21Field+ 2013 01 no.9台のテレビを何となく眺めながら嗜たしなむ晩酌も格別である。 日曜日の朝には、初代オーナーの末っ子で現在ホテル業務を取り仕切っているD君やその仲間達の特別メニューの御相伴に与ることもある。レストラン用に屠殺したてのほかほかの牛肉をD君が競り落として来るのだが、それを内臓も含め、生のまま早速食べてしまうのである。寄生虫に目を瞑つぶればこれまた美味である。飲み物はビールとワインとコーラを混ぜたもので、これほど肉料理に合うものもなかろう。自分は世界一幸せなフィールドワーカーではないか、と本気で思ってしまう一時である。優雅なウォライタ社交界 D君は客室の1つを自分の部屋にしている。業務上泊る必要があるからだが、傍から見れば仲間との溜まり場となっている。勿論、私もその一員である。 調査に行っているとは言え、「勉強」したくない時だってある。また、私は不意の来客や、どこかに連れて行って貰える突然の機会に備えてスケジュールには余裕を持たせてあるのだが、それが無駄になってしまうこともある。そうした場合、レストランに行く手もある。お茶だけ飲むことも可能なので、現地では大切な社交の場になっている。行けば誰か話し相手がいるだろうし、従業員と話しても良い。こうしたことを通じて貴重な情報が得られることも多い。 だが、厄介な人が来ることや、不愉快な質問攻めから抜け出せなくなることもある。そこで好きな時に入れて好きな時に出られるD君の部屋を訪れることになる。誰もいない時もあるが、いるのは確実に気の合う仲間ばかりである。最新の娯楽機器もあり、愉しい。エチオピア全土での共通語的性格を持つアムハラ語によるコントのビデオCD(VCD)の存在はここで知った。 海外から放送される短波ラジオのアムハラ語ニュースに彼等が耳を傾けているのを目の当たりにすると国内メディアの報道を鵜呑みにすることの危うさにも気付く。時には彼等の不満を直接聞くこともある。主としてD君なのだが、堅苦しいインタビューでは聞き出せない、現在のエチオピアやウォライタの問題点を突き付けられ、反論もあるが考えさせられることも多い。いずれ自分なりの答を出さなければならないと思っている。だが、それと同時に、色々話せる友人が出来たことにも何だか嬉しくなり、自分は世界一現地に受け入れられているフィールドワーカーなのだ、と錯覚するのである。 因みにD君はウォライタ人ではない。彼自身はウォライタ生まれのウォライタ育ちで、ウォライタ語も流暢だが、両親は商売のために移住してきたアムハラ人である。わざわざウォライタまで行ってアムハラ人と交流するというのも何だが(しかもアムハラ語を使ってしまう場合も多い)、D君は人をもてなしたり笑わせたりすることにかけては天才的であり、一宿泊客として彼と交渉しなければならないことも多く、自然と仲良くなってしまったのだから仕方ない。それに御蔭で「ウォライタ語=ウォライタ人の話す言葉」といった偏見も払拭されたのだから、これはこれで良いフィールド経験であろう。「遊びます」 嘗かつてAA研にいらっしゃったK先生と初めてお会いしたのはアフリカ某所である。私がアフリカに行ったのも実はそれが初めてだったが、その時に先生が仰った「遊んでおけよ」というアドバイスが忘れられない。もう少し語弊のない表現をすれば、フィールドの現場では「調査」をしない時間がかなり多く、だからこそその時間を大切にしなければならない、ということであろう。賛成である。とは言え、かく言う私も最近は2ヶ月を超える滞在が難しくなり、能率優先、と言えば聞こえが良いが、単に遽あわただしいだけのフィールドワークが増えた気がする。今の時世、私も短期決戦型の調査が出来るように変わらなければならないのではあろうが、それは何だか寂しい気がする。 ともあれ、蔑ないがしろにされがちでも私にとっては大切なフィールドでの暢気な時間がどのようなものなのか、その一端を書いてみた。裏方従業員達との交流等、書き残したことも多い。今後も書くべきことは出て来るだろう。何しろ、到着予定日を電話で告げると、部屋に花まで飾って待っていてくれるD君とGホテルである。今後も遊びに行かない訳には行くまい。「ドラフト」を注ぐ従業員。日曜朝の特別メニュー、生の肉と内臓。ホテルのレストランで語らうD君(左から2人目)と仲間達。右手後方に筆者の泊っていた部屋が小さく写っている。Gホテル近辺の住宅街。ホテルの庭で唐辛子を搗く従業員達。右から2人目はD君のお母さん。
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