21Field+ 2012 01 no.7いと考えはじめる移住民もいる。 実際アンゴラへ移住した移住民の動機をみると、第1世代に多いのが「かつて住んでいた土地へ戻りたい」という理由である。しかし第2、3世代の多くは、ビジネス機会を求めて移住する。ザンビア西部州に近いアンゴラ東部は、長引いた紛争により地方の市場も店も未発達だという。移住民は、ザンビア西部州やアンゴラの首都ルアンダからの商品調達が可能であること、さらにはアンゴラが急速に経済成長しており景気がよいこと、ザンビアの3、4倍の販売価格でものが売れるなどの情報も得て、意欲的な20代、30代の若い男性たちやその家族が移住していく。 アンゴラ紛争停戦から10年、移住民はこれからますますアンゴラへと「帰って」いくのだろうか。彼らが「未来を選ぶ」のは、アンゴラか、ザンビアか、どこになるだろうか。村付近の幹線道路。アンゴラへ移動する人びとはここから旅立つ。主食はキャッサバの練粥(右)。魚の塩茹でとそのスープ(左)と一緒に食べる。村付近の公設市場の風景。右手前が茹でキャッサバを売っている女性たち。広がっている。リコロ村の移住民が生活の糧とする焼畑農業は、この林でおこなわれる。 移住民は肥沃なザンベジ川氾濫原を使わない。それは、氾濫原での農業に関する技術や知識がないせいではない。移住第1世代はアンゴラにいた頃、焼畑農業と共に氾濫原での農業もしていたことを、今も自慢気に話す。彼らが林で焼畑農業に従事するのは、なによりも、この地域の土地配分を采配してきたかつてのロジ王国の首長によって、移住民が氾濫原を使うことを許可されていないことが原因にある。氾濫原はロジの人びとの主たる生業の場とされていたため、移住民が耕作できるのは林のみとなってきたのである。 「いいかい、おれの友達にロジの男がいて、そいつが耕していた氾濫原の土地を使えよって言ってくれたから耕していたんだ。それでキャベツやトマトの芽が出た頃に、突然首長がやってきて、『ロジの土地である氾濫原を、移住民であるお前がなぜ耕す』っていうんだよ。結局収穫した野菜を半分差し出して、耕作をやめたよ。ロジの首長は、この地域の伝統的裁判で采配する権利も、新参者に(その首長が治める土地で)住む許可を与える権利ももっていて、みんな恐れている。逆らえないのさ」。 伝統的な土地慣習に従い首長が土地配分する地域は、ザンビア土地法によって国有地、私有地と同様明確に定められており、リコロ村一帯もそうした地域である。つまりザンビアの法制度上でも、ロジの首長による土地配分が正当なものとなるのである。焼畑農業の限界 移住民は、今日まで農業を集約化することもなく、痩せた林で焼畑農業をしてきた。彼らは自給可能である唯一の作物、キャッサバに依存して生計を営んでいる。移住直後、移住民はアンゴラの焼畑で栽培していたトウモロコシやトウジンビエなども栽培していたが、それらは林の環境での栽培が難しかった。そうしたなか、痩せた土地でも育つキャッサバについては、生育初期の水分条件を良好に保つ栽培技術を新たに編み出すことで、土壌養分・水分共に少ない砂土での栽培を可能としたのである。そして主食としてだけでなく、商品化して現金収入を得るなど、自給自足の生活を営んできた。 しかしながら、これは持続的な自給自足体制ではない。一般に焼畑農業は、火入れと畑の移動のほか、休閑期間を設けて森林資源を循環利用するものが多い。しかし移住民の焼畑農業は、未開墾の林のみを利用するため休閑期間がなく、火入れと畑の移動のみをおこなうという、いわば非循環型で非持続的な焼畑農業である。未開墾の林を使い果たし、現行の焼畑農業がたちゆかなくなる日が、いずれはくるのだろう。アンゴラか、ザンビアか いつか未開墾の林がなくなるとき、痩せた土地で自給可能となる農業が、はたして移住民の創意工夫や外部資本の投入によって見出せるのだろうか。たとえ移住民が農業以外の就労機会を求めても、首都から遠く離れた西部州は、住民の生計の向上につながりそうな開発計画すらなかなか見られない、低開発地域である。そうしたことから、このままザンビアにすみ続けてもよりよい未来があるというわけではないと判断し、アンゴラへ移住するのも悪くなザンビアアンゴラルサカルアンダリコロ村西部州ザンベジ川
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