27Field+ 2012 01 no.7 冷戦後の旧共産圏やアジア・アフリカ地域では、ナショナリズム(国民主義)に基づく国家の分裂や内戦が再発し、民族問題が再び注目されるようになった。その一方で共産主義者は、民族紛争の要因となるナショナリズムをしばしば批判してきたため、とかくナショナリズムと共産主義とは不倶戴天の敵と考えられがちだ。しかし、共産主義者は、早くも19世紀の末には民族問題の重要性を認識していた。世界初の共産主義政権となったソヴィエト・ロシアの指導者たちも、共産主義革命をロシア周辺の農村地域に広げるために、まずは少数民族に文化的な自立を促すことが必要だと考えた。こうして1918年以降、国内の少数民族の文化や政治エリートの育成政策(コレニザーツィヤ)に乗り出した。 『アファーマティヴ・アクションの帝国』の著者マーチンは、少数民族がひしめくロシア南部のダゲスタン地方から亡命したロシア系移民の子孫としてカナダに育ち、しかもロシア正教会からは異端視されていたメノー派信者の家庭の出身という二重の意味での少数者として、子供の頃から自らのアイデンティティを問われる生活を送っていたという。また、そうした出自ゆえに、自らが身を置く北米社会のアファーマティヴ・アクション(社会的弱者の就学・就業面での格差是正)政策とソ連のコレニザーツィヤ政策に弱者救済という共通した側面を見出すなど、独自の視点に基づいた研究を打ち立てた。民族についての新たな古典研究者の本棚吉村貴之よしむら たかゆき / AA研ジュニア・フェロー ソ連初期に試行錯誤を経た民族育成政策は、まさに民族問題の縮図だ。テリー・マーチンが描き出すその迷走ぶりによって、改めて民族の醸し出す不可思議さが体感できる。 ところで、これまで民族やナショナリズムに関しては、アンダーソンの『想像の共同体』(NTT出版、1997)やゲルナーの『民族とナショナリズム』(岩波書店、2000)などが古典とされてきた。分析面で着目されたのが、アンダーソンなら出版文化とその普及や統一的な官僚機構、ゲルナーなら経済関係や教育といった制度である。ただ、両者とも民族が幻想であることを暴露することに主眼があり、具体的な民族の育成過程は見えてこない欠陥がある。 これに対し、マーチンの議論は、政府が短期間で人工的に少数民族の育成を図ったソ連の1920年代に着目し、文書館史料を用いてその育成過程を鮮やかに描き出すとともに、やがてそれがソ連政府にとって予想外の権力闘争を生み出し、制御不能の状態に陥る皮肉をも読者に示した点で、従来の研究を凌駕している。例えば、ウクライナは同胞が多数を占めるロシア領内の国境地域を自国領に移管するだけでなく、ロシア内奥にいる同胞のための自治単位をソ連の連邦政府に要求し始めたため、ロシア内のウクライナ人とロシア人との間で摩擦が生じ始めた。結局、1932年に南ロシアのクバン地方の共産党内で起こったウクライナ人の自治をめぐる紛争を機に、ソ連政府はコレニザーツィヤ政策を停止した。以後、少数民族の自治権の拡大は厳しく戒められ、逆にそれまで少数民族を保護するために譲歩を求められていたロシア人の発言力が高まった。だが、ソ連崩壊時には、少数民族がこの民族区分を基にした共和国単位で独立したことからも分かるように、ソ連初期に施された少数民族の育成政策は一定の成果を挙げているのだ。 最後に付け加えると、この民族育成政策に限らず、民族虐殺や内戦の裏では、為政者たちが人気取りのために大衆の情念を扇動した結果、その大衆の声に政府が呪縛されてしまうことがよく起こる。民族紛争は、民族そのものをなくせば解決するものではない。むしろ、民主主義国でしばしば出現するポピュリズム(大衆迎合主義)に代表されるような、庶民の感情を為政者が都合よく制御できるという発想に立った近代の大衆政治そのものの在り方が問い直さなければならない時期に来ていることを、著者は教えているのかもしれない。共産主義者が育てたナショナリズム民族は幻想か実体かテリー・マーチン 著半谷史郎 監修『アファーマティヴ・アクションの帝国——ソ連の民族とナショナリズム、1923年~1939年』(明石書店、2011年。表紙の写真は、タジキスタンとトルクメニスタンの集団農場から来訪した農民たちと語らうソ連共産党書記長のスターリン。原書は2001年にコーネル大学出版社刊)本書で扱われるスターリン時代の末期にモスクワに建設された7つの「スターリン様式」建築の1つ、文化人アパート。発展するソ連のイメージを荘厳な威容で表現したもの。
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