29Field+ 2012 01 no.7JaCMES研究会風景。「ハリーリー廟」の入り口。リヤード・スルフの銅像とESCWAの建物。JaCMESの書棚。と、「ムスリム地区」といわれた西ベイルートを分けた通称「グリーン・ライン」上に位置していることから、周辺で激しい戦闘が展開された場所です。現在も、銃痕が残っている建物や、内戦によって建設が中断されたまま放棄されている施設が近くに見受けられますが、同時に復興・再開発もかなり進められてきています。 故に、殉教者広場はレバノンの現代史を語る際に欠かせない場所ですが、他方では近年のレバノン政治にも大きな関わりを持っています。2005年2月14日に、ラフィーク・ハリーリー(以下、R・ハリーリーと記す)元首相がベイルートで爆殺されましたが、当時レバノンを「支配」していたシリアの関与が疑われる中、シリアとの関係維持を望む勢力が同年3月8日に、関係見直しを主張する勢力が3月14日に、それぞれ数十万人規模の大集会をここで開催しました。現在のレバノン政治を二分する勢力である、「3月8日連合」と「3月14日連合」の名称は、両者がここで集会を開いた日付を記念して生まれたのです。なお、2011年3月13日には、R・ハリーリーの子息であるサァド・ハリーリー率いる3月14日連合側が、ここで結成6周年記念式典を開きました。前日の12日から、機材や椅子などを運び入れる作業が行われましたが、当日は穏やかな春日和の日曜日だったことも手伝って、数十万人が参集しました。ハリーリー廟とエトワール・カフェ この殉教者広場の脇に位置しているのが、通称「ハリーリー廟」です。ご覧のようなテント形式ですが、中にはR・ハリーリーのみならず、爆殺事件で亡くなった側近やボディガードらの遺体も安置されています。それ故、3月14日連合側はここを「聖地」と見なしており、同連合にとって重要なイベントの前には、所属議員の参詣する姿が絶えない場所となっていますので、私も折を見て訪問しています。 さて、ハリーリー廟にはR・ハリーリーの生前最後の写真が大きく展示されていますが、それは彼がカフェ「エトワール」で側近らとコーヒーを飲み終えた後、店の前で車に乗り込もうとする際に撮られたものです。従って、サァド・ハリーリー率いる3月14日連合側は当然のことながら、このカフェに強い思い入れを持っており、所属連合議員やや関係者の姿を見かけることが多々あります。また、国会議事堂の正面に位置していることから、出入りする議員や閣僚の姿を見ることが出来る場所ともなっています。先日は昼食を摂っていた際、ミーカーティー現首相が議事堂から出てくるところに遭遇して、背が高いのを改めて実感しました。リヤード・スルフ広場 最後に紹介する「リヤード・スルフ広場」は、1943年にフランスから独立を達成したレバノンの初代首相を務めた人物の名を冠した広場で、写真からも分かるように彼の銅像が立っております。ここでは最近、レバノンにおける「宗派主義」(レバノンに存在する18の公認宗派に、主要な公職ポストや国会の議席を配分する制度)の廃絶や、刑務所内の囚人の待遇改善を求める集団が座り込みを行いました。しかしながら、あまり広くない場所故に、参加者が入り乱れるように抗議活動を行うことになってしまい、道行く人々は何が行われているのか、よく分かっていない有り様でした。 なお、銅像の背後に見える建物は、国連「西アジア経済社会委員会」(The Economic and Social Commission for Western Asia 略称ESCWA)本部です。ESCWA加盟国の一つバハレーンにおいてシーア派に対する政権側の弾圧が続く中、2011年3月16日にはレバノンのシーア派組織である「ヒズブッラー」や「アマル運動」支持者を中心とする抗議活動が、この本部前で行われました。また、パレスチナ自治政府が国連に加盟申請書を提出する直前の9月21日には、レバノン在住パレスチナ人がこの建物の周辺に2000名ほど参集し、加盟に向けたアピールを行いました。最後に 以上、JaCMES並びに周辺の環境を説明してきましたが、今回紹介したこれらの場所も、首相府や国会議事堂と同様にオフィスから徒歩5分圏内に位置しています。今後もこれらの場所を適宜訪れながら、レバノン政治の観察を続けていく予定です。カフェ「エトワール」正面。
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