種と考えられるものの、多少の意味変化を伴っているもので ある。ここにはdaakk-「裂く」daak-ett-「裂ける」、domm-「始める」dom-ett-「始まる」、kunt- 「満たす」kunt-ett-「満ちる」、laamm-「変える」laam-ett-「変わる」、yel-「産む」yel-ett- 「生れる」の様に、他動詞を自動詞化する例が多い。 (12)ityoPPiya bir-ai laam-ett-ees. エチオピア ブル(貨幣単位)-m.sg.nom. 変える-ett-PRES.3m.sg. 「エチオピアのお札が変ります」 Toon-「勝つ」Toon-ett-「負ける」、go''-「仕える」go'-ett-「使う」のような、意味的に多 少の飛躍のある例もある。 以上のいずれも意味的に受身と関連づけることが可能である。また受身文と同じ構文を取る事も 多い。 (13)taani ii-ni yel-ett-aas. 私nom. 彼女-に 産む-ett-PAST.1sg.「私は彼女によって産れた」 (14)i ba-miissY-aa-ni go'-ett-iis. 彼 自身の-お金-m.sg.acc.-に 仕える-ett-PAST.3m.sg. 「彼は自分のお金に仕えられた=自分のお金を使った」 3. 相互動作を表す例 ett-派生形は、相互動作を表す場合にも使われる。 (15)eti sYoC-idosona. 彼等nom. 殴る-PAST.3pl. 「彼等は(一方的に誰かを)殴った」 (16)eti sYoC-ett-idosona. 彼等nom. 殴る-ett-PAST.3pl. 「彼等は互いに殴り合った」 但し(16)は「彼等は殴られた」と受身に解釈することも可能である。この相互動作の表現は割 と生産的であり、他にもCayy-「罵る」Cay-ett-「罵り合う」、koyy-「探す」koy-ett-「求め合 う」、duum-「抱く」duum-ett-「抱合う」等がある。 少し分りにくいが、次のようなものもある。 (17)taani azn-aa gel-aas. 私nom. 夫-m.sg.acc. 入る-PAST.1sg.「私は嫁に行った」 (18)eti gel-ett-idosona. 彼等nom. 入る-ett-PAST.3pl.「彼等は結婚した」 但し男の結婚にはgel-は使われず、mac-iyo ekk-「妻を採る」という表現を使う。 しかし、意味的に相互動作であるからといって、必ずしもこのett-派生形が用いられるわけで はないらしい。 (19)nuuni nuuna be'-ida. 私達nom. 私達acc. 見る-PAST.1pl. 「私達は互いを見た」 また、相互動作ではなくとも、動作が複数存在していることを表しているという点では、以下 のようなett-派生形もここに含めることが出来よう。 (20)a-boll-ai suuTT-iis. 彼の-体-m.sg.nom. 出血する-PAST.3m.sg.「彼(の体)は出血した」 (21)a-boll-ai suuT-ett-iis. 彼の-体-m.sg.nom. 出血する-ett-PAST.3m.sg.「彼(の体)はあちこち出血した」 但しこの種の例は多くない。 (23)でett-派生形が使われる理由も、複数動作ということと関係しているのかも知れない。 (22)Toss-ai sa'-aa Kam-iss-iis. 神-m.sg.nom. 日(?)-m.sg.acc. 暮れる-CAUS.-PAST.3m.sg. 「神が日が暮れるようにした(特定の日について「日が暮れた」ということ)」 (23)Toss-ai sa'-aa Kam-ett-ees. 神-m.sg.nom. 日(?)-m.sg.acc. 暮れる-ett-PRES.3m.sg. 「神が日が暮れるようにする(神の習慣)」 4. その他 以上、ett-派生形には、大きく分けて受身を表す用法と、相互(乃至は複数)動作を表す用 法があることを見てきた。しかしこれだけで総ての用例が説明できるわけではない。 まず、意味上受身と関連づけられても、構文上もはや受動文の痕跡を残していない例がある。 (24)ne-met-oi tayyiyo siy-ett-ees. 君の-問題-m.sg.nom. 私に(与格) 聞く-ett-PRES.3m.sg. 「君の問題が私に感じられる」 「感じられる」と「聞かれる」は意味的に全く無関係とは思えない。しかし、もし(24)がsiyy- 「聞く」の受身文であるならば、動作者を表す語句はtanaa-ni「私に」が予想されるところであ る。因みに文字通り「音が聞かれる」という場合には次のようなごく普通の受動文を使う。 (25)taani aa-ni siy-ett-aas. 私nom. 彼-に 聞く-ett-PAST.1sg.「私(の声)が彼に聞かれた」 kaall-「付いていく」kaal-ett-「案内する」、mint-「締付ける」mint-ett-「慰める」は、意 味上の関連が見えにくいだけでなく、後者は構文的にも普通の他動詞となっている。 (26)i taana kaall-iis. 彼nom. 私acc. 付いていく-PAST.3m.sg.「彼は私に付いてきた」 (27)taani a kaal-ett-aas. 私nom. 彼acc. 付いていく-ett-PAST.1sg.「私は彼を案内した」 (28)i a mint-ett-iis. 彼nom. 彼acc. 締付ける-ett-PAST.3m.sg. 「彼は彼を慰めた」 次に、そもそも-ett-の付かない基本形が存在しない動詞がある。例えばwar-ett-「闘う」がそ うである。これは「闘う」ということがもともと相互動作を表しているからであろう。主語が単数 であってもett-派生形が用いられる。 (29)war-ett-aas. '闘う'-PAST.1sg.「私は(誰かと)闘った」 面白いことに「戦いが闘われた」という場合でも、使われる動詞はwar-ett-であり、war-et-ett- のような二重ett-派生形は使われない。 その他にはhanK-ett-「怒る」、Kar-ett-「悲しむ」、sal-ett-「飽きる」等、人間の感情に関 係する動詞に基本形が存在しない場合がある。 また、wayy-、way-ett-は共に「困る」の意である。違いは未だ見付かっていない。 5. ウォライタ語の再帰表現 Lichtenberk(1985)では、相互動作と再帰動作を同じ形式で表す言語の存在や、受動と再帰の関 連について述べられている。そこで、以下にウォライタ語の再帰表現について簡単に述べておきた い。ウォライタ語では「私は私自身を見た」という表現は次のようになる。 (30)taani tana be'-aas. 私nom. 私acc. 見る-PAST.1sg. 即ちごく普通の他動詞文と何ら変らない。 meeC-「洗う」という動詞に関しては、次のような現象がある。 (31)i ba-kusY-iya meeC-ett-iis. 彼nom. 自分の-手-m.sg.acc. 洗う-ett-PAST.3m.sg.「彼は手を洗った」 (32)i ba-sint-aa meeC-iis. 彼nom. 自分の-顔-m.sg.acc. 洗う-PAST.3m.sg.「彼は顔を洗った」 発表者の調査では、手を洗うときだけmeeC-ett-が使われる。他の身体部分や物を洗うときとは 違って、両手を擦り合わせる動作があるから、とのことである。従って、(31)も再帰の例では なく、相互動作の一種と考えた方が良さそうである(但しOhman and Hailu (1976:160)では再帰を表すett-派生形の例として「I wash myself.」に相当するという文が挙げら れている)。 発表者の知る限り、最も再帰表現らしいett-派生形は、Kos-ett-である。これはKos-「隠す」に 対するett-派生形で、受動の「隠される」の他、「隠れる」の意味にもなる。「隠れる」は「自分 で自分を隠す」こととも考えられるが、今のところ他に類例がなく、本発表2.で扱うべきもののよ うに思われる。 以上から、少なくとも、再帰はウォライタ語のett-派生形の典型的・本質的な意味ではないと考 えられる。 6. 名詞に反映されている例 動詞と共通の語根を含む名詞が、-ett-を含んでいると考えられる例もある。idim-uwa「一方的に 抱くこと」idum-ett-aa「抱合うこと」の様に上述した意味で説明できるものもある。しかし、何故 -ett-が含まれているのか、或は何故-ett-を含んだ形が使われなければならないのか判然としない 例もある。例えば、 (33)giy-a bogett-ai wor-iss-ees. 市場-m.sg.acc. 'bogg-奪う'-m.sg.nom. 殺す-CAUS.-PRES.3m.sg. は「市場を強奪した者は殺される」の意味になる。これは主動詞が使役形であることから考えて、 「市場を強奪されることが(誰かに略奪者を)殺させる」という表現であると思われるが、もしそ うだとしても何故このような回りくどい表現をしなければならないのか、よく分らない。 次もどういう訳か、gak-uwa「到着(すること)」という名詞は使われないと言う。 (34)taani ne-gakett-aa siy-aasi. 私nom. 君の-'gakk-着く'-m.sg.acc. 聞く-PAST.1sg. 「私は君が着いたことを聞いた」 7. ett-派生形の存在しない動詞 以上から分るように、様々な動詞から様々な意味のett-派生形が作られる。一つのett-派生形が 複数の意味を持つこともある(例文(16)等)。しかしこの派生形が存在しない、或は極めて不自 然な動詞も存在する。 いわゆる自動詞に分類されるもののうちの幾つかがここに含まれる。bukk-「雨が降る」、Caar- 「生える」、Cark-「(風が)吹く」、daafur-「疲れる」、gondor-「転がる」、 gund-「縮む」、mugg-「潜る」、Pooll-「光る」、Tay-「なくなる」、Tokk-「滴る」、 zee'-「腐る」等である。これらの動詞は1.で扱った同族目的語を使った受身表現も不可能(或は 極めて不自然)である。 その他、意味上対応する自動詞に、異語根動詞を使う他動詞がある。もっとも、異語根という言 葉を使ったが、実際には語幹末の子音が交替するのみである。例としてはassY-「残す」att-「残 る」、eett-「燃やす」eeTT-「燃える」、dent-「減らす」dend-「減る、減らされる」、等がある。 表記 本稿の表記に用いた字母は以下の通である。 母音 a,i,u,e,o 子音 p,b,t,d,k,g,m,n,l,r,w,y[j],f,s,z,sY(無声後部歯茎摩擦音),c(無声後部歯茎破擦音), j(有声後部歯茎破擦音),h,'(声門閉鎖音),P,T,C,K,D P,T,C,Kはそれぞれp,t,c,kに対応する放出音である。DはOhman and Hailu(1976:155)では retroflex implosiveとされている。しかし発表者の聞いたところでは、声門閉鎖乃至は緊張を前に 伴ったdである。 略号 acc. 対格 CAUS. 使役派生形 f. 女性 m. 男性 nom. 主格 PAST. 過去形 pl. 複数 PRES. 現在形 sg. 単数 SUB. 動詞派生名詞の主語マーカー 1 1人称 2 2人称 3 3人称 参考文献 Lichtenberk,Frantisek 1985 Multiple uses of reciprocal constructions. Australian Journal of Linguistics Volume5 No.1:19-41. Ohman,Walter A. and Hailu Fulass 1976 Welamo. In:Bender M.L. et al.(eds.) Language in Ethiopia,155-164. London:Oxford University Press. 柘植洋一 1988 「オモ諸語」 亀井孝・河野六郎・千野栄一編著『言語学大辞典』 世界言語編上巻:1071-1077. 三省堂. Unseth,Peter 1990 Linguistic bibliography of the non-Semitic languages of Ethiopia. East Lansing,Michigan:African Studies Center, Michigan State University.
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