FIELD PLUS No.9
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26Field+ 2013 01 no.9◆ブータンに住む 先日、小学校で使っていた地図帳が物置から出てきた。当時は地名や地形の名前を赤ペンで塗って覚えていくのが好きで、その痕跡は「出土」した地図帳の中にいくつも残っていた。赤ペンの約30年後、その中の一つに家族と住むことになった。場所はヒマラヤの王国、ブータン。地図好きの小学生が全く予期していなかった展開であった。 この駐在はJICA(国際協力機構)とJST(科学技術振興機構)による地球規模課題対応国際科学技術協力(通称SATREPS)の一つ「ブータンヒマラヤにおける氷河湖決壊洪水に関する研究」(プロジェクト代表者は西村浩一名古屋大教授)によるもので、先人の研究成果や、現地JICA事務所による事前調整といった努力を経て得られた貴重な機会であった。まずは関係者への謝意をここに表したい。そして読者の皆様へは、現地の生活や氷河域の調査について紹介し、簡単ではあるがブータン駐在という経験のお裾分けを試みたい。◆現地の暮らし 2009年7月から2年8か月、私はJICA専門家(名古屋大学特任助教兼任)として、経済省地質鉱山局(以下、鉱山局とする)に派遣された。この間は1年のうち2~3ヶ月を氷河・氷河湖と地すべり・活断層のフィールド、約1ヶ月を日本やタイへの出国(業務と休暇)、残りを首都ティンプーで過ごすこととなった。首都では相手方メンバーのプンツォ・ツェリン氏と業務調整員の依田明美さんと私の3人で、鉱山局のプロジェクトルーム(元は物置部屋)に執務した。 在ティンプーのお役所の就業時間は9時~17時で、寒くなる11~2月には多くが16時に終業となる。町が小さいことと食費の節約から、13時~14時の昼休みには多くの人が一時帰宅をする。とができたら、本人も家族もハッピーだろう。しかし一方で、日本社会は機能しなくなるだろう……。◆プロジェクトの成果 プロジェクトは氷河湖決壊洪水の危険度評価とその技術移転が目的であった。メンバーは両国合わせて30人程で、衛星画像解析、現地調査、決壊・洪水解析等が行われた。プロジェクト自体は大きなトラブルもなく2012年3月に無事に終了し、今まで危険と考えられていた氷河湖の多くが、切迫した状態ではないことと、決壊しても大きな洪水に至らないことが明らかになった。また、ブータン周辺の氷河湖決壊は、多くが20世紀中鉱山局は特にのんびりした職場だったようで、職員の遅刻・早退や昼休みの延長は暗黙に許されることが日常だった。誰もが家族や親族との時間を優先していて、夜や休日に時間外労働をする人は稀であった(政策、財務、エネルギー等のいわゆる「難しい」省庁は例外)。ブータンの本来の国名はドゥック・ユル、ブータンの公用語のゾンカ語で雷龍の国を意味するが、社会はのんびりである。郷に従えと言うことで、私もインド製スズキの軽自動車を使って昼食時にはできる限り一時帰宅を実践した。地元の幼稚園に通う長女を拾って一緒に帰ることもできた。冬の定時に帰宅をしたりすると、その後の夜がとにかく長い。これらは現地では当たり前なのだが、万が一日本で同じこブータンヒマラヤでの山地防災の研究と技術移転。現地に駐在した筆者が感じたのは、フィールド研究の案件形成から遂行まで、良き人間関係が常に鍵になること、そして我々はもっと外に出るべきということだった。プロジェクトの目的の一つは氷河湖の形状を把握すること。この湖盆を削り出した氷河が写真の奥に見える。薄くなった氷河 写真奥中央のピークは標高「約」6600mのChumhari Kang峰。「約」としたのはブータンの山の標高はどれも不正確なため。ブータンインドネパール中国ティンプー特別企画  現地ではたらく雷龍の国で暮らす小森次郎 こもり じろう / 帝京平成大学

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