ケニアの言語政策の諸問題 竹 村 景 子・大阪外国語大学 (takemura@osaka-gaidai.ac.jp) 1. タンザニアの言語政策を振り返る  †領土間言語(スワヒリ語)委員会[1930年発足]の掲げた目標†   (1)正書法を標準化し、領土間で完全な承認を得ること。   (2)学校教科書、及び辞書等の出版を統制することにより、既存あるいは新     しい語彙の使用において、できる限り一貫性を保持すること。   (3)教科の標準的書物の出版を通して、文法及びシンタックスの一貫性を保持     すること。   (4)スワヒリ語を母語とする作家の活動を鼓舞し援助すること。   (5)これから作家になろうとする者全てに助言を与えること。   (6)既に出版されているスワヒリ語の教科書及び一般書物について、必要な     箇所に改訂を行なうこと。   (7)毎年、必要とされるa.教科書、b.一般書物の定期刊行を行なうこと。   (8)教科書及び一般書物を選択し、それらをスワヒリ語に翻訳すること、ま     た、そういった書物を、スワヒリ語で直接書き著わすことについての取り     決めを行なうこと。   (9)スワヒリ語の教科書及び一般書物を、出版前に検閲し、また、必要な箇所     への改訂を行なうこと。   (10)委員会が取り扱う全てのスワヒリ語の書物に関して、修正及び助言を行な     うこと。   (11)著作家に対し、様々な分野における現実に即した教授方法の情報を提供す     ること。   (12)スワヒリ語及びスワヒリ文学に関する様々な問題に応答すること。   (13)上記の目的の達成のために付随する、あるいはその達成を助長すると思わ     れる他の活動に着手すること。  †スワヒリ研究所(Taasisi ya Uchunguzi wa Kiswahili)の掲げている目標†   (1)スワヒリ語の発展と育成のための研究を行なうこと。   (2)スワヒリ語で書く作家を鼓舞すること。   (3)スワヒリ語の語彙を充実させ、同時に辞書の作成にも従事すること。   (4)書物を編集すること。   (5)スワヒリ語の純粋性を保持すること。   (6)役に立つ書物をスワヒリ語に翻訳すること。   (7)政府及びスワヒリ語の発展に従事する他機関と協力体制をとること。 †小学校におけるカリキュラム(1980年当時)† 」」」」」」」」」」」」」ユ」」」ユ」」」ユ」」」ユ」」」ユ」」」ユ」」     学年」」      1  2  3  4  5  6  7オ ・ スワヒリ語の時間数/週  9  9 13  7  6  5  5 ・ †小学校における英語の教科書の使用状況(1982年当時)† 」」」」」オ ・ 教科書名 ・ 学校での使用割合 ・ 児童数/教科書一冊 ・ ナ」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」ヘ ・ English for Tanzanian ・ 71% ・ 8.5人 ・ ・ Schools(文部省編) ・ ・ ・ ツ「「「「「「「「「「「「艷「「「「「「「「「「艷「「「「「「「「「「「ハ ・ Communicative English ・ 6% ・ 教師用のみ ・ ・ for Tanzania(文部省編) ・ ・ ・ ツ「「「「「「「「「「「「艷「「「「「「「「「「艷「「「「「「「「「「「ハ ・ Primary English for ・ 11% ・ 教師用のみ ・ ・ Tanzania(文部省編) ・ ・ ・ ツ「「「「「「「「「「「「艷「「「「「「「「「「艷「「「「「「「「「「「ハ ・ New Oxford English ・ 6% ・ 教師用のみ ・ ・ Course(F.G.French編) ・ ・ ・ ツ「「「「「「「「「「「「艷「「「「「「「「「「艷「「「「「「「「「「「ハ ・ Modern English ・ 6% ・ 教師用のみ ・ ・ (Neil Osman編) ・ ・ ・ ケ」」」」」」」」」」」」ン」」」」」」」」」」ン」」」」」」」」」」」ス  「アフリカ人の児童に対して、その母語の代わりにアフリカの言語を(教授用言  語として)使用することが良いのは、使用する言語が彼らの母語に近接したものだ  からである。   表現されることやイメージされることというのは、ヨーロッパ的ではなく、むし ろアフリカ的なのである。児童はその生まれた土地だけにしがみついているのではな く、より広い環境の中で育っていく。  その(代わりに与えられた)言語は、ヨーロッパの言語の場合とは違って、授業 や本から学び取るだけではなく、他の(言葉をしゃべる)アフリカ人と接するうち に身についていくのである。」 (ムムニ;1967) 1.生徒がその言語を使って学習するのに十分な知識を持っているか。 2.その選択した言語が、国家的目的に合致したものであるか。 3.その言語で書かれた資料(テキストなど)、及びその言語に堪能で、期待され   るレベルの授業ができる教師の数が揃っているか。 (ファソルド;1984)  †小学校児童の英語使用状況(1982年当時)† 英語を使用する機会 児童の回答割合(%) (低学年) ・ 1.友達と会話する時 ・ 32 ・ 2.先生と会話する時 ・ 0 ・ 3.両親、親戚と会話する時 ・ 8 ・ 4.英語の授業ノートを復習する時 ・ 11 ・ 5.ラジオを聞く時 ・ 4 ・ 6.新聞を読む時 ・ 0 ・ 7.本を読む時 ・ 14 ・ (高学年) ・ 1.友達と会話する時 ・ 66 ・ 2.先生と会話する時 ・ 8 ・ 3.両親、親戚と会話する時 ・ 12 ・ 4.英語の授業ノートを復習する時 ・ 78 ・ 5.ラジオを聞く時 ・ 8 ・ 6.新聞を読む時 ・ 8 ・ 7.本を読む時 ・ 18  †タンザニアの言語使用状況† 領 域 ・ 土着言語 ・ スワヒリ語 ・ 英 語 ・ 1.日常会話 ・ −家庭内 ・ VV ・ (VV) ・ −近隣居住区 ・ (VV) ・ VV ・ −仕事場 ・ (V) ・ VV ・ 2.文化面 ・ −礼拝場 ・ (V) ・ VV ・ −文学 ・ ・ VV ・ V ・ −映画 ・ ・ V ・ VV    3.商業面 ・ −大事業  ・ ・ VV ・ VV ・ −小事業 ・ (V) ・ VV ・ −旅行事業 ・ ・ V ・ VV ・ 4.教育面 ・ −教授用言語:小学校 (V) ・ VV ・ −教授用言語:SS ・ (V) ・ VV ・ −教授用言語:高等教育 ・ ・ VV ・ −本(教科書)、定期刊行物 ・ VV ・ VV ・ 5.政治面 ・ −国会 ・ ・ VV ・ −公的政治集会   ・ VV ・ 6.行政面 ・ −村単位 ・ (V) ・ VV ・ −地区/地域単位・ ・ VV ・ −国全体 ・ ・ VV ・ (V) ・ 7.司法面 ・ −初等裁判所 ・ (V) ・ VV ・ −地区裁判所 ・ (V) ・ VV ・ (V) ・ −司法裁判所 ・ (V) ・ (VV) ・ VV ・ −高等裁判所/控訴院 (V) ・ (VV) ・ VV ・ 8.マス・メディア面 ・ −ラジオ ・ ・ VV ・ V ・ −新聞 ・ ・ VV ・ VV ・ 9.国際関係面 ・ −外交 ・ ・ (V)° ・ VV ・ −貿易 ・ ・ (V)° ・ VV ・ −文化交流 ・ ・ (V)° ・ VV ・ −情報交換 ・ ・ (V)° ・ VV ・ −科学、技術交流   ・ (V)° ・ VV    (注:VVは通常使用されていることを、Vは時々使用されることを、( )     はコンテキストにより左右されることを、また、9.における( )°印は、     近隣諸国との交流で時々使用されることを示す。) 2.  ケニアでのスワヒリ語の扱われ方  *植民地時代を通して行なわれた、タンザニアとは異なる言語政策   「…私の考えでは、地方行政を発達させ、未だに疎遠で打ち解けない部族民    <原文ママ>との親密な交流をはかるには、より広い地元言語の知識は欠かせ    ないものです。一般 的には、多くの官吏は、多くのヨーロッパ人がフランス    語を理解するのと同様に、内陸部の多くの土着民によって理解される、保護    領のリンガフランカであるスワヒリ語しか知りません。     しかし、もっと重要な地元首長は、一般的に自分たちの母語以外は理解で    きないのです。…」       (1906年、当時の植民者協会会長であったチャールズ・エリオット卿が、        行政を円滑に進めるために土着言語を学ぶことの重要性を説いた。)   「できる限り早いうちに、英語を植民地内のリンガフランカとして確立させるこ    とが、政府の方針である」                      (1929年の文部省決定)   「東アフリカの大多数の人々にとって自然なリンガフランカはスワヒリ語であ    り、それが英語にとって代わられることは認められない」                      (上の決定に対する宣教師側の反論)   「英語は政治の道具であり、アフリカ人には使わせるべきではない。アフリカ    人に英語を教えれば、労働組合運動や共産主義、その他の左翼運動を生じる結    果になる」 (上の決定に対する植民者協会側の反論)  †1985年の学制変更及びKCPE †セントラル州ニェリ県での小学校 導入後の小学校教育の科目時間数† 教授用言語の英語への移行クラス数† 必須科目 1週間の時間数・   ・ 1962 ・ 1963 ・ 1964 ・ 1965 ・ 1966 ・ ・ 英語 ・ 6 1年 4 ・ 45 ・ 150 ・ 309 ・ 319 ・ ・ 数学 ・ 6 ・ 2年   ・ 4 ・ 45 ・ 150 ・ 309 ・ ・ スワヒリ語 ・ 5 ・ 3年  ・ ・ 4 ・ 45 ・ 150 ・   ・ 自然科学    4 ・ 4年 ・ ・ ・ 4 ・ 45 ・ ・ 農学 ・ 4 ・ 5年 ・ ・ ・ ・ 4 ・ ・ 生物 ・ 3 ・ ・ 地理 ・ 3 ・ ・ 歴史・政治 ・ 3 ・ 3. ナイロビにおける昨今の'Sheng'の流行    *'Sheng'についての見解   「不明確な国家的言語政策のために、我々には二つの大きな言語が課せられ    ている。一つは公用語としての英語、もう一つは国家語のスワヒリ語である。     そして'Sheng'は、このあいまいな言語政策の具体的な結果だと言える。」 (Katama Mkangi. Daily Nation. August 30, 1985.)  *若者たちの「共通語」としての役割   →スワヒリ語、英語、様々な民族語の混淆     {例}  Sheng: Oti alikick boli.    English : Otieno kicked the ball.    Kiswahili: Otieno alipiga mpira.  *辞書の編纂、文学作品の執筆の試み   →ナイロビを中心とする都市文化の担い手となり得るか? 4. 多言語国家における「国家語」の役割−「国家語」は必要なのか?    *「国語」と「国家語」という表現…"National Language"か、"Staatssprache"か    →日本における「最後の授業」(ドーデ作)の扱われ方  *「国家語」は(多数存在する)「民族語」の中から選択するのか、「旧宗主国語」    をそのまま据えるのか  *「民族語(ethnic language)」と「部族語(tribal language)」という表現  *多言語,多民族国家における「国家語」の役割…            "Lugha ya Taifa"は"Lugha za Kabila"  に対して、絶対で支配的なものなのか→「標準語」と「方言」の関係は?   以上、全て今後考えなければならない大きな課題だと思っている。 5. 様々なスワヒリ語変種の現状  *スワヒリ語諸方言と標準スワヒリ語との関係   →いわゆる「地域方言」と呼ばれているもの:ザンジバル,ペンバ,モンバ  サ,ラム,キルワ,シユ等々の方言の現状を言語学的に記述した後、「標準」ス  ワヒリ語がそれら方言にどのような影響を及ぼしているか、また、逆にそれらか  らどのような影響を受けているかを、主にそれらを使用する人々の言語態度を把  握するアンケートを行なって検証したい。  *都市部におけるスワヒリ語   →Vとも関係してくるが、民族の坩堝である都市部での「共通語」としてのス  ワヒリ語が、現在どのような状況にあるのかを記述したい。   従来、「社会方言」と呼ばれたものはいくつか存在したが、それらに変化はあ  るのか、例えば異なる民族間にはそのスワヒリ語の語彙や音韻の面で相違がある  のか、社会的地位によって用いるスワヒリ語に相違があるのかなどを検証したい  と考えている。