7むしろ、運よく協力的な人に巡り会えても、私の前ではどうしても方言モードにならないことだ。「波照間方言では何と言いますか?」と質問しても、本人も無意識のうちに日本語で答えが返ってくる。 どうにかしてこの状況を打ち破るよい方法はないだろうか。お盆の行事に参加する。サトウキビの収穫を手伝う。都会の生活を捨て、思い切って島に嫁ぐ……(さすがに嫁ぐことだけはできなかったが)。思いつく限りアイデアを試したが、どうも一筋縄ではいかない。 そしてヤギ汁はにおう。思わず今の状況を口の中のヤギ肉と重ねる。噛み切ろうにも噛み切れない。飲み込もうにも飲み込めない。島の出身者しか「ベスマ」と呼べない!? 試行錯誤しているうちに、私は1つの疑問に行きついた。それは「ベスマ」という言葉である。「ベスマ」とは、波照間島を指す言葉で「私達(ベ)の、島(スマ)」という意味だ。島の人にとっては至極自然なこと。だが、島の出身者以外が「ベスマ」と呼ぶと、間髪入れず「あんたの島じゃない」と島の人に指摘される。「クヌスマ(この島)」「モ(ここ)」など代用できる言葉は多少ある。しかし、誰もが、どこにいても使える万能な呼称は用意されていない。 不自由じゃないのか――そこまで考えて、はたと気づく。「言葉と仲間」がとても強く繋がっているのだ。波照間島から八重山の中心・石垣島へは今でも高速船で1時間はかかる。昔はどれだけ時間がかかったことか。他の島との交流も、今と比べて格段に少なかっただろう。ベスマでは島民全員が顔見知り。言うなれば、島民全体が家族のような島だ。ベスマムニ(私達の島言葉=波照間方言)は、そんな島で話されてきた「私達」仲間にしか通じない言葉、「私達」以外は話さない言葉だ。だからこそ、誰もが使える波照間島の呼称は必要ないのかもしれない。そういう言葉がないことに不自由さを感じるのは、島の出身者でもないくせに波照間方言で波照間島を呼ぼうとする私のような人間だけだ。方言を引き出すカギ 方言を話す人は仲間、仲間には方言で話す。血縁にこそなれないが、方言は擬似的に仲間になることができる手段なのかもしれない。この手がかりを基に、これまで少しずつ集めてきた単語を頭に叩き込む。私でも、方言で話しかければ、方言で話してもらえるかもしれない。 ちょうど時期を同じくして、強力な助っ人に出会えた。アマー(姉さん)こと田た盛もり吉よしさんだ。アマーは集落唯一の売店の売り子。方言が話せない私にも平気で方言を話してくれた、稀な人物だ。 アマーに出会ってからというもの、私は毎日売店に足を運んだ。仕事の合間をぬっては、波照間方言のイロハを伝授してもらう。おかしなことに、せっかく波照間島まで来たのに、している事といえば商品棚の陳列と単語や文章の暗記ばかり。事前にちゃんと勉強しておけばよかった、などと言ったところで波照間方言の文法書はこの世に存在しない。今ここで聞いたものを覚え、そらで言えるようにするしかないのだ。アマーの言葉に耳を澄まし、真似る。そうやって覚えた言葉を携え、あらためて戸別訪問を始めた。事件だ! 成果は徐々に現れた。もう島で道に迷うことはない。石垣に挟まれた細い道路で、顔見知りのおばあさんと挨拶を交わす。立ち話していると、珍しい取り合わせが気になるのか、あちこちから人が集まってくる。先生達に囲まれる1人の生徒。なんて贅沢な学習環境だろう。 そんなある日、大きな成果を確信する事件が起こった。いつもと変わらない夕方。いつものように売店前でアマー達と井戸端会議をしていると、不意に1人のおばあさんに尋ねられた。 「タヒヌウタマヤタカヤー?」(誰の家の子だったかね?) 見覚えのない、けれどベスマムニを話しているうら若き乙女のことを不思議に思ったのだろう。みんなの視線が一斉にこちらに集まる。短い沈黙。そしてオレンジの空に笑い声が広がった。 「アガヤーパークリャスマヌピトゥアラヌ」(あれまあ、おばあさん、この子は島の人じゃないよ) 「ベスマムニナラヘビリャルウタマ」(波照間方言を勉強している子だよ) これは現実だろうか? 島の出身者に間違えられる、これ以上の褒め言葉はそうそう見つからない。サトウキビ畑を撫でてきた風が、フワリと私の頬をくすぐった。永遠の憧れ 最近ではフィールドワークの度、アマーの家にホームステイしている。彼女は売り子を引退したのだ。アマー達も随分録音に慣れたようで、調査は順調に進んでいる。私もタイミング良く相槌を打つコツを覚えた。ふと、彼女達の会話が日本語に切り替わっても「エーヤリョーナー(そうなんですか)」の一言でアマー達はベスマムニに戻る。この相槌さえ打てれば、もう困りはしないだろう。 「あんたの前では内緒話ができないから困る」。 そんな冗談を言われると、「私達」にかなり近づいた気がする(内緒話は方言で話しているらしい)。 しかし、ベスマに関しては別のようだ。依然「あんたが言うとちょっとおかしい」と指摘される。頭では分かっているとはいえ、やはり悔しい。当然のことながら、私は島出身者ではないし、島出身者になれるわけがない。 水面に反射した陽の光がキラキラと輝く。海は徐々に青味を増し、周りを走っていた船や大小の島々は遥か後方に消えていった。大海の中、船は孤独に全力疾走し続ける。すると水平線にぼんやりと島の影が浮かび上がり、島の東端でクルクルと気持ちよさそうに回る風力発電機が、船旅の終盤を知らせた。 白い桟橋は、相変わらず宿の車や荷物を待つ人々で賑わっていた。その中に混じって、アマーがこちらに手を振っている。 船が着き、桟橋に降り立つ。そう、ここが私の永遠の憧れ、ベスマだ。ヤギ汁は大きな鍋で作る。どこの家で料理しているかは一目瞭然ならぬ、一嗅瞭然。ヤギ肉は弾力があり、中々噛み切れず、最後は一気に飲み込むことになる。ベスマムニの先生達(左から屋良部ヒデさん、アマー)。彼女達のすぐ下の世代から方言を話すことが難しくなっている。波照間島の風景。現在、島の主要産業は製糖業。原料のサトウキビは冬から春にかけて収穫される。波照間島の黒糖は比較的あっさりしていて、食べだすと止まらない。サトウキビ畑の中にそびえ立つのは、島に来る人を出迎える風力発電機。島の電力を支えている。Field+ 2012 01 no.7
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