5な理由、あるいは教育上の理由で大勢の話者がティディムからヤンゴンに移り住んだそうだ。話者の大部分はキリスト教徒である為、今では話者の集う教会も市内だけで10箇所以上あるのだという。生活の基盤をビルマ語主流のヤンゴンに移してもなお、「リトル・ティディム」の人々は、気軽なおしゃべりから深い議論まで、暮らしの中でティディム・チン語を自在に使いこなしていた。その光景を見て、私は言語というものが人々の交流がある場でこそ生命力を保つものであることを改めて実感した。ヤンゴンに息づくティディム・チン語 礼拝が終ると、リアンは私を家に誘ってくれた。夜、教会の青少年合唱団が、クリスマス・キャロルを歌いに来るというのだ。しかも、その歌詞はティディム・チン語! 私は喜んで、彼の誘いを受けた。 「ダンモ?」(元気ですか?)弾けるようなティディム・チン語の挨拶と共に、合唱団はリアンの家にやって来た。人で溢れかえった居間に、青年のギター演奏に合わせて歌う子供達の声が響いた。大人達が歌集を片手に歌い、それを見た子供達も歌詞を指差しながら大声で歌った。日頃ビルマ語に慣れている子供達は、こうしたコミュニティーの深い絆の中でティディム・チン語を身に付けていくのだ。 歌の後は、粟団子をつまみながらのティータイムだ。大人達は、遥かなる故郷ティディムに思いを馳せながら話を始めた。子供達は話に聞き入り、ティディムの思い出話は尽きることなく続いた。人々の賑やかなおしゃべりを聞きながら、「彼らの言葉をもっと知りたい!」という思いは一層強くなった。キャロルの合唱が響いた夜、私の中に残っていた後ろめたさは跡形もなく消え去ったのだった。「機織る」ように言葉を学ぶ リアンは私の言語調査に辛抱強く協力してくれた。調査とはいえ、はじめは「『頭』は何と言うの?」とつたないビルマ語に身振り手振りを交えて単語を聞き出す単純作業だ。私は、真似こそ最善の近道とばかりに、リアンの話し方を観察しながら懸命に口を動かし、メモを取った。その姿が話者達には面白かったのだろう。いつしか私は街の話者達から「リアンノウ」(小さいリアン)というティディム・チン語の名前で呼ばれるようになった。 調査も長文を聞く段階に達すると、私は覚えたてのティディム・チン語で、ティディムに行けない理由を話した。すると、今度は故郷に誇りを持つ中高年の話者達が記憶の糸を辿りつつティディムについて語ってくれるようになった。一人が子供の頃に聞き覚えた小話を話し終えると、別の一人が自分の村では違うオチだったと話し出す……。私は、子供のように無心に耳を傾け、うなずきながら録音機のマイクを向けた。こうして私のティディムへの探求心を知った話者達は、持てる力を惜しみなく注ぎ私を手伝ってくれた。 調査の日々の中で特に印象深い出来事は、話者が私への思いをこめて伝統的な即興歌を贈ってくれたことだ。伝統的な歌は、ティディムでさえ歌い手が少なく、語彙も日常の語彙とは大分異なると言う。話者達は、歌う前に「三人寄れば文殊の知恵」とばかりに各々の記憶を寄せ集め、確かめ合った。そして、私に向かって静かに歌い始めた。「〽チンの言葉に魅せられて、機織るように学ぶ水の国(日本)の子よ……」人々の記憶に眠る言葉が異郷の地で蘇る瞬間だった。私は、ゆるやかな旋律にしばし酔いしれた。彼らは言葉の学習を「機織り」にたとえる。この歌の贈り物は、言語を学び、調査し続ける私にとって大いなる活力源になった。言語調査で形となるもの 人々の往来は昔に比べ格段に進み、辺境の山岳民族の言語、ティディム・チン語は、私が予想もしなかった規模でティディムの地から羽ばたいていた。話者達によると、大規模な話者コミュニティーは、遥かかなたのアメリカや日本にもあるそうだ。私もティディムではなく、そこから遠く離れたヤンゴンに住む話者とのふれあいの中でティディム・チン語を学んできた。 古ぼけた調査ノートを開くと、ヤンゴンで拾い集めたティディム・チン語が、今でも生き生きと私に話しかけてくる。私は「ティディム・チン語を学ぶ者」という、母語話者とは異なる視点で、この膨大な数の言葉に潜む規則を見出し、体系的に整理し直そうとしている。ヤンゴンで摘み取ったティディム・チン語から、糸を紡ぎ出し、機を織るように辞書や文法書を作る。それは、まさにティディム・チン語の話者が贈ってくれた歌そのものだ。協力してくれた大勢の人々のことを思いながら、ヤンゴンに生きる今のティディム・チン語の姿を文法書にする。これが、私なりのささやかな感謝の形である。Field+ 2012 01 no.7リアン(左)と筆者。ヤンゴンの中心部にある礼拝堂。話者が一番多く集まる場所である。他にも話者の集う教会は多い。ティディムに続く、長く曲がりくねった幹線道路。途中、山の中腹にいくつもの小さな村があり、人々は中古のバスに乗って平地の町に降りてくる。ビルマ語(上段:ビルマ文字)とティディム・チン語(下段:ラテン文字)で「コープ牧師100周年大祭」と書いてある。アメリカ人宣教師コープがティディム・チン語の表記法を考案した。この横断幕のずっと先にティディムがある。ヤンゴンの街角にある小さな本屋さん。ティディム・チン語の本、雑誌,音楽CD、ドラマDVDなどがぎっしり並ぶ。
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