アラビア語ブハラ方言の限定名詞句のさわり

                         東京外国語大学大学院  榮谷温子


アラビア語ブハラ方言

 ウズベキスタン共和国ブハラ州のジョガリ(Джогари)村およびアラブ・ ハーナ(Араб-хана)村

  (つまりアフリカ大陸じゃないんだ〜!ごめんあそばせ。
日野先生には「ま、アフリカ帝国主義だな」 とのありがたい評を頂きました。
 尊師であらせられられるグル・Nは、「アフロ・アジア語族だから、 いいんじゃないの、別にポアまではしなくたって」と、 これまたあったかき御言の葉。命拾い致しました。ありがたき幸せに存じます。)

で、トルコ語、ウズベク語、ペルシア語などの影響を強く受けた独特のアラビア語方言が話される。1936年、1938年、1943年に、Винников (1969) が、両村にて計67の口頭の物語テキストを収集した。
 本ページは、アラブ・ハーナ村の方言の限定名詞句に関するちょっとした説明。以下、単に「ブハラ方言」と言った場合、それはアラブ・ハーナ村方言を指すものとする。

ブハラ方言における定冠詞

 正則アラビア語の al- に相当するような限定辞は殆ど使われない。Fischer (1959: 81) は、アラビア語ウズベク方言について、トルコ語やイラン諸語の影響で定冠詞を失ったと述べている。例として:

 amiir fat waziir kun 'end-u, waziir fat walad kun 'end-u.
 prince a minister was by-him minister a boy was by-him
 The prince had a minister, the minister had a boy.
 (注:アポストロフィは有声の咽頭摩擦音で読んで下さいね。)

なお、ここで不定冠詞として用いられる fat は、fard (alone, single) という単語に由来する (Fischer 1959: 81)。
 但し、Винников (1962: 19, 189) は -l を「定冠詞」として、次のような結合形でそれの使われる頻度が高いとする:

 fi l Haya 人生のなか=生きている、 anaa fi l Haya 「私は生きている」
 (注:大文字Hは無声の咽頭摩擦音で読んで下さいね。
    それから、Haya は最後の a にアクセントを置いて読んで下さいね。
    テキストファイルってめんどくさいなあ。)

 bi-l-qaS(d) わざと;偽って  bilqaS la tquul.「嘘をつくな」
 (注:大文字Sは /s/ の咽頭化音、つまり無声咽頭化歯歯茎摩擦音で読んで下さいね。
    それから、bilqaS は後ろの a にアクセントを置いて読んでちょんまげ。)

 hal (had-l, ha-l) この/その,

 bal (balbeyt < bab l beyt)(家の)扉
 (注:beyt の e にアクセントを置いて読んで下さいね。)

このようないわゆる「定冠詞」の使用は、慣用句的或いは形骸的であることが予想される。例えば Винников (1969) に次のような例が見られる:

 balbiyetak < baab l- biiyet -ak (p.317 l.24)
       door the house your
 あなたの(家の)扉
 (注:balbietak の -biyet- は、i の上にアクセント。e を上付き文字にする。
    不等号記号の右側の biiyet の e も上付き。)

正則アラビア語であれば、属格の代名詞を伴った名詞句には定冠詞がつかない:

 baab-u  bayt -i  -ka
 door-nom house-gen -your
 あなたの家の扉が

ただし、balbeyt(注:beyt の e にアクセントを置いて読んで下さいね。) や balbiyt, etc. が不定(新情報や不特定指示など)でテキスト中で用いられている例は未発見である。因みに、入り口などを意味するxashim(<xashm「鼻、口」) という語
(注:xashim の a にアクセント。sh は2文字で一組になって無声歯茎硬口蓋摩擦音。)
もあり、これは不定的な位置でも使われる(以下はテキストの冒頭の例。Винников 1962: 313):

 arba' shiriniin kayniin. xashim darwooza qa'diin .....
 4  foolish pl. being pl. mouth gate   sitting pl.
 4人の馬鹿がおりました。門の入り口の処に座っておりました。
 (注:arba' の a にアクセント。
    なお、能動分詞で過去時制が表されている。
    darwooza はウズベク語からの借用。)

 さて、このようにブハラ方言における定冠詞による定の表示は全く義務的なものではない。任意の名詞句が限定辞をともなっていなかった場合、その定・不定は形からだけでは判定できない。ただし、指示詞などを用いて定性を示すことはできるし、またそれは一般的なことである。

ブハラ方言における指示詞

 上述のように、ブハラ方言においては定冠詞の使用が限られているので、指示詞は定冠詞を伴わない名詞に直接添えられる (Fischer 1959: 81):

 had dinya   cf. haadhihi-d-dunyaa  (Standard Arabic)
 this world    this f.sg. the world
 this world     this world(この世)

また、イラン諸語からの影響もいくらか見られると Fischer (1959: 81) は述べている。ペルシア語の ham で、ham-iin(very this)や ham-aan(very that)など。

 min hamaan ki  ghadiit (Винников 1969: 266, l.25)
 from that  conj. you-went
 you went from that ...
 (注:gh は2文字で一組になって有声軟口蓋摩擦音。)

 その一方で、hada (<hadhaa これ/この。dh は2文字で一組になって有声歯摩擦音を示す。) という指示詞も ham に劣らず用いられる。これは had 或いは hat のように語末の -a が脱落した形で現れる。
 -d が無声化して、hat となる例も珍しくない。指示詞以外での d の無声化の例としては、先程出てきた不定冠詞 fat の語末の -t がある。これは、-d が無声化した例:fat < fad < fard.

 また他に、ham が hat と結合して hamat という指示詞が形成される:

hamat < ham+at < ham+hat
 hamat zaghiir
 this  little (m.sg.)
 this boy

ham は、以下のように他の指示詞と結合して、新たな指示詞を形成できる:

 hamduuk, hamdok < *ham-dhaaka
           (dhaaka はアラビア語本来の指示詞 dhaa と呼びかけの小辞 -ka の組み合わせ)
 hama < *ham-haa (haa は注意喚起の小辞)
 hamaan < *ham-haahunaa(ここ 注意喚起の小辞 haa +ここ hunaa)
 hamuuk < *ham-haak (そこ 正則アラビア語であれば「そこ」は hunaa-ka)など。

 さらに Fischer (1959: 82) は hat の語末のtが次に来る名詞の語頭子音に同化する例も珍しくないと述べている:

 hashshughul < *hat shughul
          this job
 this job

ブハラ方言における関係詞・関係節

 ブハラ方言では、関係詞として il が用いられる:

 aadami il m- irkab      (Винников 1962: 17)
 man  rel. pres.-ride 3msg impf.
 乗馬家(<乗る人)     (注:m-irkab の i にアクセントね。)

関係節の動詞が他動詞の場合、その目的語は関係詞より前に出る:

 dabba ir- raakib        (Винников 1962: 17)
 horse rel. riding, ap msg
 騎手(<馬に乗る人)
 (注:ir は il の -l が次の r に同化した形式。
    なお、dabba の最初の a にアクセントを置く。)

正則アラビア語であれば、以下のようになるところである:

 alladhii yarkabu HiSaan -a -n   / -l- HiSaan -a.
 rel. msg he rides horse -acc-indef   the-horse -acc
 (注:大文字のHは無声咽頭摩擦音。)

このようなブハラ方言の関係節構造は、ブハラ方言が単文においてとるSV0構文と密接に関わるものと考えられる。他の例をいくつが挙げると (Винников 1962: 17):

 rizz il  m-ebii'
 rice rel. pres-sell 3msg impf
 お米屋さん(<お米を売る人)

 'eysh il m-iTbax
 food rel. pres-cook 3msg impf
 コックさん(<食事をお料理する人)
 (注:大文字のTは無声咽頭化歯歯茎閉鎖音。)

 bint-in          shughul il missuu (< mi-tsuu) (-h?)
 girl-タンウィーンの名残? work  rel. pres-do 3fsg impf. (-it?)
 女子従業員(<仕事をする娘)
 (注:タンウィーンとは正則アラビア語にて名詞の不定を示すマーカー。
    めちゃめちゃアバウトな説明になりますが、つまり大雑把に言うと -n は不定の名詞の語尾。
    しかし、ブハラ方言でこれが不定を表すのかというと、どうも違う。
    形は残っていて、ひょいと顔を出すけれども、
    本来の「不定」という性質は失われていると見るのが妥当でしょう。

    あと、bint-in の最初の i にアクセント。shughul の最初の u にアクセント。
       missuu の uu にもアクセント。)

 biyet ila-y  il  jaay
 house to -me rel. coming ap.msg
 私の方へ、家へと来る人
 (注:biet の i にアクセント。e を上付き。ila-y の a にアクセント。)

 miiyet     il m-ighsil        -u   kom m-uquluun        -u.
 dead (person) rel. pres-wash 3msg impf -him being pres-say 3mpl. impf. -him
 (人々は)彼を、死体を洗う人、と呼んでおりました。(Винников 1969: 252, l.15)
 (注:miiyet il-mighsil-u の -u(それを、彼を)は、miiyet(死体、死人)を受ける代名詞。
    この句全体で「死体を洗う人」となる。なお、m-ighsil の最後の i にアクセント。)

目的語を受ける代名詞(上で出てきた miiyet il-mighsil-u の -u など)一定して出現するのではない。この点でも単文の構造との関連が見られる。単文の例としては例えば:

 miiyet    ki  dafanoo   -h  salaas yumaat xilaaf,
 dead person conj bury 3mpl pf -him 3   days  then

 sitt Hajaraat riz  kom m-iTbaxuun      -ゼロ,
 6   (unit)  rice being pres-cook 3mpl impf.

 il-adamiin kom m-inTuun       -u.  (Винников 1969: 252, l.18-19)
 to-people being pres-give 3mpl impf. -it
 死者を埋葬して3日後、(彼らは)6ハジャルのお米をお料理し、それを人々に与えたものでした。

 目的語を受ける代名詞の出現と、目的語の定・不定の間には対応はないけれども、相関ぐらいはあるかもしれない。つまり、定の目的語にはそれを受ける代名詞が出やすい、といったような。いつか、数えておきますね、インシャーアッラー。

 さて、最後に関係詞に戻ると、不定の名詞句に対しては、関係詞を用いないようである:

 Iskandar m- uquluun     fad amiir  kon.   (Винников 1969: 266, l.1)
 Iskandar pres-say 3mpl impf. a prince being
 イスカンダルと呼ばれる一人のアミールがおりました。
 (注:Iskandar の最後の a にアクセント。)

参考文献

Fischer, W. (1959). Die Demonstrativen Bildungen der Neuarabischen Dialekte. Mouton & Co., The Hague.
 この本のブハラ方言についての記述は
Vinnikov, I. N. (1949). Materialy po jazyku i folユkloru Buxarskix arabov. in Sovetskoe Vostokovedenie VI, 120-145. が種本じゃ。
Винников, И.Н. (1962). Словарь Диалекта Бухарских Арабов. Палестинский Сборник, 10 (73).
-----. (1969). Язык и Фольклор Бухарских Арабов. Академия наук СССР, Москва.


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