4Field+ 2013 01 no.9国際保健は世界中の生老病死について研究する分野である。現状を把握し、問題点を見極め、作戦を立て、解決を目指す。その実施プロセスでは常に「数」や「量」が重視されてきた。だがこの手法に民族誌の方法を組み合わせることで、未解明の多くのことを明らかにできるはずである。4番目のケン君 エチオピアには、私が知るかぎり「ケン」という名前の男の子が4人いた。ここでは名前を与えた者ともらった者は「モッゴ関係」にあるとされていて、私と彼らとは互いに「モッゴ!」と呼び合う。 残念なことに、いま会うことができるのは1番目と3番目のケン君だけだ。2番目のケン君はどこにいるのか分からず、4番目のケン君は昨年、亡くなった。 どのケン君も、父親はバンナ人である。バンナはエチオピア南部に住まう民族集団だ。20年ほど前の統計によればバンナの人口はおよそ2万人だが、毎年何人が生まれて、何人が死んでいるのか、まったく分からない。一人ひとりの生年月日も、年齢も分からない。誰がいつ、どんな病気に罹ったのかを調べるのも一苦労だ。生老病死を測ろうにも測れない状況では、4番目のケン君の死を、「一人死亡」としてカウントするのが関の山である。 ひるがえって日本では、高度な治療技術と新薬開発のおかげで、人が「なかなか死ななくなった」。そうした医療の現場は生存率、再発率といった数字のエビデンス(根拠)によって支えられている。他方で、個人の生老病死は数字ではなく、物語によっても描かれる。そうした物語のなかには「率」ではない、何かほかの理解のヒントが潜んでいるはずである。 バンナ社会で死者数を把握するのは難しいが、「どのように苦しんで死んでいったのか」を知ることは、ある程度ならできる。生老病死を「量的・統計的に」ではなく、「質的・物語的に」把握するのである。 前年までケン君が元気だった家を訪ねた。 「ケン(私のこと)、お前のモッゴは、熱を出したんだ。それでクリニックに連れて行ったら注射を打たれて、薬を処方された。結構お金がかかったよ。村に戻ってから薬を飲ませ、寝かせていたんだけど、結局死んでしまった。」 発病から治療・治癒(あるいは死亡)までのプロセスを記録することを「ケースヒストリー」というが、ここで語られた死亡までの顛末は、ケースヒストリーと呼ぶにはあまりに素っ気ない。にもかかわらず、ここにはバンナにおける病いと死を理解するためのヒントが埋め込まれている。変数を発掘する 最新のWHO(世界保健機関)の統計によると、日本の乳幼児死亡率(5歳未満児死亡率)は1000人あたり2人である。一方、エチオピアでは1000人中68人の子どもが5歳までに死亡するという。 乳幼児死亡率は、各国の保健状況を知るためによく参照される変数である。変数とはいわば調査項目のことで、それが国によって、人によって変わってくるから「変数」と呼ばれるのだ。人の生老病死を一定の変数で測れば、それぞれの状況の比較ができる。一人ひとりの物語ではなく、社会をまるごと把握できるので改善目標も立てられる。ケン君の死は「1」としてカウントされ、その数字の力、民族誌の力国際保健分野における人類学の貢献増田 研ますだ けん / 長崎大学、AA研共同研究員エチオピア南部のアルドゥバという町にあるクリニック。このクリニックは比較的清掃が行き届いていて清潔に感じる。壁には管轄地域における保健政策実施の実績が書き込まれている。西アフリカ、ブルキナファソ中西部にあるナノロにて。ここでは詳細な人口動態調査が行われていて、死者が出たことが確認されるとその死亡プロセスを明らかにするために調査員が派遣される。こうした調査を積み重ねることで、現地での病いの体験のあり方が浮かび上がってくるのだ。フィリピン、パラワン島の山間部の村にて。若い看護師が、母親を対象とした保健レクチャーをしている。赤ちゃんの予防接種をきちんとやろう、マラリアに罹らないように蚊帳を張ろうと呼びかけている。ここでは調査の結果、人々のマラリア認識に「予期せぬ変数」が見つかった。エチオピアブルキナファソフィリピン
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