19Field+ 2012 01 no.7少し考えたあと、胃の熱を高める定番であるザクロ五味丸を処方してあげました。ザクロにシナモン、カルダモン、ナガコショウ、生姜、と私が好きな薬草ばかりが配合された、口に優しいお勧めの一品です。 「アムチさん、ありがとう」。女性は職場をちょっと抜け出してきたのか、処方箋を渡すと足早に診察室を出て行きました。誇張されたイメージ 普段の診察室はこんな素朴な光景ですが、日本や欧米諸国には「すべてを見通す神秘の脈診」として誇大広告されているようです。チベット密教に対する神秘主義とともに医学が紹介されたからかもしれません。脈を診ただけで過去の病歴が全て分かるとか、未来の予言ができるという伝説を信じた外国人患者(チベット人以外の欧米人や日本人、インド人など)がよく病院に訪れます。そして手だけを差し出し「ほら、当ててみて」とアムチを試すようなことをします。私も何度か経験しましたが気持ちのいいものではありませんでした。同級生だけでなくベテランのアムチたちからは「我々は精密機械ではないんだ。血が通った人間なんだ」と外国人患者に対する苦悩の声を、外国人患者からは「なんだ、脈診と言ってもたいしたことないな」という失望の声を耳にします。過度な期待が、その反動で失望へと変わってしまうのはお互いにとって悲劇です。カール・ルイスやボルトがどんなに速くても自動車には敵いません。どんなに強い格闘家も拳銃には敵いません。しかし生身の人間が全力を尽くすことに人間の根源に触れる感動があるのではないでしょうか。アムチの診療も同じです。病を正確に診断するだけなら医療機器に任せておけばいいのです。脈診の温もり 一方、神秘を夢みる外国人を診察することは、普段にはない緊張感のなか五感と第六感(直感)を最大限に働かせなくてはならないので最高の修行の場になっているという見方もできます。患者の姿勢、肌の艶、色、体臭、声、など限られた情報を最大限に取得して診断に結び付けなければなりません。当たることもあれば外れることもあります。そして外れたからと言って意気消沈しない図太さもアムチの大切な資質に挙げられるのです。 脈診はちょうど現代医学における聴診器のようなもの。しかし、脈診には人肌の温もりがあります。文字通り“触れ合い”があります。脈診は患者の状態を把握するだけでなく医師の温もりを患者に伝えることができる確かな手段なのです。たったそれだけのことなの、と残念がられるかもしれませんね。もちろん医療機器が行き届かないチベットやインドの僻地では脈診に求められる期待が大きいのは理解できます。健康診断のない地域では、病が極端に進行していることがあるので、脈診だけで明確に診断することが可能です。しかし医療検査機器や健康診断が行き届いた現代の日本では、脈診の有意性を発揮できる場面は少なくなっています。とはいえ、日本の若い医者は患者に向き合わず、コンピュータの画面ばかり見ているという批判をよく耳にします。そこで、まずはアムチのように脈を診ながら問診をしてみてはどうでしょうか。昔からずっと変わらない脈診の温もりは、人々に安心感を与え。多くの医療問題を解決する糸口になるかもしれません。その温もりの大切さを日本の医薬学部の学生たちに伝え、優れた医師、薬剤師を育てていくことこそが外国人として初めてのアムチであり、日本の薬剤師である私の使命ではないかと思っています。フィールドワークの葛藤 診察室には頻繁に外国の医療人類学者がフィールドワークに訪れました。私はこうして観察されることで、人類学やフィールドワークなるものの存在を初めて知ったのです。ただ残念ながら、見知らぬ外国人からジッと観察されることは、決して気持ちがよくなかったとともに、診察の妨げになっていたことを正直に告白しなければなりません。治療ではなく、研究という異なる目的を持った人間が診察室にいるのは患者にとっていいことではありません。意見が分かれるところではありますが、医療人類学を学ぶ場合、医療関係者であるほうが「医師の緊張感」を共有できる意味において有利とはいえるかもしれません。ですから、今後、医薬学部の中から医療人類学を目指す学生が増えるとともに、1人か2人でもいい、本誌読者の中からメンツィカンの入学試験に挑む日本人が現れることを願って止みません(参考までに私は受験勉強に3年、学業に6年、インターンに1年費やし、正式なアムチとして認められるまで現地で合計10年の歳月を要しました)。製薬工場で紅花の異物除去に励む学生たち。名医から吸玉療法を学ぶ学生たち。深夜まで教典の暗誦の練習をする学生。大学は全寮制。門限7時など僧院並みに厳しい規則がある。卒業暗誦試験。教師・学生に囲まれた中、8万語に及ぶ暗誦を行わなくてはならない。早口言葉のスピードで4時間近くかかる。
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