<セネガルにおけるウォロフ語使用>報告要旨                  砂野幸稔 <はじめに>   本報告は本年度より開始する文部省科学研究費補助金国際学術研究「セネガルにおけ るウォロフ語使用の研究」の研究テーマに関連して、先行研究および報告者がすでに行っ た調査によって得られた研究成果を整理しようとするものである。  本研究はA)ウォロフ語自体の文字言語としての発展状況、B)他言語との関係について の社会言語学的調査、の二側面からセネガルにおけるウォロフ語使用の現状を調査しよう とするものである。A)については 1)「国語」による識字教育の現状、2)19世紀以来イ スラム知識人によって行われているアラビア文字による文字文学の調査とアラビア文字に よるウォロフ語の文字表記の現状、3)フランス語知識人によるラテン文字を用いたウォロ フ語文字文学の現状の調査を行い、B)については、1)地域別のウォロフ語の使用状況のサ ンプル調査、2)階層、場面による優先使用の状況、3)ウォロフ語の統一公用語化について の他言語話者の意識の調査を行う予定である。 1.セネガルの言語状況  ◇公用語:フランス語のみ  ◇「国語」:6言語   ウォロフ、フルベ、セレール、ジョラ、マンディンカ、ソニンケ  (1)フランス語の使用状況   A)1964年全国調査(セネガル政府統計局)    まったく理解しない者   男 79.1% 女 98.0% 全体 88.9%    読み書き可能な者  男 11.0% 女 1.3% 全体 6.0%←識字率   B)1988年全国識字調査(セネガル政府統計局) ◇6歳以上識字率(ただし判定基準は不明) 31.57% (全体率)     うち、フランス語識字者         81.1% 25.6% アラビア文字による識字者      14.0% 4.4% ローマ字によるアフリカ諸言語識字者 0.6% 0.2% ◎独立後30年を経てフランス語による全体識字率が25%程度にとどまっているという 現状と、教育言語が初等教育から一貫してフランス語のみという教育制度との関連はつと に指摘されており、なんらかの形での民族語教育の導入の必要性がユネスコ報告などによ っても指摘されている。  (2)アフリカ諸言語の使用状況(1988年全国調査:セネガル政府統計局) A)エスニック・グループ ウォロフ 2,960,540人(43.7%) マンディンカ 312.580人 (4.6%) フルベ 1,572,510人(23.2%) その他(東部地域)234.980人 (3.5%)  セレール 1,000,650人(14.8%) その他(外国人) 315.160人 (4.7%)  ジョラ 373,960人 (5.5%)  B)第一言語あるいは第二言語としての話者(第三言語以下含まず)  ウォロフ   4,801,080人(70.9%) マンディンカ   420,880人 (6.2%)  フルベ 1,634,570人(24.1%) ジョラ      384,800人 (5.7%)   セレール    929,360人(13.7%) ソニンケ(サラコレ) 93,070人 (1.4%) ◎ウォロフ語がセネガルにおいて事実上の共通語として使用されていることはこの数字だ けでも十分に示されているが(なお、テレビ、ラジオ等のメディアにおいても、「国語」 のなかでのウォロフ語の使用頻度の圧倒的高さを示す数字もあるがここでは省略した)、 ウォロフ語の第三言語、第四言語としての話者数、非ウォロフ語話者の実態については明 らかになっていない。  (3)「ウォロフ化」の進行   ※1986年、Martine Dreyfus(CLAD)による調査   (出典:Realite Africaine et Langue Francaise, No.21, CLAD, 1987)   A)ダカールおよび周辺     ※調査対象児童477名およびその父母の第一言語    ++ウォロフ   母 208名 父 213名 →子 273名    − フルベ    母  98名 父 103名  →子  77名    −−セレール   母  59名 父  56名 →子  32名    −−ジョラ    母  25名 父  19名  →子  15名    = マンディンカ 母   7名 父 7名  →子   7名   B)ジガンショール    ※調査対象児童総数不明    − ジョラ    母 300名 父 284名  →子 254名    ++ウォロフ 母 117名 父  98名  →子 175名    + マンディンカ 母  78名 父  94名  →子 101名    + マンカニェ  母  75名 父  75名  →子  80名    − フルベ    母  86名 父  85名  →子  67名    − セレール   母  21名 父  36名  →子  24名     + クレオル   母  18名 父  10名  →子  20名 ◎ダカールだけでなく、本来ジョラ語地域であるジガンショールにおいてもウォロフ語の 第一言語の話者数が拡大しつつあることを、この数字は明確に示しているが、マンディン カ、マンカニェ、クレオルについても拡大傾向が認められ、それぞれの拡大傾向、減少傾 向について、この調査の10年後の現在の傾向を再び調査する必要がある。また、他の非 ウォロフ語地域における現状についても調査の必要がある。 他方、非ウォロフ語話者および第二言語以下のウォロフ語話者のウォロフ語使用に対す る意識も調査する必要がある。 2.セネガル政府の言語政策  ☆国家による制度化の歴史と現状  1960 独立、初代大統領L.S.Senghorによる声明(民族語の発展の必要性)     ←実際の政策ではフランス語のみ重視 1963 ダカール大学にCLAD設置(応用言語学研究所:民族語の研究)  1971 「国語の表記に関する政令」     ◇6つの国語(ウォロフ、フルベ、セレール、ジョラ、マンディンカ、ソニンケ) の指定     ◇識字基礎教育局の設置←ほぼ有名無実  1972 初等教育への「国語」の導入が原則として定められる     ←準備は積極的に進められず  1979-85 ウォロフ語、フルベ語、セレール語、ジョラ語の実験クラス   1980-83 テレビを用いたウォロフ語実験クラス(ACCT教育援助)     ←教師養成の不備、父母の反対  1981-84 「教育改革審議委員会」     ◇報告でウォロフ語の統一公用語(langue d'unification)としての使用、公教      育への民族語の正式導入を提言 ・国民議会レベル:フランス語、ウォロフ語      ・地方議会レベル:フランス語、ウォロフ語               およびその地方の支配的国語      ・県レベル   :フランス語、ウォロフ語               およびその地方の支配的国語 ・町村レベル  :ウォロフ語およびその地方の支配的国語      ←正式には否定されないが採択されず  1991 「識字基礎教育局」の「庁(sous-ministere」への昇格      ←実態はあまり変わっていないようである ◎セネガル政府は民族語の発展を建て前として掲げながら、現実の政策面ではむしろ消極 的な姿勢をとり続けてきた。しかし、識字教育の拡大のための「国語」使用を含め、「国 語」使用をなんらかの形で実態の伴うものにしていくことが望ましいという認識は存在し ているようである。ただ、政府の言語政策、とくに識字教育に関連する政策の実態および その成果は具体的には確認されておらず、今後それを明らかにする必要がある。また、教 育への「国語」導入への抵抗、ウォロフ語の統一公用語化への抵抗がどのようなものであ るかも明らかにする必要がある。  他方、非政府組織による識字教育プロジェクトの実態と成果の調査も必要である。 3.文字言語としてのウォロフ語  A)イスラム文学:19世紀以来の伝統、現在も活発("wolofal")  Moussa ka, Serigne Mbaye Diakhate, Cheikh Samba Diarra Mbaye,  Libasse Niang 他多数   →ラテン文字への転記の作業進行中(IFAN, ARAM FALL教授)  ◇現在、(ムーリディア機関誌:仏語、アラビア語、wolofal)   リヨンで発行  B)新しいウォロフ語文学  1954 Cheikh Anta Diop, Nations Negres et Culture, Presence Africaine. ◇民族語の公用語としての使用を主張。ウォロフ語でヨーロッパの科学、哲学、      文学等の文章、用語の翻訳例を示す。 →とくにウォロフ語使用についてフランス語知識人に大きな影響力  1950年代後半 ◇Assane Sylla, Cheikh Aliou Ndaoらセネガル人留学生が、フランスでセネガ      ル人学生らを対象にウォロフ語使用への啓蒙活動を行う。同時にウォロフ語で      の詩作、フランス詩のウォロフ語への翻訳を行う。  1959 IJJIB WOLOF-Syllabaire volof, 在仏セネガル人学生連盟によるウォロフ語使用     のための表記法テキスト(Assane Syllaら)  1960頃 Cheikh Aliou Ndao, Buur Tileen,(小説) ウォロフ語で執筆、後にフランス     語訳出版  1971 作家 Sembene Ousmaneを中心としてウォロフ語誌 Kaddu 創刊(1975頃まで発     行)     ◇言語学者 Pathe Diagne ら知識人、学生の参加、さまざまな用語のウォロフ語      翻訳例を提案     ◇Kaddu廃刊後、Ande Sopi, Xibaar などが創刊されるが短命に終わる  1980頃〜 国立Daniel Sorano劇場でウォロフ語演劇の上演を始める  1987 Mamadou Diara Diouf, Taxaw Takku, Ed,Nubia, Paris.(詩集) Mame Younousse Dieng, Jeneer, Ed.Nubia, Paris.(詩集)  1989 Sakhir Thiam, Njaaxum - Leeb, IFAN, Dakar(民話集)     なお、Thiamはこの他に詩集、戯曲を自費出版している。 1990 Cheikh Aliou Ndao, Lolli - Taataan, IFAN, Dakar(詩集)    ◇「民族語作家協会」設立(しかし目立った活動は見られない)  1991 Thierno Seydou Sall, Silmaxa, Ed.Francographie, Paris.(詩集)  1992 Thierno Seydou Sall, Ker Dof, TOSTAN, Dakar.(詩集)     Sargal Seex Anta Joob, IFAN, Dakar.(22人の詩集)     Mame Younousse Dieng, Aawo bi, IFAN-ACCT, Dakar.(小説)  1993 Cheikh Aliou Ndao, Buur Tileen, IFAN-ACCT, Dakar.(小説) Cheikh Aliou Ndao, Bakku Xaalis, IFAN-ACCT, Dakar.(詩集)  ※その他、詩、ことわざ、民話などが、1990年代に入ってからダカールで相次いで自費   出版されている ◎ウォロフ語の文字言語としての使用の意志は、独立前からフランス語知識人の間で明確 に存在し続けており、ウォロフ語による文学的営為は活発化しているように思える。しか し、近年その数が増えつつあるウォロフ語の出版物は、その多くがACCT(フランス文 化技術協力事業)などの出版助成によるもので、流通、消費、再生産の実態は未だ不明で ある。また、ラテン文字表記によるウォロフ語の文字言語としての使用が実際に新たな状 況を定着させるような形で拡大しつつあるのかどうか、調査が必要である。また、少なか らぬ影響力を保持し続けているイスラム知識人による"wolofal"の使用実態についても、 調査が必要である。 4.結び   政府の言語政策がウォロフ語だけでなく「国語」使用全般について消極的であったな かで、セネガルにおいてウォロフ語がすでに事実上の共通語となっていること、文字言語 としてのウォロフ語使用が一部の知識人の間でとくに近年活発化していることは、すでに 以上の資料からもほぼ明らかであると考える。   しかし、これまでに明らかにされたウォロフ語使用の実態は、各項で指摘したように いまだ部分的な知識にとどまっているものが多く、不明な部分、あるいは疑問の残る点が まだ残されている。今後の調査によって、そうした欠落部分をできる限り埋めていくこと によって、より正確な現状把握を試みたい。