22Field+ 2012 01 no.7貴州省の山歌 ここは中国貴州省、貴陽市の郊外。この省は西に隣接する雲南省に次いでさまざまな少数民族が暮らす土地として知られている。貴州省は山に囲まれた中国でもっとも貧しい省のひとつであるが、その省都であるここ貴陽市は省の中心だけあって近年発展著しい。街はどんどん姿を変えており、道はどこもかしこも人々のエネルギーであふれている。その牽引役は中国の主要民族である漢族であるが、もちろん少数民族の人たちもこうした変化の影響を受け、また積極的に参入している。 私の前で電話を受けていた張さん(仮名)は、私がここで歌掛けの調査をしていた時に知り合ったアマチュアの歌い手で、貴州省に暮らす少数民族のひとつであるプイ族の初老の女性だ。彼女は夫とともに畑を耕して生計を立てている。苦しい生活のなか、ここ数年彼女は歌を歌うのを楽しみとしている。彼女が電話口で言っていた「歌」とは「山さん歌か」と呼ばれる歌掛けのことで、祝い事にはつきものである。祝い事に呼ばれると、彼女は近所に住む親族の歌仲間李さん(仮名)と一緒に出かけていくのだ。 「山歌」は中国語で一般に「民謡」といった程度の意味合いで使われる言葉だが、ここではおもにプイ族が歌う歌のことを言う(もっとも、漢族やほかの少数民族にも山歌を歌う人はいる)。なかでも目立つのが歌掛け、つまり歌の掛け合いである。ここの歌掛けは一定の短い旋律に歌詞を即興でのせて、歌で言葉を交わしてゆく。山歌を楽しむポイントは歌詞の表現にあるので、聞き取れないとつまらない。だが歌詞が聞き取れるようになると、そこが若い男女の熱い恋の駆け引きや、主人と客の礼を尽くしたやりとりなどが繰りひろげられる舞台であるということがわかる。かつてこうした歌掛けは男女の恋愛から結婚にいたる過程など、生活のさまざまな場面で歌われていたという。 だがこの歌掛けは1980年代後半から、出稼ぎや進学、就職のために若者が地元を離れるようになったことや、さまざまな理由で昔ほど儀礼をやらなくなったことなどの社会的環境の変化のためにあまり歌われなくなってしまった。とりわけ貴陽市のような経済発展の著しい都市部では、少数民族も文化的に漢族に同化していく傾向が強く、山歌のような伝統文化はすたれる一方だった。ところがここ数年、そうした状況が変わりつつある。変わる山歌 貴州省では中央政府と歩調を合わせるように、1990年代後半から無形文化財の保護に乗り出すとともに、少数民族文化についても積極的に後押しするようになった。そうした背景のなか、2000年代に入ってから、プイ族の経済発展と文化振興および学術調査のための組織である「プイ学会」が各地区政府と協力して積極的に山歌を歌う場を設けるようになった。その代表的なものは「歌会」と呼ばれるステージであり、春節(中国の旧正月)などのお祭り期間にさまざまな村や地区で開かれる。ここで公私さまざまな団体が歌や踊りを披露するが、そうしたなかにはもちろん山歌も含まれる。もっとも歌会では出演時間が決まっているため、掛け合いもごく短く10分弱である。 また、こうした少数民族文化を称揚する雰囲気に後押しされて、私的な祝い事、例えば結婚式や「満月酒」(赤子の生誕30日目を祝うお祝い)、「オー? うんうん、行くよ!」電話を切った彼女に私は聞いた。「なにがあるの?」祝い事に呼ばれたことをひとしきり話し、私を誘ったあと、彼女は目をきらきらさせて言った。「歌うのって楽しいじゃない!」フィールドノート 歌でことばを交わす貴州省プイ族の歌掛け「山歌」の現在梶丸 岳 かじまる がく/日本学術振興会特別研究員(国立民族学博物館)、AA研ジュニア・フェロー貴陽市郊外の風景。ある歌い手が手書きした歌詞ノート。思いついたり聞いていて気に入った歌を大量に書き留めてある。貴陽市近郊で開かれた歌会。舞台上ではプイ族の民族衣装を着た男女が掛け合いを披露している。中 国香港重慶北京上海ソウル貴州省揚子江黄河ハノイ西安貴陽
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