29Field+ 2013 01 no.9ておくことが重要である。馬方、ポーター、キッチンボーイたちと仲良くなるのだ。いざと言う時にこちらと同じ気持ちと姿勢になってくれる。そもそも仲良くなることは楽しいのだが、そのためにはこちらからも愛情と気配りが必要である。例えば、我々でも手伝えることは率先してやってみる(舐められない程度に)、スタッフテントに入り浸る(迷惑にならない程度に)など、様子を見ながら心掛けてみるのもいいと思う。 2010年の夏、サブガイドのリンチェン君とは初日から不思議と気が合った。調査中盤の雨の日、私は氷河湖直下の沢の渡渉で足を滑らせた。氷河起源の細かい懸濁物(粘土)が沢底を覆っているため踏ん張ることができず、お尻とカメラバッグが水に浸かった。その時、リンチェンは濡れたカメラを自分の体温で乾かそうとしてくれた。当時のお互いの信頼の深さがどれ程だったかわからないが、また二人に雇用・被雇用の関係があったことは確かだが、彼の気持ちは嬉しかった。彼とは今でも個人的な付き合いが続いている(壊れたカメラは冬のブータンの乾燥で自然に復活した)。 ところで、ブータンの氷河地方にはかなり奥まで人の生活があり、それらをついつい写真に収めたくなる。カメラには誰もが笑顔で応えてくれるのだが、それでも小心者の私は毎回「撮り逃げ」の後ろめたさを感じてしまう。そこで、本プロジェクトの最終年の現地調査では、モデルになった方を探しだして過去に撮った写真を自分や仲間からプレゼントしてみた。この試みはどうやら好評だったようである。◆現地の暮らしから得たもの まず頭に浮かぶのは、人との出会いだろう。ブータンではいろいろな人とめぐり会った。気さくな大臣、野武士集団のような馬方たち、国からの迫害の過去を語ってくれたネパール系ブータン人店員など。その中には詐欺師顔負けの旅行社社長もいるが、そんな絶望的な相手でも町で会えば笑顔で抱きしめあい、互いの家族のことを話し、再会を誓って別れることになるだろう。特に現地調査で知り合ったスタッフとは不思議と濃い付き合いになっている。トレッキングという長期の共同生活で、同じ釜の飯を食べたことがそうさせているのかもしれない。ちなみに、ブータンでは歩道で握手をしたまま立ち話を続け、他の通行を妨げることも多い。ほほえましい街の光景である。 貴重な出会いができた相手の中には、世界各国からブータンに来て活躍している人たちもいる。日本人でいえば、国際結婚をした人や国際機関の人、シニアボランティアや青年海外協力隊などがそれにあたる。彼らは安穏とした日本から飛び出して、たくましく生きている。私が持ち合わせなかった視野と勇気と情熱を持っており、そこからは多くの刺激を受けることができた。もし海外で暮らすことが無かったら、こういった「猛者」と知り合うことは難しかっただろう。 海外で暮らしたことで、日本という国を客観視する「視力」も身につけることができたと思う。物もサービスもエネルギーも不足している途上国から見ると、先進国や新興国の浪費社会は異常である。私は日本での授業や出張講義で、ある写真を必ず紹介するようにしている。それは人工衛星から見た夜の地球を貼り合わせた写真である(例えばhttp://www.ngdc.noaa.gov/dmsp/downloadV4composites.html)。先進国や新興国はその国土が光によって浮かび上がって見える。一見美しい夜景だが、その背後には深刻なリスク、廃棄物、借金を未来に残し、トイレではお湯でお尻を洗い、一瞬の停電も許さないという、電力の異常な浪費社会が横たわる。原発事故をきっかけに、節電意識や再生可能エネルギーの議論が一進一退を続けているが、将来の世代から愚民と言われないためには、真の方向修正を早急に進める必要があろう。鉱山局の向かいの飲み屋で、原発事故の話になったことがある。彼らはいつもと違う表情を向けてきた。その時の「日本はなんてことをしてるのか」という彼らの複雑な視線は今でも忘れられない。◆おわりに 他国のことも自国のことも、現地に行くことで改めて真実が見えてくることがある。ブータンは世界一幸せな国、とよく言われるが単純に決めつけられないと気付いたのもそうである(これについては別の機会で触れたい)。ただそれがどうであれ、ブータンでの時間は、私と家族にとってこの上なく貴重な経験となった。 地球の夜景写真の次に、青年海外協力隊がブータンの子供たちに体操を教えている写真を高校生や大学生に紹介することがある。そこでのメッセージは「彼らのようにもっと海外に出よう」である。数日でもいいので外国の地を踏み、空気を吸い、人と話す。その結果、我々は貴重な経験を手にして、目からは鱗を落とすことになる。しかもそれは毎回である。だからとにかく外に出よう、なのだ。ポ川上流のルナナ集落(標高4100m)で、2年前に悪霊払いをしてくれた祈祷師に再会。日本側メンバーが当時の写真を渡した。ブータン中部ブムタン地方の馬方。年配の人は馬を扱うときもゴ(ブータンの民族衣装)を着る。馬よりもヤクの方が雪道と高地に強いが、その手配は以前よりも難しくなった。東ブータンの子供たちに体操を実演する青年海外協力隊。どの町でも隊員は人気者だ。
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