FIELD PLUS No.7
32/36

30Field+ 2012 01 no.730Field+ 2012 01 no.7イスラームとお酒 日本人が普通「イスラーム」と聞いて、まず頭に思い浮かぶことのひとつは、豚肉食の忌避と並んで「飲酒の禁止」だろう。イスラームの聖典『クルアーン』には「これ、汝ら、信徒の者よ、酒と賭矢と偶像神と占矢とはいずれも厭うべきこと、シャイターン(悪魔)の業。心して避けよ」とある。実際、サウジアラビアやイランでは、飲酒は禁止されている。こうした国々においてお酒を飲むことは罪であり、鞭打ちなど刑罰の対象となる。 ところが、ムスリム(イスラーム教徒)が多数を占める国々において、飲酒文化がまったく存在しないかというと、そういうわけでもない。そもそもイスラームが広まる以前から、中東地域には多くのキリスト教徒やユダヤ教徒が暮らしていた。ムスリムの支配下に入った後も、彼らはズィンミー(被保護民)として、人頭税を支払うことなどを条件に、安全と信仰の自由とを保障されていた。もとより、キリスト教の信仰儀礼にはパンとともに赤ワインが不可欠であり、そのため日常生活においてもワインの醸造や飲酒の習慣が途絶えることはなかった。 こうした歴史的事情もあって、現在でも飲酒行為に対して特別な規制を設けていない国は多い。モロッコやレバノンでは優秀なワインが数多く醸造されているし、著者自身の経験にもとづくだけでも、チュニジア、エジプト、シリアといった国々では各種のお酒が販売されており、レストランによっては飲酒しながら食事をすることも可能である。トルコのお酒事情 なかでもトルコは、非常に豊かな飲酒文化をもつ国として知られている。敬虔な人々はもちろん飲酒しないが、お酒をたしなむトルコ人も多い。たとえば、聖なる月である断食月の期間だけ「自主禁酒」するというトルコに特有の習慣は、この国の酒好きたちが、自らの信仰心との折り合いをつけようと精いっぱい努力しようとする姿のあらわれでもある。 トルコでは、ビールだけをとってみても、主力の国産ビールであるエフェス・ピルゼンをはじめ、スタウト風の黒ビール、小麦が主原料の白ビール、レモン風味のビール、少量生産の地ビール、ライセンス生産の外国ブランドのビールに加えて、各種の輸入ビールも存在するという百花繚乱ぶりである。 トルコ・ワインもまた赤、白、ロゼ、スパークリングと多種多様である。古くからあるカヴァクルデレとドルジャという二大ブランドに加えて、21世紀に入ると各地で多くのワイナリーが新設あるいは再興された。「再興」としたのには理由がある。トルコが位置するアナトリアとトラキアは、かつてはトルコ系の人々に加えて、ギリシア系やアルメニア系のキリスト教徒が多く住む土地であった。そこでは、古代からブドウ作りとワインの醸造が行われており、トルコ共和国の成立直後の20世紀前イスタンブル随一の居酒屋街、ネヴィザーデ横丁。暮れなずむ街の居酒屋の看板に灯がともる。 装飾が見事なチチェキ・パサジュ(「花の小路」)。1876年に高級店が軒を並べる西洋風アーケードとして建設された。1988年の大改修後は、居酒屋が集まる名所となった。Field+DRINKトルコのお酒事情澤井一彰 さわい かずあき/日本学術振興会特別研究員(東洋文庫)、AA研共同研究員半までは各地に豊かなワイン文化が存在していた。しかし、その後の移住や住民交換によってキリスト教徒の多くがトルコを去るとワイナリーは荒廃し、トルコにおけるワイン文化は、一時は断絶するかに見えた。しかしトルコはもともと、ブドウ作りにもワインの醸造にも適した土地である。生活水準が向上し、食文化が多様化すると、2000年ごろからは再び国産ワインに注目が集まるようになった。 近年では、フランスや新大陸からメルローやシャルドネといった海外の有力品種を移植する動きが見られる一方で、トルコ特有のブドウ品種による醸造にも力が注がれている。たとえば赤ワイン用の品種としては、高いタンニン含有量を誇り、力強い味わいをもつエラズー地方のオキュズギョズとディヤルバクル地方のボアズケレに加えて、クズルウルマク川周辺で栽培され、優雅なアロマが特徴的なカレジク・カラスの3品種が特筆に値する。また、白ワイン用イスラームでは原則として禁じられている飲酒行為。しかし実際には、時代や地域によって多様な飲酒文化が存在する。ここでは、ビールやワイン、ラクなど、様々なお酒に彩られたトルコの豊かな飲酒事情を紹介する。トルコ黒海アンカラトラキアエーゲ海地方ア ナ ト リ アカッパドキア地方イスタンブルトカトディヤルバクルエラズークズルウルマク川

元のページ  ../index.html#32

このブックを見る