FIELD PLUS No.9
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15Field+ 2013 01 no.9変えることにした。変更した後は驚くほど簡単に、複数の研究費がとれ、2年間フィールドに出ることになった。 本当は来たい場所ではなかったため、ヨルダンでの生活は退屈だった。ヨルダンを出てパレスチナへ短期調査で渡る日は、朝から心躍る気持ちがした。しかしヨルダンでの滞在経験は、その後の私を形作るうえで欠かせない基盤を与えてくれることになった。 そのとき得たもので、一番大きかったのは、アラビア語の会話能力である。パレスチナ方言でスムーズに日常会話ができるようになったことは、入手できる情報量を増やす以上に、信頼関係を築く上で重要な意味をもった。英語しか話せないガイジンとしてではなく、彼らの言葉を学び、理解しようとする者として受け止められることで、コミュニケーションは格段に密なものになった。英語が通じて外国人の多いパレスチナでは、おそらく身につかなかっただろう語学力。不便さの中で得た力を生かして進めた研究の成果は、博士論文になった。再びエルサレムへ それから数年経った2011年、私はふたたびエルサレムにいた。今度は調査地ではなくテーマを変えての、新しいフィールド調査のスタートだった。これまで研究してきた難民問題に変わり、新しく設定した研究テーマは、パレスチナとイスラエルが目指す国家の将来像。双方がどんな考えを抱いてきたのか、パレスチナ・アラブ側だけではなく、対立の相手方であるイスラエル・ユダヤの側についても理解したいと考えた。つまり研究の射程を広げる意味でのテーマ変更だった。 このテーマを選んだのは、ヨルダンおよびその後のレバノンでのフィールドワークを踏まえての結論だった。イスラエルとの対立の中で、パレスチナ側の主張はシンプルだ。奪われたものを取り戻したい、自分たちに正当な権利を認めて欲しい、というのに集約される。これに対して「奪う側」の論理や心情はどのようなものなのか。個々のユダヤ人の声を聞くことで、国家の掲げるシオニズム(ユダヤ国家建設を追求するイデオロギー)に対する捉え方や、それを含めた多様な考え方の可能性を探りたいと思った。 紛争の当事者の両方に目を向ける研究は、ユダヤ人でもなくアラブ人でもない自分の特性を生かしてできる研究だとも考えている。外国人の方が、物理的にも研究の立場としても双方の社会に入り込みやすいからだ。この紛争をどう解決したいと考えているのか、双方の将来に関わる国家像について、意見を比較研究してみることにした。 とはいえ先にパレスチナ側に入り、彼らの心情と占領下の日常をつぶさに窺ってきた身としては、ユダヤ側の主張を受けとめるのには忍耐が要る。一緒にヘブライ語を学んだクラスメートのユダヤ人とは、仲良くなったものの大いに議論もした。テロや虐殺など、使う言葉の定義から意見が食い違い、なかなか本題に入れないこともあった。どちらも正しいね、と首を縦に振り続けることは、理解ではない。選ぶ話題や言葉遣いに注意して話を聞きながら、彼らの主張にある内在的な論理を理解したいと考えている。自分の立ち位置を慎重に問い続けながら、自身の中にも納得できる一貫性をもちたいと思っている。 研究では、同じ地域、同じテーマを掘り下げ続ける努力も重要だろう。しかし同時に、ひとつの研究から得た成果を、新たな疑問に基づき次のテーマにつなげていくことも大事なように思う。フィールドワークを続けることで、どこに到達することができるのか。状況と成果に身軽に応じながら、しっかり前を向いて進んでいきたい。パレスチナ自治政府が設けるエレツの検問所(1999年8月、ガザ地区)。10年以上のお付き合いになるNGOの友人(右の女性)、左は筆者(1999年8月、エルサレム)。ヨルダンでの長期調査を終えて帰国する前のパーティー(2005年2月、アンマン)。10年近く通う村でお世話になっている家族と(2011年11月、ドゥーラー)。地中海に面したイスラエルの中心都市テルアビブ(2006年3月)。

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