FIELD PLUS No.7
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4調査したくても現場(フィールド)に入れない!?厳しい現実を背に旅立った私を待っていたのは、遠い山々から大都市に辿り着いた少数民族の言語、ティディム・チン語だった。フィールドに立ち入り禁止!? ティディムは、高原の風が吹き抜けるミャンマー北西部、奥深い山の上にある小さな田舎町である。ミャンマーの旅行代理店でこの町を訪ねたいと言っても、「外国人には政府の入域許可が下りないから行けないよ」と門前払いを食らう。私が研究しているのは、そのような「異邦人お断り」の地域を本拠とする山岳民族の言語、ティディム・チン語である。この研究を始めて5年になるが、未だティディムに行ったことはない。 ミャンマーは、100以上の民族から成る多民族国家である。公用語はビルマ語だが、ビルマ語とは似ても似つかない言語を母語とする少数民族も多い。チン族の言語、ティディム・チン語もしかり。この言語は、文献・資料の数が少なく、文法書の類もないに等しい為、フィールドワークなくして実態を知ることができないのだ。どの本にもティディム・チン語は、「ティディム一帯で話される言語」と書いてある。私は「ティディムに暮らす人達と生活を共にし、ゼロから言葉を学び、文法書を作ろう!」という夢に胸を膨らませていた。しかし、ティディムは立ち入り禁止といういきなりの挫折。 ティディム行きが叶わないのなら、他の所に住む話者を見つけ、調査に協力してもらうしかない。だが、たとえ話者が見つかったとしても、そこはティディムと生活環境が異なる上、生え抜きの話者もいない「異郷」だ。私は、「えせのフィールドワーカー」になってしまわないかという不安と後ろめたさを感じた。そして、ティディムの穏やかな町並みを写真で見るたびに、「本物のフィールド」へ行けない悔しさがこみ上げた。 思い悩む私の背中を押してくれたのは、東京で暮らすミャンマー出身の友人だった。「ヤンゴンに住むティディム生まれの子を紹介するから、まずは会いに行ってきなよ!」彼女のこの言葉がはずみとなり、私の小さな冒険、フィールド探しがスタートした。人のいる所に言語あり フィールド探しの出発点は、ティディムから700km以上南に離れたミャンマー最大の都市、ヤンゴンだった。ヤンゴンは、ビルが立ち並び、人と車がごった返す喧噪の街だ。私はこの街で、若きティディム・チン語話者、リアンと知り合った。彼は、穏やかな目と快活な語り口を持つ青年である。同じ20代後半ということもあり、私達はたちまち気の置けない親友同士となった。 ある日曜日、キリスト教の教会で事務の仕事をする彼は、ティディム・チン語で礼拝を行う教会に連れて行ってくれた。教会へ向かう道にはビルマ文字の看板が溢れ、店先で聞こえる言葉は全てビルマ語……ヤンゴンはビルマ語一色の街に見えた。果たしてこのような場所でティディム・チン語の調査ができるのか? しかし、その不安は、教会の門をくぐった途端に吹き飛んだ。教会には何百人もの話者が集まり、ティディム・チン語で談笑し、親交を深めていたのだ。前庭では粟団子を小脇に抱えたおばさん達が井戸端会議、そして、その周りを子供達が元気な声を上げて駆け回っている。広い礼拝堂の中では、年輩の男達が座り込み、物静かに語り合っているところだ。 牧師によると、ここ十数年の間に経済的Field+ 2012 01 no.7ことばの現場は、どこにある?――ミャンマーの都会に生きる山岳少数民族の言語 大塚行誠おおつか こうせい / AA研研究機関研究員「あなたにも礼服を一着作ってあげましょう」おばさんは,リズム良く機を織り始めた。白地は男性用、黒地は女性用の民族衣装になる。教会の託児所兼読み書き教室。「ラーカサー!」(私は歌う!)。幼児達がティディム・チン語を大きな声で読み上げ、先生達は,歌や遊びを通して楽しく文字を教えている。「タンホウ」と呼ばれる笹で包んだ粟団子。淡い塩味で素朴な味わい。ティディムから離れても、話者達は故郷の味を懐かしみ、伝統料理の粟団子を包む。出来上がった民族衣装。クリスマス・キャロルを歌う子供達。日曜礼拝や伝統的な祭りなどのイベントには積極的に参加。異郷での話者コミュニティーの繋がりは特に強いようだ。ティディムヤンゴンミャンマー

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