稗田 乃
1。はじめに
言語は、たんに言語共同体を構成する成員の間のコミュニケーションを可能にす
るという働きだけではなく、異なる言語共同体の間のコミュニケーションの障壁と
なる働きももっている。言語がコミュニケーションの障壁となることによって、そ
の言語を話、理解する者とそうでない者を区別するのに言語は使用される。ある特
定の集団のなかでのみ理解されるように意図的につくりだされた「秘密語」でさえ
存在する。「秘密語」のような特定の集団でのみ使用される言語は、言語の「象徴
性」あるいは「表現的機能」を最大限に利用していると考えられる。
ここでいう「象徴性」とは、人間がアイデンティティを表現する手段のひとつと
して言語をアイデンティティの象徴として用いるとき、言語が示す特性のことであ
る。また、「表現的機能」とは、言語体系外の情報を表現する機能である。人間が
言語を用いてコミュニケーションを行なうとき、伝えるのは言語体系内の情報だけ
ではない。
たとえば、『アムロのコンサートに行きたくない』と発話するとき、伝
わる言語体系内の情報は、『実際にコンサートに行きたくないこと』であるが、言
語体系外の情報は、「アムロ音楽を聞くようなガキじゃない」というのかもしれな
い。つまり、言語は、人間がおかれた社会的な環境のなかでその人間がみずからを
表現する機能をもつ。どのような言語変種もこうした「表現的機能」をもつと考え
られるが、この機能をより積極的に果たす言語変種は、敬語であったり、社会階層
的変種(レジスター)であろう。
ダト−ガの女性が話すダト−ガ女性語は、言語の「象徴性」を積極的に利用して
いる言語である。
2。ダト−ガ語
ダト−ガ語は、東アフリカ、タンザニア北西部、エヤシ湖のまわりとババティの
町周辺とムソマの町の郊外とイティギの町の周辺で話されている。さらにダト−ガ
語を話す人々の一部は、国境をこえてザンビアへ移動しているといわれている。ダ
ト−ガ語の話し手の数は、総数約6万4千人である。
ダト−ガ語は、ナイル.サハラ言語群のなかのナイル諸語に所属し、ナイル諸語
のなかの南ナイル方言群に分類されている。ダト−ガ語には地理的変種が存在する
。ロットランドの分類では、地理的変種は、大きく2つ、東ダト−ガ方言群と西ダ
ト−ガ方言群に分類されている。
東ダト−ガ方言群は、バジュータ方言、ギサミジ
ャンガ方言、バラバイガ方言、イシミジェーガ方言からなり、
西ダト−ガ方言群は
、ロッティゲンガ方言、ブラディガ方言、ビアンジーダ方言からなる。
そのほかま
だ分類されていない地理的変種に、ダロラジェーガ方言、ギダンゴーディガ方言、
ビシエーダ方言、ダラグワジェーガ方言、サラグワジェーガ方言、グムビエガ方言
、マンガディガ方言がある。
ダト−ガ語の地理的変種は、地理的分布とかならずしも一致しない。たとえば、
同一地域に異なる地理的変種が話されていることがある。なぜなら、ダト−ガ語を
話す人々が他民族との戦いの歴史のなかで、離合集散をくりかえし、また、頻繁に
移動を行なってきたからである。異なる地理的変種を話す人々が、戦いのための大
戦闘集団をつくり、転戦をくりかえしてきたからである。
3。ダト−ガの女性語
ダト−ガの女性語は、男女共通で話すダト−ガ語(以後、男女共通ダト−ガ語)
と、音と文法の面ではほぼ同じであるが、語彙の面ではまったく異にしている。日
本語の女性語は、せいぜい『お....』とか『....だわ』とか比較的単純な
変換や付加が行なわれる程度だが、ダト−ガ女性語の場合、ほとんどの語彙が男女
共通ダト−ガ語と全く異なる形式をしており、ダト−ガ女性語の語彙形式と男女共
通ダト−ガの語彙形式にほとんど関連をみつけることができない。
4。ダト−ガ女性語はどこで、誰によって、話されるか?
ダト−ガ女性語は、もちろん女性によってのみ話される。男性が話すことはない
。しかし、男性は、女性語が存在することは知っていて、女性語について若干の知
識をもつ者も存在する。女性は、屋敷地内で、氏族内で女性語を用いなければなら
ないとされている。これは、やぶってはならないタブーとなっている。
しかも、女性語は、氏族ごとに、あるいは、かれらの主張によれば、屋敷ごとに
異なっているといわれる。ダト−ガの社会では、氏族は外婚の単位となっているか
ら、女性は、生まれると、男女共通ダト−ガ語(ただし生まれた地域の地理的変種
)と、その氏族、あるいは、屋敷の女性語を習得するが、結婚をすると嫁入り先の
氏族、あるいは、屋敷の女性語を習得しなければならない。新郎の母親や先に嫁入
りした同僚妻たちから教えられる。こうして結婚先の女性語を習得した女性は、男
女共通ダト−ガ語と生まれた氏族あるいは屋敷の女性語と嫁ぎ先の女性語のすくな
くとも3つの変種を習得することになる。
5。ダト−ガの社会組織
ダト−ガの社会組織は、地域集団の集合体からなる。氏族は、地域集団を横断す
るように、同じ名前の氏族が異なる地域集団の中に存在する。たとえば、aという
氏族をXという地域集団の中にもYという地域集団の中にも見つけることができ
る。
地域集団(EMOJIGA 'Territorial Group')は、以下の名前が記録されている(
Tomikawa,1970.表記はそのまま)。
BAJUTA, DARORAJEEGA, GISAMIJANGA, BARABAIGA, BURADIGA,
ROTIGENGA, ISHIMIJEGA, GIDA
GHOODIGA, BISIYEEDA, BIANJIDA,
DARAGWAJEEGA,GHUMBIEEGA,MANGATIGA,SALAGWAJEGA,D
AMARGA,
SAWASKA
これらの地域集団の名前は、さきにあげたダト−ガ語の地理的変種の名前とほぼ
一致している。ただし、これらの地域集団とダト−ガ語の地理的変種の分布が一致
するのかは、これからの課題である。
以下の氏族(DOSHTA 'Clan')の名前が記録されている(梅棹1990。表記はそ
のまま)。
DAREMUNG'AJANDA, DIGANYEEKA, DUUDIYEKA, GHAOOGA,
HAIPANG'GA, HILBAGHAMBAWAYIDA,
HILBAGIROOYA, HILBASIYAATI,
JOOJOOJEEGA, JOOROOJIGA, LOKHOMAJEEGA, SUNG'ANAJEEGA
ダト−ガの女性たちがいうように、ダト−ガ女性語が氏族ごとに違っていて、同
じ氏族であれば、同じ女性語が使用されているならば、地域集団は異なっていても
同じ氏族に属する女性は、同じ女性語を話すことになる。たとえば、男女共通ダト
−ガ語の異なる地理的変種が話されている2つの地域で、同じ女性語が話されてい
るということになる。このような事実が存在するかはまだ確認されていない。
6。ダト−ガ女性語の起源
ダト−ガ女性語の起源を議論するほど調査はすすんでいない。可能性としては、
つぎのような起源が考えられよう。1)過去に話されていた言語(系統不明)の残
存物、2)男女共通ダト−ガ語の変換、3)「秘密語」として創作された言語。
1
)の可能性は、調査の現状ではまったく答えることができない。2)の可能性につ
いては、下の例の(2)のように男女共通ダト−ガ語(バジュータ方言)とバジュ
ータ氏族女性語の形式が類似するものがあることから、まったくないとはいえない
。また、例の(3)のように男女共通ダト−ガ語では、集合の一部をさす語彙が女
性語では集合全体をさす一般名称として用いられている。これらの語彙は、男女共
通語から変換されて女性語がつくられていると考えられるであろう。しかし、それ
ら以外の例はまったく形式を異にしており、両者の関連を想像することさえ困難で
ある。第3の可能性であるが、創作された言語としてなんらかの法則を見つけるに
は、あまりにそれぞれの語彙の形式が違いすぎている。
もしも女性語が過去の言語の残存物であれば、女性語の研究は、ダト−ガ民族の
生成を説き明かす鍵となろう。男女共通語からの変換であるが、また、まったく創
作された言語であれば、つくられた言語がどのように共有され、伝えられるかを明
らかにする鍵となろう。
次の、例の(1)から(16)まではバジュータ氏族女性語であり、(17)と
(18)は、ヒルバシヤ−テ氏族女性語である。なかの列は、男女共通語(バジュ
ータ方言)の形式である。
ダト−ガ女性語の起源はまったく明らかではない。しかし、なぜダト−ガ女性語
が存在するのかについての問いについて指摘できるのは、ダト−ガの女性たちが社
会経済組織のなかでかなり独立していることと、宗教儀礼において用いる言語は、
女性語であることを指摘できる。
7.例となる語彙