26Field+ 2012 01 no.7 『支援のフィールドワーク』と名付けられたこの本は、「支援についてフィールドワークで研究した本」ではない。支援なのかフィールドワークなのかわからない渾然一体となった現場からの報告、である。海外での開発援助、平和支援、日本での福祉の現場、とそれぞれの現場はバラバラで、しかし、つながっている。それぞれの現場から、他の現場も意識しつつ、ダイナミックなプロセスとしての「支援」、そして「フィールドワーク」が語られる。 なぜ調査と支援が渾然一体としているのか。なぜ渾然一体となったところに著者たちは注目するのか。そこには、支援が専門化・制度化していったという背景があるように思う。福祉の現場におけるケアや支援も、開発協力における支援も、質量ともに近年大きな進展を見せている。大きくなればなるだけ当然制度化が進み、また、専門化が進む。しかし制度化や専門化が進むと、逆にそこからこぼれ落ちるものの大きさに私たちは気がつく。 この本の著者たちは、さまざまな支援の現場に専門家として、あるいは研究者として入り込み、あるいは巻き込まれ、試行錯誤を繰り返す。支援の現場にあるのは、「玉虫色のように意味が変わり続ける行為の数かず」(p. 6)であり、「多層的な関係者の背景、価値観や、ひとつの場面に対して複数の解釈が混在する状況」(p. 59)である。これはたまたま著者たちがそういう状況に遭遇した、というものではない。現場はいつもそうなのだ。私たち一人ひとりは、自分の現場でそうした場の多面性や意味のダイナミズムと向き合いながら生きている。生き延びるすべを身につけている。しかし、よそから来る研究者や支援者は最初、その多面性に気がつかない。「研究」だ、「支援」だ、と来るアウトサイダーは、意味がころころ変わる現場で大きくとまどい、そして必ずと言っていいほど、自分は専門家なのか、支援者なのか、研究者なのか、一人の市民なのか、といった「自分は誰なのか」問題に襲われる。支援の場の起爆力研究者の本棚宮内泰介みやうち たいすけ / 北海道大学調査研究するということと支援活動をするということ。この一見別モノの二つが、実は現場では渾然一体としている、あるいは、渾然一体としているところにこそ宝がある、とこの本は静かに語る。 しかし、なかなかにしぶといアウトサイダー(本書の著者たちがそうだ)はそのうち気がつく。そういう問いが発せられるようなプロセスこそ大事なのだと。そのようなことがダイナミックに変化していく場こそが重要なのだと。 もっと言えば、現実が一つの意味に集約されないで、多面的な意味が豊かに生みだされる場こそが大事であり、そうした場が設定されることが大事なのだ。「私が出会った支援の場の複雑性は、それらの事象が個人の人間関係のなかで再構築される可塑性に富むもので(中略)その場にいる一人ひとりが、現実構築のリソースになっていく可能性をもっている」(p. 75)。「大事なのは完成したモデルではなく、完成までの道のりにどのような紆余曲折があり、プロセスがあり、涙を流した者がいたかということを参照できるようにすること」(p. 120)。「先々で遭遇する『場』で、相手を深く知り、人びとが新しい関係へとひらかれていく。(中略)このような連続性のなかで『支援』という言葉が変わるときがある。そこから、より深い『支援』が始まるのである」(pp. 180-181)。支援が「ダイナミックな場」であることで、そこに豊かな意味が生まれ、より深いかかわりと支援が生まれる。この本が言いたかったことの核心がここにある。 よくできた本であり、かつ、読みやすく、またそれぞれの著者が描くエピソード(その多くは著者たち自身のとまどいが吐露されている)が単純におもしろい。ぜひご一読を。現場は多義的場を設けることで支援が深まる小國和子・亀井伸孝・飯嶋秀治 編『支援のフィールドワーク——開発と福祉の現場から』(世界思想社、2011年)
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